あと数週間経つと、2012年4月28日である。60周年の日である。ポツダム宣言を受諾し、連合国軍(主に米軍)によって占領され、1951年9月8日(日本時間では9月9日)にサンフランシスコ条約に署名し、翌々月18日に同条約を批准し、1952年4月28日に、米国の批准書寄託の手続きが完了したことによって同条約が発効してから、ちょうど60年である。
サンフランシスコ条約1条
(a) 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。
名実ともに戦争状態が終了した日であり、占領下において、部分的に制限されていた日本国民の国家主権が、回復した日である。とても重要な節目の日である。国家主権、短く言えば、主権。"国民主権"の主権である。主権とは、平たく言えば、統治権だと、私は解釈している。
この国を統治する権利は、日本国民全員という一つの集合体に、付与されている。この国を統治する責任、つまり、法令を整備し社会資本を整備し、今まさに困窮している国民を救い、国民が憂い少なく生きて死ねるよう、国を治める責任は、日本国民全員で負っている。
私も、日本国民全員という集合体の末席に座る者として、責任を共有している。
主権と主導権を混同している国会議員は、残念ながら、菅直人氏だけではない。サンフランシスコ条約署名60周年をないがしろにした民主党政権は、発効60周年も、ないがしろにする積もりなのだろうか。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則