11月14日は、
『世界糖尿病デー』
です(でした)。

肺移植手術を受けて、ステロイド剤を服薬するようになった僕は、その副作用で「血糖値」「HbA1c(糖と結合したヘモグロビンの割合)」が急激に増加して、
術後3ヶ月目には立派な「糖尿病患者」となりました。

まさか、自分が糖尿病患者になるだなんて。

若い頃は、
「好きなものを好きなだけ飲み食いして、毎日を面白おかしく暮らして、その結果、病気になったって、べつにいいじゃん!」
ぐらいに思ってもいましたが、
いやもう、実際に糖尿病になってみてわかった辛さと煩わしさたるや。

僕の場合は、ステロイド起因で糖尿病になって、今現在は落ち着いているけれども、この先、老化によって身体が衰え、それと反比例して服薬の種類と量がもっと増えてくると、腎臓の負担もさらに厳しくなっていくことでしょう。

腎機能に障害が生ずれば、そもそものステロイド治療にだって影響するし、最悪「透析からの腎移植」だって、僕のような肺移植患者にはリスクが大きすぎるし。


若い人なんかは「糖尿病患者って自堕落な生活を送ってきたツケで病気になったんだろ。自業自得じゃん」とか思ってたりもするんだろうか?

確かに「そういう患者」も少なからずいるのだけれど、そもそも日本人は遺伝要因で糖尿病を発症しやすい民族だし、僕のように治療行為で糖尿病になった者だっている。

そして、糖尿病を患った原因はなんであれ、糖尿病になるとどんなに大変か。

毎食後にインスリン注射をする煩わしさ。
食事を制限せねばならない切なさ。
頻尿とか乾皮症(カサカサ肌)になるし。
白内障も進行し始めてるし。

こういう状況になって、やっと「糖尿病の辛さ」が理解できるんだよね。
こういう状況にならなければ、やっぱり「糖尿病の辛さ」は理解できないんだ。

僕なんかはまだまだ「糖尿病の序ノ口患者」で、
「透析」とか「血行障害」とか「視力障害」とか、
そういう辛さは、やっぱりそういう状況になってみなければ、本当のところは理解できないのだろう。


だから、
病気で辛い思いをしている人は、病気になったこともない人よりも、病気の人の気持ちが理解できるのだし。
理不尽な思いをしている人は、頑張っている仲間の気持ちが理解できる。

転んだことがある人は、転んだことがない人よりも「転びかた」と「立ち上がりかた」を知っている。

泣いたことがある人は、泣いたことがない人よりも「泣きかた」と「泣きやみかた」を知っている。

そうやって、
「それらを経験したことのない人」よりも、自分の世界はどんどんどんどんと拡がって、心は大きく育っていく。

だからね、
いま、この瞬間に、
とてつもなく辛い想いに涙しているヒトだって、
「ここにこうしていられること」
それがどんなに幸せなことであるか。
その事に気づけたら、きっと大丈夫。


「幸せなヒト」というのは、
「自分が幸せであることを知っているヒト」
なんだと思う。

「不幸なヒト」というのは、
「自分が幸せであることに気づけていないヒト」
なんだと思うんだなぁ。