このブログの内容は2010年の12月に書いた記事の再投稿です。

 

加古隆先生の~パリは燃えているか~をお聴きにながらお読み下さい。

 

The guns may fall silent at least upon the night the angels sang

以前、NHKの「映像の世紀」を観ていたとき、第一次世界大戦に参戦する兵士達の映像がありました。

多分、イギリスの兵士だったと思います、(イギリスは1914年の8月にこの戦争に参戦しています。)

その頃はだれもが、この戦争は直ぐにでも終わると信じていました。

  早くて2週間、遅くてもクリスマスまでは終わるだろうと....

そこには、ピクニックでも行くような、晴れやかな家族との別れのシーンも写っていました。


しかし、私たちはその戦争が

あしかけ5年も続いたことを知っています。

そして、それが「すべての争いを終結させるための戦争」(The war to end all wars)ではなかったことも知っています。


1914年12月7日に、猛威をふるい続けたこの大戦に対して、ポープ・ベネディクト15世は

交戦中の政府間に公式休戦を求めました。

「The guns may fall silent at least upon the night the angels sang

このバチカンナからの提案はドイツは受け入れる姿勢を見せましたが、イギリスは反対しました。
非カソリック教徒の多い英国では、これはあくまでカソリック教徒向けのメッセージと捉えたのでした。
国家レベルでは、この休戦提案は拒絶されてしまいました。

しかし、その月の終わりに一つの出来事が起こりました。

場所はイーペル(ベルギー)、
そこにはイギリスとドイツのそれぞれの部隊が対峙していました。
この戦争から登場した機関銃によって、それまでの馬に乗った突撃戦から、塹壕戦へと戦争の形態も変わってきていました。


両軍は、英国人が「中間地帯"No Man's Land."」と呼んだ、有刺鉄線で覆われた地域を間にはさみ、
塹壕から戦いました。

この苦しい戦争の真中に、それは起こりました。



クリスマスイブの夜に、英国人達は、ドイツの兵士達がロウソクに火をつけ、
そして彼らの塹壕の近くの木の下にロウソクを置くのを見ました。目

やがて、彼らには"Stille Nacht ("Silent Night")の歌が聞こえてきたのでありました。♪

まず、若いホームシックにかかっていた英国の兵士が
自国のクリスマス・キャ入浴物語 (New York Story) ロルを歌うことにより♪ これに応えました。

やがて、歌は、クリスマスを祝う声に変わり、さっきまでお互いに撃ち合っていた両陣営の塹壕から
兵士たちは這い出して、その「中間地帯」で共にクリスマスを祝いました。

兵士達はウイスキー、ジャム、葉巻そしてチョコレートの小さな贈り物を交換しました。プレゼント
兵士のうちの数人は住所を交換しました。
また、ともに1杯飲む者たちもいました。

そして両陣営の戦死者の埋葬と哀悼が行われました

「No Man's Land」は「No Soldier's Land」に変わり、その夜は砲撃、銃声は鳴りやみました。

入浴物語 (New York Story)
軍の規律を破ってまでも起きたこの非公式の休戦は、
クリスマスといものが自然に引き起こした現象だったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(上記のイラストと文章は 1915年1月9日の"London News"から引用しています)

 

しかし、 このクリスマス休戦以後も戦争は続き、
その休戦など無かったかのように、戦争はより激しく、泥沼状態にになっていくのでありました。
この夜の出来事は、
遠い日の 遠い国での伝説にでもなったしまったのでしょうか。

それでもクリスマスツリー

クリスマスキャロルの頃には、
共に信じて来たものが、
お互いを分裂させているものの力より強く

それが より長く続くものであることを 思い出したいものです。

 

 

※このブログの内容は2010年の12月に書いた記事の再投稿です。

 

 

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