後の世代にツケを回す社会の、大人し過ぎる若者 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 先日、ある検定試験を受けるため、神戸市西区に位置する大学に、行って参りました。最寄り駅を降りて、徒歩で現地に向かう。街並みが、あまりに計画的なことに、少々戸惑いを感じた。
学内に入ってみて、「なんか、整い過ぎているよな、大学じゃなくて、どこかの美術館みたい」、そんな印象を受けた。もちろん、ごみが散らかっていたり、怪しげな立て看板が乱立しているよりは、整理され清掃が行き届いているほうが良い。

 テレビなどで、昔の学生運動の映像を見ると、若者と思われる人が集まり、誰かが、なにやら独特の発声で、「我々はーー」と、大声を張り上げている。「若者と思われる人」と書いたのは、多くの人が、ヘルメット、サングラス、マスク、タオルなどを使って顔を隠しているからである。

 最近の若い方は、とても大人しいという話を、よく聞く。国や地方公共団体の財政、公的年金保険の財政、原子力発電の放射性廃棄物、どれを見ても、若い方へ若い方へと、ツケを回している。大人しいのではなく、寡黙にならざるを得ないのかもしれない。
今はなき国鉄が残していった債務の額は、約37兆円で、国の一般会計に承継され国民が負担することとなった額は、約25兆円である。今もなお18兆6566億円は、日本国有鉄道清算事業団承継債務借換国債(クリック後、16頁へ)という名になり、返済の先送りが行われている。もちろん、1987(昭和62)年4月1日以後に生まれた若い方は、国鉄を利用したことはない。
 
 こういう社会を作ってきたのは、大人である。「我々はーー」と大声を張り上げていた世代の大人や、私を含むその後に続く世代の大人は、国家や国民をどうとらえてきたのだろう。整然とした大学構内を見て、そう思った。