先日、たまたま訪問先で手に取った朝日新聞のコラム「天声人語」の中で、コラムニスト青木雨彦さんの名を見つけ、一瞬、昭和を感じた。最近は、書店の文庫本の棚を見回しても、青木雨彦さんの作品を見つけることができなくなっていて、時の流れを感じる。
青木雨彦さんは、昭和ヒトケタ生まれのコラムニスト。コラムニストと自称される前は、新聞記者や書籍編集者をされていた。昨春にも当ブログにて書きました通り、昭和ヒトケタ世代の方はみな、多感な十代のときに敗戦を迎え、敗戦による世の中の大激変を、経験されている。
青空教室で、墨塗りの教科書(=検閲ではねられた部分を墨塗りした教科書)を使っていたことを、青木雨彦さんは書かれている。青空教室なのは、空襲で校舎がなくなったから、教科書が墨塗りなのは、GHQに命令されたからである。
青木雨彦さんは、小さい頃に「夫婦はイワシ」って何だろうと思われたことも、書かれている。昭和40年代の子供が、「重いコンダラー」って何だろうと思うようなものである。子供に、練られた味わいのある文章の素読をさせることは、子供のためにとても意味のあることだと、最近つくづく思う。
子供のときに「夫婦相和し」と言われても、もちろん、ピンとこない。しかし、折にふれ、考えるための素材になる。中学生のときに論語の一部を覚えさせられた。「矩を踰えず」という表現を、とりあえず覚えていたから、その後、折にふれ「矩を踰えず」って何だろうと、考えてきた。考えるための良質の素材を与えることと、精神的圧力を加えて考えないようにさせる洗脳とは、全く違う。
洗脳がだめなのであって、教育勅語がだめなのではないと思う。論語がよくて教育勅語が墨塗りなのは、やはりおかしい。