三ヶ根山の山頂と、篠島と、伊勢神宮の内宮(ないくう) | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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(このところ、財政問題など、お金絡みの生臭い話題ばかり集中的に採り上げており、文章の主題が偏り気味で、少々、心苦しく思っています。なので、今回は、久しぶりに、吉田拓郎さんの曲に言及して、書き始めさせていただきます。)


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 拓郎さんの『FOREVER YOUNG』という、1984年に発売された古いアルバムには、『7月26日未明』という、一風変わった題名の曲が、収録されています。この曲の作詞者は、拓郎さんです。

 僕は、「拓郎さんは、この曲の題名を『無題』にしたかったけれど、1978年発売の自身のアルバムの中に、既に、『無題』(作詞者は、松本隆氏)という曲があるので、単純に、この曲に関連する日時(例えば、この曲を書いた日時、書き始めた日時、この曲に関する着想を得た日時など)を、題名にしたのかもしれないな」と、思っています。因みに、拓郎さんは、1979年7月26日の夕方から翌朝まで、愛知県の知多半島と渥美半島に挟まれた所に位置する篠島(しのじま)で、夜通しの野外コンサートを行っています。

 ひょっとしたら、この篠島が見えるかもしれない。そう思ったからではなくて、毎年4月29日に執り行われる「殉国七士墓前祭」に、本年、参列させていただこうと思って、愛知県の蒲郡市、西尾市、幸田町にございます三ヶ根山(さんがねさん)を訪れることを、現在、計画しています。因みに、サンフランシスコ条約が、同条約23条a項に基づき発効した日時は、1952(昭和27)年の4月28日22時30分だそうです。
先ほど、Googleマップで、三ヶ根山と篠島を眺めていて、はたと気付きました。三ヶ根山の山頂と、篠島と、伊勢市にございます神宮の内宮(ないくう)が、ほぼ同一直線上にございますことに。「で、それが、どうかしましたか」と、問われれば、返答に窮するのですが。

 事後法によって、多くの日本人を、戦争犯罪人だと決め付けた上で、1948年12月23日未明、わざわざ、この日を選んで、上記の殉国七士(板垣征四郎氏、木村兵太郎氏、東條英機氏、土肥原賢二氏、広田弘毅氏、松井石根氏、武藤章氏)を絞首した連合国。
パリで、凄惨な銃撃事件が発生してから、1週間以上経ちました。人類は、なぜ、憎しみの連鎖を断つことができないでいるのか。大東亜共栄圏の考えは、正しかった。僕は、そう確信しています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則