子供の頃から、学校は苦手だった。算数も国語も、理科も社会科も、勉強と称して、問題を解くことを強制される。皆が一斉に、同じ問題を解く。
問題、問題と言っても、なんのことはない、既に、それらの問題の正解は、後ろのページなどに書かれてあって、そこに書かれている正解と同じ文言を、いち速く、そして、一つでも多く、解答欄に書くと褒められる。が、後ろのページなどに書かれている正解と同じではない文言を、解答欄に書こうものなら、後ろのページなどに書かれている正解と同じ文言を解答欄に書くように、あの手この手を使って、仕向けられる。
新聞を見れば、様々の事件や事故が書かれていて、そういう新聞が、毎日、配達される。小学生ながら、「世の中には、問題が山積みであるのに、それらの問題は放っておき、既に正解が後ろのページなどに書かれている問題を解くことを、全員が強制されて、それが解けたら褒められるのは、おかしなことだな」と、思っていた。だから、学校は苦手だった。
学校などで行われる試験の成績が良い人は、飲み込みが速い。「これを覚えなさい」と言われれば、それを覚えて、いち速く解答欄に書いて、褒められる。一つでも多く、後ろのページなどに書かれている正解と同じ文言を解答欄に書こうとすれば、覚えるように仕向けられた内容を吟味などせず、鵜呑みすることになるだろう。
鵜呑み人生。既に後ろのページなどに正解が書かれている問題を、数多く解けば、成績が上がり得をするから、興味がある。
しかし、現につらい思いをしている他人にとって切実な問題を、解決しようと試みても、短期的には、なんら自分の成績は上がらず得をしないから、興味がない。
4月以降、官僚から私宛に送られてきた、何通かの書面を読んだ。上記は、それらの書面を読んだ後の、私の感想文である。
神奈川県にて
佐藤 政則