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古事記の目的は、天皇の根拠を明らかにし、それを子々孫々に伝えることにあります。古事記を読むことは、天皇の由来を知ることであり、それはすなわち、日本とは何か、そして日本人とは何かを知ることでもあります。そして、古事記を読むことで、日本人の自然観・死生観・歴史観が分かってきます。日本人の伝統的な精神である大和心を知ろうとしたら、古事記を読むのが確実な方法ではないでしょうか。



二十世紀を代表する歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは「12,13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅んでいる」と言い遺しています。この言葉は、日本人が日本神話を学ばなくなったら、日本民族は滅亡する運命にあることを示唆しています。神話がどこまで史実であるかということよりも、日本人として、日本神話に何が書かれているかを知ることが遥かに重要であり、古事記の好き嫌いは、読んで理解してから言ってほしいー私はそう思っています。



『現代語古事記』文庫版「はじめに」より抜粋



平成24年は日本の現存最古の文献である『古事記』が撰録され、書物として記録されてから1300年を迎える記念すべき年であった。その前年に発刊された竹田恒泰著『現代語古事記』は、古事記撰録1300年にあわせて出版された唯一の完全新訳とのことである。現在までに14刷りを数え、多くの読者に親しまれている。今こそ古事記は読み継がれるべき日本の貴重な文化遺産として再認識されるときであるといえよう。…



古事記の序文にある天武天皇の「後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」という言について、たとえば天皇は現在のこのような時代までをも考えておられたか、のちの世をどのように考えておられたかなどに思いを馳せて1300年の長き年月を思うと、奈良時代にかかる立派な書物を誕生させた日本という国の歴史の重さにあらためて感慨を深くする。


このように私たちにとって、古事記は日本の成り立ちを学ぶ上でたいへん重要な書であるといえよう。しかし、第二次世界大戦のあと、日本神話のたぐいはずいぶんと不当な扱いをうけてきた。こういう状況に大きな危機感をもって、正しい古事記の解釈を平易な現代語に訳して世に送り出されたのが本書の著者である竹田恒泰氏である。…



古事記は奈良時代の書物であって、原文は漢字ばかりで書かれている。日本人はもともと日本語を書くための文字は持たず、文字は中国から漢字が伝わったのである。だから漢字伝来のはじめのころは漢文でしか日本のことを書くことができなかった。今使われているひらがなやカタカナが発明されたのは平安時代になってからのことである。


奈良時代に誕生した古事記は、漢字のみで日本語の表現を意図した「倭文体」で書かれている。この倭文体は、漢字を日本語のよみである訓字として用い、そこに漢文訓読をもとり入れたものであり、漢字平仮名交じりの和文体への橋渡しとなったものである。


つまり、古事記は日本語の黎明期にありながら、日本国家や天皇について、意志をもって日本語の文体で書こうとした書物だったといえよう。


今、古事記をその原文で読むことは専門家でないとなかなか難しいだろうが、この『現代語古事記』は原文を現代に活かして現在に生きる私たちの心に響く日本語で書かれている。


古事記には日本民族の信仰や自然観がおおらかに息づいていて、それが人間の姿かたちをした神々のはたらきとして語られている。


…このようなダイナミックな躍動感にあふれる古事記の神話の世界を、ぜひ、竹田氏の魅力あふれる現代語訳で楽しんでいただきたいと思う。



皇学館大学教授毛利正守『現代語古事記』文庫版「解説」より抜粋。



「古事記は日本を強くする」を読むと、古事記を読まないと国際人にはなれず、国際政治もできないのだということがわかる。つまり古事記を読んでない政治家は、日本では政治家になってはいけないということ。それほど古事記は日本人必読の書。そしてその政治家を選ぶのもまた日本人である。グローバルを追求するとローカリズムになるという。足元がしっかりせずに、いくら手を伸ばしてバランスをとろうとも、簡単に足はすくわれてしまうのです。