先日の百舌鳥古墳群巡りは、レンタサイクルが止めてある堺東駅の交差点からスタートしました。


そこで一番近い反正天皇陵の向こう側にある方違(ほうちがい)神社を、最初の目的地にしました。せっかく早朝一番ですから神社から行きたいと。



方違えといえば、古典には必ず出てきますので、こういう神社が実際にあるんだなあぐらいに思って目的地にしたのですが、実は凄い神社だったと後から知ってビックリ。



まず創建が崇神天皇の時、疫病が流行ったので須佐男命を祀ったのが始まり。その後、神功皇后がこちらで方災徐けを祈願して反乱を鎮めたことから、後に応神天皇が神功皇后を併せ祀り、方違大依羅神社としたので、方違えの神社としての崇敬が篤くなったとか。現在の名前は明治時代になってからのもの。


そもそもこの神社の立地が三国の境にあるので、方位がないとされたのが方違えの出発地点にされた要因だという。つまり、堺の地名はここから来ているのだ。



そして記録には、応神天皇の子、仁徳天皇はもちろん、孝徳天皇、空海、平清盛、後鳥羽天皇、徳川家康、明治天皇、の名が参詣したと残っているそうだ。観光マップには聖徳太子の名前もある。古から続いた神社で、方違えの習慣もあったことを考えれば、その他にも沢山の歴史上の人物がお参りしていたのではないかと思う。例えば堺といえば千利休がいたし、豊臣秀吉も来たのではないだろうか。堺が栄えた当時に来た人達は、せっかくだからとお参りにきたに違いない。また熊野参詣の通り道だったということは、後白河天皇をはじめとする熊野参詣を繰り返した天皇もお参りされたのではないかと思う。


しかも京都から東京に遷都の際は、17日間御祈祷をしたそうである。さすが方違神社です。


いやいや凄い神社でした。そう思うと、ここで撮れた素敵な朝陽の写真がさらにありがたいです。


予定ではもっと早く起きて出る予定が、遅くなってしまったのだけれど、これで良かったのです。


二枚目の写真は、鳥居の前の入り口に自転車を置いたところでちょうど見えた朝陽です。


そして入って左手の拝殿の写真の左側にちょっと見えている朝陽の光が、前に進むと凄い光となりましたので思わず写真を撮ったのですが、通常写真はお参りしてから撮るので、実は拝殿の正面写真は後から撮った写真です。この朝陽があまりにも凄かったので、お参りの後さらに撮ろうとしたら、もう太陽は移動していました。この写真に写っている光は残像みたいなものなのです。この間約二分。(写真情報によればですが、分刻みなので実際は1分半以下だと思います。)朝陽の写真、すぐに撮って正解だったのです。


でも、凄くないですか?わずかな隙間からの光がこれほど大きく輝くなんて。記憶をたどっても、入り口で見えた朝陽よりも、拝殿の向こうに見えた朝陽の隙間の方が小さかったと思います。



この後、神社の横にある反正天皇陵から始まって、仁徳天皇陵、履中天皇陵をお参りしましたが、その天皇が皆ここにお祀りされていましたので、ここに最初にお参りしたのも正解だったわけです。



百舌鳥古墳群を巡るときには、この方違神社から始めるのが一番です。


最後の写真は反正天皇陵です。



方災除の社 方違神社