悲しみの館と呼ばれる場所があった。
そこには悲しみしかなかった。
その昔、館には一頭の犬が住んでいた。
多少そそっかしくはあるが、ものごしはおだやかだった。愛想は悪くないが人づきあいがあまり好きではないので館の中で一人で過ごすことが多かった。
ある日の正午前のこと、しばらく風呂に入っていないことに犬は思い至った。
たまには身綺麗にしてから食事でもしたらさぞ心持がよいであろう。昼食にはローストしたモモ肉が既に用意してある。
犬はそう考えると、早速部屋に家の中で一番大きな桶を用意し、お湯をため始めた。湯がたまるまでの間、未だ食べていないモモ肉に想いを馳せて、胃腸のぜん動運動をゆっくりと促進させるのであった。
桶にお湯が十分に溜まった。さて早速湯あみをしようじゃないかと、後ろ足から一足、また一足と湯につかった。4足全てが桶に入ると、獣の立ち姿よろしく四つん這いで頭だけがお湯からひょっこり出た状態であった。「あぁ、しばらくぶりの湯あみで全身の血管に、血液が駆け巡っていく。毛穴という毛穴が開いていく。」心地よい感動にしばらく身をゆだねると、もう少し身体に溜まった汚れを効率的にお湯に溶かせようと、身をくねらせようとした。むむ、ちょうど尻尾がつっかえて身体の向きを変えることができない。
湯あみする程大きくはないその桶はその獣が身体を伸ばした状態で桶に入ることを許容はしたが、それ以上のことはできないようだった。「ありあわせのものなのだ仕方がないじゃないか。久しぶりに湯につかり、身体を温めることができただけでもいいじゃないか。」
そう割り切ったわずか後お湯から出ようと、前足を上げようとするがうまいこと桶につっかかってしまって桶の外に出すことができなかった。後ろもしっぽのところまでがぎりぎりで尻尾が邪魔して後ろ足を上げることできなかった。
「まぁ皆様、そう慌てなさらないでほしい。4足動物が身動きが取れないって言ったとしてもたかだか、家にあったありあわせの桶じゃないか。何大丈夫、家の中で痛ましい事故が起こる事ももちろんあるが、この通り、顔はお湯から十分で出ているし、ちょっとした調整で足があげられる軌道もあるはずだ。ゆっくりいこう。」
その後30分、40分程犬は試行錯誤を繰り返した。しかし少なくとも周りから見ると、身動きが取れなくなった直後に取った行動と同じことをひたすら繰り返しているだけにしか見えなかった。
しばらくすると犬の目にはだんだんと泪が溜まってきた。悲しくて、大声で叫びたくなった。実際に何度が叫んでみた。しかし、犬が暮らしていた館は、閑静な山のふもとにひっそりと立っているものであった。人が近くにいることはほとんどなかった。
ここで視点を外に移す。
その哀れな叫びを聞いていた存在がひとつだけあった。神であった。
「悪人でなく、大きな野望を持つこともなく、ひっそりと暮らしている犬が風呂に入って昼食を取ろうとしただけで、なぜ身動きが取れなくなり、ひとりさめざめと泣かなくてはいけないのか。それはこの世のバランスからして正しくないと思う。”捨てる神があれば、拾う神あり”という便利な経験則が人間の世界では知られている。これはひとつ世の中のバランスをとるために、ひとつ手助けをしてやろうじゃないか。しかし世の中は神と言えど、万能ではなく、存在というシステムの中の一員なのだ。直接的に犬をひょいとつかんで桶の外に出すことはできない。何かうまい方法はないものだろうか。」
犬に視点を戻す。
「神様あなたはひどいことをなさる。
邪念もなく、大きな望みもなく、昼食前に湯あみをしようとしただけなのに。どうして私はこのような状況に陥っているのでしょうか。
こんなことならば、湯あみもせずに食事をとってしまえばよかった。
すぐそこの机の上にモモ肉が皿の上にのっている。獣だから手はないけども文字通り手を伸ばせば届く距離にモモ肉が用意されているのだ。しかし、身動きがとれないのだ。」
神。
「これはよいことを聞いた。なんでもできるわけではないが、私は神だ。ご存じのとおり、天地を創造し、様々な生きものを生み出してきた実績がある。あの犬の首をキリンのようにぐいと伸ばし、机まで届くようにすることはわけないことなのだ。よしこれで万事解決した。今日もひとつ良いことができた。ぐっすり眠れそうだ。」
犬。
神が念力をかけた後、犬の首はみるみる伸びていった。もちろんその身体は桶に挟まったたままであった。びっくりしたのは犬で、さめざめ泣いていると、いつの間にか机のモモ肉に自分が近づいていくではないか。みるみると、その瞳に輝きが戻っていく。「とりあえず、これで昼食にありつけるぞ。」
ところがであった。早速食べようと首をもたげたところで止まってしまった。別に首が長すぎたわけではなく、少し工夫すれば、口元に皿を持って行くことができた。そうではなく、湯浴みする前よりも食べたいと思えなかった。いや、むしろ肉の匂いが鼻にまとわりつき、胸がむかむかした。
考えてみると、キリンは草食獣で、犬は肉食から雑食である。消化器系の仕組みがそもそもことなるのである。東洋医学では、経験的に口器は消化器系に属することが知られている。首を伸ばした拍子に犬の消化器系も改変されてしまったようだ。食欲がなくなるのも無理はない。世の中万能なことなどないようだ。
犬がその後どうなったか。救いはあったのだろうか。いろんな理不尽なことにさらされて卒倒して首から大きく倒れこんだ拍子に、重心が高くなったことで桶と一緒に倒れこみ、外に抜け出ることができた。
気がついた時にはすでに夜で、昼食を食べてないからすっかり空腹だった。目の前に冷え切った昼食があり、それを静かに食べた。長く伸びた首は元に戻っていた。肉を食べる気持ちも戻っていた。しかし、日中のあの煌めく高鳴りはなかった。
悲しいことはあるもんだ。
けどもそんなもんは笑い飛ばしてしまえば、いいのです。
どうせ明日も地球は回っております。あはは。
20121006
コメダ