「修身 良い日本人 復刻」データハウスより


紀元節



紀元節は、第一代天皇、神武天皇がご即位なさった日です。その日がちょうど二月十一日に当たるので、私たち国民は紀元節のお祝いをします。


神武天皇は大和の橿原宮に都を定め、天皇の御位におつきになりました。今から二千六百年も前のことです。


神武天皇は初め、日向の高千穂宮にいらっしゃいました。そのころ、東の方では長髄彦(ながすねひこ)や、ヤソタケルといった心掛けのよくない者が暴れておりましたが、天皇は日本全体に御恵みをたれようとお考えになりました。多くの悪者をお討ちになりながら、東へ進みます。天皇はご自身で兵士達を率いられて、戦の苦労を共になさいました。兵士達は天皇の御為に、命を捨てて戦いました。


苦戦を重ねて熊野から大和に入られる時には、空から一羽のヤタガラスが現れて、道を案内してくれました。


長髄彦との戦いの時のことです。今度は金色の鳶(とび)がやって来て、天皇の御弓矢の先に止まりました。そのとたん、神のご加護か、稲妻のような光が矢から放たれました。長髄彦はこの光に目がくらんで、降参しました。


この戦の後、天皇はご即位され、君と臣の国、日本は始まりました。以来、今日に至るまで、ずっと一系の御血筋で栄えてきたのです。



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この修身の本は、その内容から最後の版の修身の教科書ですが、紀元節についてはどの版でも載っていたようです。


この物語には、神武天皇が日本全体に御恵みをたれようとして東征は行われたもので、私利私欲のためではなく、だからこそ兵士達も天皇の為に命を捨てて戦ったと書かれています。


つまり天皇は民(おおみたから)のため、民は君のため、という君民一体の日本の国柄が表れたものとなっています。



もう一つ短いお話をご紹介します。「み国始めの物語」という前半が絵本になっている本からです。(絵本部分の漢字には全てカナがついていますが、ここでは省略しています)


日本の国のはじまり
橿原の都


「ににぎのみこと」の御子孫の
神武天皇さまこそは
大和の国の橿原に
はじめて都を開かれた。
日本の国の御柱が
大きくしっかり
立ちました。
さわやかな国日本です。
美しい国日本です。


世界で一番古い国、
第百二十五代目の
天皇様の御即位を
国中みんなで
祝いましょう。
バンザイ バンザイ
バンバンザイ