哲学の世界には、オッカムのかみそり(Occam's razor)と呼ばれる考え方があるそうです。辞書(Merriam-Webster)を開いてみると、
「ある事象を説明するための理論が、複数ある場合は、より単純な理論を採用すべきである。=The simplest of competing theories should be preferred to the more complex.」
という考え方のことであると、説明されています。
同じ効力を有するものが、複数あって、どれか一つを選ぶとき、なぜ、より単純なものを選ぶべきなのか。僕は、「より単純なものの方が、他との親和性が高く、結果的に、使い勝手が良い(=汎用性が高い)からではなかろうか」と、思っています。
僕は、1997年の夏に、それまで利用していたパソコン通信を解約し、インターネット接続の契約に乗り換えたのですが、当時は、アナログ電話回線を使用してインターネットに接続していました(なので、インターネット接続中は、電話による通話はできなかった)。その後、ISDNを推進するNTTグループの我利我欲丸出しの対応により、他国と比べ普及が大幅に遅れていたADSLが普及し始めたので、ADSLに乗り換え、そして、光回線に乗り換え、2011年5月に、再度、ADSLに乗り換えました。
「異常に巨大な天災地変や社会的動乱」に対し、どう備えるべきか。形あるものが壊れないよう、ひたすら防護を固めることも大切ですが、同時に、全壊しても、すぐに再構築できるよう、無用な複雑化を避けておくことも、大切ではなかろうか。東北地方太平洋沖地震の後、僕は、そう思いました。
そう思い、光回線契約をやめ、再度、ADSLに乗り換えました。2011年の秋に、目の前で自宅アパートが全焼するという災害を被り、より一層、「無用な複雑化は避けるべき」と思っています。
津波は、「異常に巨大な天災地変や社会的動乱」のうちの一つであり、津波にしっかりと備えさえすれば、それ以外のことに備えなくてもいいという訳ではありません。
巨大な防潮堤とともに暮らす。もしくは、無用な複雑化を、可能な限り排し、「もし全壊しても、例えば、5年で再構築できる」という確信を持ちつつ暮らす。どちらが、より現実的で安心できる暮らし方なのでしょうか。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則