バイオリニストの葉加瀬太郎と言えば、演奏家として作曲家として、独特の世界観を持って、確固たるポジションを確立しているアーティスト。
『情熱大陸』や『ひまわり』は、日本人なら大抵の人が耳にしたことがあるはずですよね。
色彩豊かなバイオリンの音色と現代的なアレンジやリズムがマッチして、気持ちを揺さぶられる彼の音楽。
私も好きで、披露宴のBGMにも何曲か使わせてもらいました。
昨夜は、そんな彼のクラシックコンサート。
普段のゴージャスなオケとは違い、舞台の上にぽつんと一人、クラシックの名曲からスタートです。
葉加瀬太郎ももちろん正統派クラシックを体得し愛しているわけですが、音楽家としての今の地位があるのは、東京芸大を中退してから、彼独特の感性で音楽を追求してきたところにあるでしょう。
そんな葉加瀬氏が大好きで、ピックアップしていた作曲家がアストル・ピアソラ。
アルゼンチン・タンゴを基に、これまた独特の音楽の世界を作り上げた作曲家です。
代表曲の『リベル・タンゴ』は葉加瀬氏もよく演奏されています。
この、ピアソラさん、アルゼンチンで生まれたけれども、幼少期は刺激の多い街NYで育ったそう。
そんな彼にとって、アルゼンチン・タンゴというのは古臭い田舎の音楽に感じられてしまったようでした。
タンゴに限界を感じた彼は、音楽の道を追求するにあたって、やっぱり本場のクラシックを学びたい!とヨーロッパに渡ります。
そこで、先生に言われたのが、
「君には、誰にも真似できないアルゼンチン・タンゴという武器があるじゃないか。」という言葉。
「タンゴこそが君の音楽の原点だ」と。
それまでのアルゼンチン・タンゴとは、あくまでも主役は踊りで、それを支える役割のものでしかなかったそうです。
先生の言葉を受けて、そんな「踊りのためのタンゴ」から「踊らないタンゴ」を生み出したのがピアソラ。
感情やイメージの中で踊らせ、人生を味わうことのできる独特の音楽に昇華させたのです。
(何か既成概念を打ち破って新しいことをしようとすると、やはり反発勢力に合うことが多いですよね。
ピアソラも、50歳近くになるまでは、なかなか認知されなかったようなのですが、今は死後も演奏され続ける作曲家のひとりです。
なかなか芽が出ず貧乏だった彼は、NYで最愛の父の死を耳にするが、飛行機代すらなかったために飛んで帰れなかった…そんなせつない思いを抱えてひとり、父の為につくったレクイエムが『アディオス・ノニーノ』。
そうしたストーリーで聴衆の感情を盛り上げた上で、その曲の演奏を始める、葉加瀬氏の演出の上手さもさすがです。)
さて、独自の音楽の世界というと、かのガーシュウィンも例に挙げられました。
『ラプソディ・イン・ブルー』で有名なアメリカの作曲家です。
のだめカンタービレにも使用されていましたし、これまた大抵の人が耳にしたことのある音楽。
彼はもともとジャズを学び活動していましたが、やはり正統派の音楽を学びたいとヨーロッパに渡ります。
そこで、門を叩いた先生というのが、『ボレロ』で有名なラヴェルです。
ですが、ラヴェルから「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」と言われ断られます。
そして、ラヴェルはブーランジェへの紹介状を書くわけですが、ブーランジェも
「ガーシュウィンには生まれながらの音楽的才能があり、その邪魔をしたくない」と弟子とすることを断ったそうなのです。
弟子をとってしまえばいいという考えではなく、その人の持っている本質的才能を伸ばした方がいいと示唆できるこの二人の作曲家も立派ですね。
まとめてみると、ピアソラも、ガーシュウィンも、クラシックという枠の中で競争せずに、自分がコアとして持っているDNAや培ってきた感性を磨いて尖らせたことで、世界中に知れ渡る作曲家になれたわけです。
人は、自分が持っていないものを有難いように感じ、取り入れようと必死になります。
足元の宝物を見ずに、遠くの素晴らしいと思えるようなことに心惹かれるのです。
新しい自分に出会えるよう、変化を恐れないチャレンジ精神は必要だけれども、自分を理解する、愛するってことをないがしろにして変わろうとしても、かえって十派一絡げの存在へと紛れてしまう可能性が高いのです。
自分を形作っているもの、誰にも真似できないものは何か?
よく考えてみる価値ありですね。
With love & grtitude