日本神話の有名な逸話に、天の岩戸の話があります。


古事記では、天の石屋戸といいますが、簡単にいうとこんな話です。


高天原に来た須佐之男命(すさのおのみこと)は、邪心があるのではないかと問われた天照大御神(あまてらすおおみかみ)と誓約(うけい)を行います。そこで、自分に邪心がないと証明するのですが、その直後に勝ちほこって乱暴狼藉を働きます。


天照大御神は、最初はその須佐之男命をかばっていましたが、その狼藉で機織女が亡くなってしまうと、とうとう天の石屋戸の中に引きこもってしまいました。


太陽神である天照大御神が引きこもられたので、世の中は真っ暗闇になりました。高天原で起きたことは下界にも影響し、天も地も全てが真っ暗闇で、禍が一斉に起こってしまいます。


そこで、八百万の神々は相談して岩屋戸の前でお祭り騒ぎをして笑い、その笑い声で天照大御神の興味を引いて岩屋戸から顔をのぞかせることに成功します。そして天照大御神の手を引いて、岩屋戸から出て来ていただくと、また世の中は明るくなったのです。その後須佐之男命は、八百万の神々の神議(かむはかり)により高天原から追い出されました。


天の岩屋戸は、日本の祭祀の起源と言われる神話の中でも重要な話です。一昨日の伊勢神宮の遷御の儀で、鶏鳴三声(けいめいさんせい)という儀式で「カケコー」という鶏の鳴き声が三回唱えられたのも、岩屋戸の神議の後に常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせたことからきています。


この神話からは、古来からみなで相談して物事を決めてきたという日本のしきたりと、笑いの好きな民族性が表れているといいます。



神話は本当の話ではない、と言う人がいますが、かつて何がしかの似たような話があってそれを物語に落とし込んだのが神話だといわれてます。そして、古の昔に語り継がれてきた神話をまとめたのが古事記ですから、実際どんなことが起きたのかはわかりませんが、伝えなくてはいけないことがあって、それを口伝で伝えてきたのだと思います。だから、本当の話ではないから重要でないのではなく、伝えられてきたからこそ重要なのです。


また神話にはその民族の特性が表れるといいますから、この神話から自分達民族の長所も短所も読み取る取説にしていくのが理想です。でも歴史は繰り返す。何度も何度も繰り返す、人間は愚かな生き物だから、歴史から学べばいいのに過ちを繰り返す。だからこそ何度でも繰り返し繰り返し神話は語り継がれるのです。


それにしても、どんなことが起きたのだろう?と考えていたら、幕末の頃似たような話が栃木県で起きていたことに気づきました。この話は戦前に教育を受けた方なら知っているかもしれません。二宮尊徳こと金次郎の話です。



二宮金次郎は地元の小田原の殿様の頼みで、その縁戚の栃木県の町の立て直しのため、そこに移り住み仕事に励んでいました。しかし、なかなかうまくいかないうえに、ある年町の人の換言により江戸に呼び出しまで受けてしまいます。その呼び出しでは、金次郎の話が通り江戸を発った金次郎でしたが、その後金次郎は栃木県の町に戻って来なかったのです。


金次郎が戻って来ないと、町の人々にはやっと金次郎の有りがたさ、町の立て直しの重要さが身にしみてわかってきました。そこで、人々が金次郎の行方を捜していると、筑波のお寺に籠っていることがわかり、皆で迎えに行きます。金次郎もすぐに一緒に戻ってくれて、その後の町の立て直しはうまくいくようになりました。結局、予定の10年より早く町の立て直しは終わることが出来ます。


岩屋戸ならぬ、このお寺隠れには江戸で練った作戦という説もあるようです。もしかしたら古事記を参考にしたのかもしれません。この場合の天照大御神は、金次郎です。そして、八百万の神々は町の人々です。そして須佐之男命も町の人々なのです。


天の岩屋戸の話に戻ると、八百万の神々は天照大御神が岩屋戸に引きこもられて初めて神議をします。それまで八百万の神々は登場しませんから、八百万の神々は何もしていなかったんでしょう。世界が暗闇に包まれてから慌てて皆で集まって相談を始めるのです。



日本では万物に神が宿るといいます。ということは、あなたも私も、回りじゅうの皆全ての人々も神様です。実際八百万の神々は、古代史に登場する豪族達のご先祖様です。つまり、ここでいう八百万の神々は今の日本人のご先祖様達ということです。そのご先祖様達は、須佐之男命が暴れてもなにもしなかった。暴れるのも問題ですが、それを放置して暴れさせておくのも問題です。そして、放置していたがために迷惑を被ったのも結局ご先祖様達なんです。


天の岩屋戸の話は、何か目の前で悪いことが起きても、解決しようとしなければ、悪いことを自ら起こしているのと同じことだということを示しています。しかも、そうすることにより、さらに大きな危機が呼び込まれてしまうのです。



須佐之男命に悪いことは全て背負わせましたが、実は見て見ぬふりをしていた八百万の神々にも罪はあったのです。


神議の後、八百万の神々は各自が得意の分野で一丸となって解決を目指し成功しました。でもどうせなら最初から解決を目指せば良かったのです。そうしていれば、須佐之男命の大罪だって防げたはずなのです。


でも言うは易し、これと似たような話は身の回りに大なり小なりあります。



例えば歴史認識について見てみぬふりをし続けた結果が、日本どころか世界中で半島の言いがかりを許す結果になりまし
た。そして今、八百万の神々は歴史を勉強し直し、真実の声をあげだしました。


伝統文化等についても同様です。突け込まれ、盗まれ、乗っ取られ、汚され、八百万の神々は自らの伝統を見直し守ろうとしています。


そして政治経済。ここが世界の危ういバランスの中で一番難しい所ですが、依然とは違った目線で、勉強している人が増え続けていると思います。なにしろ、暗黒の中から、再び安部総理が誕生しました。これも天岩屋戸そのものでした。消費税増税決定後の今後が正念場でしょうか。


いずれの戦いも、八百万の神々が一丸となることによって、より強くなれます。


あなたも私も、八百万の神々です。見て見ぬふりはもうできないのです。