りす吉を妊娠する前、というか結婚後しばらくして、子どもを持つかどうかをボブと話し合いました。
ボブは、絶対子どもを持ちたい派。
自分の子ができない時は養子を希望(養子はアメリカでは珍しいことではありません)。
私は・・・・・・
とくに子どもが好きではないし(あせ)
というか、子どもというものが恐かった。
これって、私自身が子どもの時に親を見ていたその目線が恐かったのだと思います。
(今でも恐い)
でも、子どもを持ってボブが喜ぶのなら・・・
そして、もし今、積極的に行動せずあやふやなまま妊娠を避け、やがて妊娠ができない年齢になった時、私は後悔しないのか?
そんなことは自分でもよくわかりませんが、できなくなってから悔やみたくない。
という考えを、ボブに告げました。
さらにその奥には、私は38歳まで独身だったのですが、じつはずっと”普通の家族”にあこがれていたのです。
”普通に結婚して、普通に子どもができて、普通に家族で暮らしていく”。
どれひとつ実現できていなかった私にとって、こうした”普通”はいちいち”夢”でした。
だから、子どもを持つことはそんな夢のひとつ。
こうしてりす吉が生まれてきて、赤ちゃんから幼児になり、幼稚園にいき、小学校に入学し・・・・
そして今、7歳。
ある日、7歳のりす吉を見ていて、私は「ああ、この歳だったんだ、私が父の暴力に気づいたのは・・・」と思いました。
その時から、私が大学生になってもまだ父が酒乱し母に暴力をふるう様子を見てきましたが、ほんとは私が生まれる前からこの暴力はあったといいます。
母は離婚を考えていたのですが、結婚10年目に私が生まれてしまったので離婚取りやめ。
さっさと離婚しておけばよかったのに!!
と思う反面、そしたら私はこの世に生まれてこなかったわけで、複雑な心境です。
まあ、とにかく7歳のりす吉は家庭内暴力を目にすることもなくノビノビ育ってます。
それが、とてもうれしい。
あ。
4コマめで「ラズベリー」って言ってますけどこれはロバート執事にウィキ調査させたところ、
1890年代、イギリスのコックニーの俗語で fart(ブーッと音がするおなら)に韻を踏むというかダジャレとしてtart(タルト)をかけ、ついでにラズベリーを前につけて”ラズベリー・タルト” と言っていた。
やがていつのまにか”タルト”が抜け、”ラズベリー”だけが残った。
こうして「blowing a raspberry」 は口でブーッという音をたてるという意味の俗語となった。
のだそうですよ。