ハヤカツ!30日目。

ハヤカツ!を始めて、約1ヶ月ということになりますね。

ちょうど1ヶ月ということで、少し活動内容のメンテナンスをしてみます。

以前ハヤカツメニューとして挙げていたのは、以下のもの。

1.4時に起きる
2.瞑想
3.三密
4.筋トレ
5.両手振り体操(第一)
6.ブログ
7.その他やりたいこと

で、現状1~6は、毎日ほぼ欠かさずにできています。

7ができてないんですよね…。


にもかかわらず、メニューを増やしたいと思います。


それは、


「祈り」


最近いろんなブログを見させてもらって、自分の心になぜかよくひっかかるコトバ。

祈るということをしてみると、なんだか不思議な気持ちになります。

それは、よくわからないけれど、

どこかの誰かと繋がっているような感覚。


宇宙人や超古代の昔の地球人は、テレパシーの能力を持っていたりすると聞きます。
(いまも持っている人もいるでしょうけど)

それはもしかすると、「祈り」に似ているのかもしれません。

自分と他人との境界線がなくなるというか。


そもそも「祈り」とは何だろう


「祈り」とは、誰かの幸せを願う気持ち


「誰か」とは、自分だったり、身近な人だったり、少し知っている人だったり、全く知らない人だったり


「幸せ」とは、いま、喜びを感じること


「喜び」とは、感情のなかで、一番味わいたいもの


楽しいときはもちろん、哀しいときや、どんなに苦しくて辛いときも、


「喜び」を感じることはできる


「喜び」を選ぶことができる


どんなときも、わたしの自由


「自由」とは、自らに由るということ


目の前のリアルに、何を見出すか、何を選択するか、いつもそこに自由がある



そうか、わたしの心は「喜び」を求めていたのだ

いつも、何度でも。


幸せを願うとき、喜びが訪れるのだ


喜びを見つけ出すのが難しいときも、あるだろう


だけど、難しければ難しいほど、見つけたときの喜びの大きさは計り知れない


果てしない闇の底で、穏やかに輝く一筋の光


その光はそっと言う


「我を見つけよ」


やさしい声で


その光を、”ベンジャミン”と名付けよう


わたし「おお、”Shining Ben”。会えて嬉しいよ。ずっと探してたんだけど、一体どこにいたの?」


Ben  「ワタシ、イツモココニイルネ」


わたし「そうだっけ?全然気が付かなかった。ところで、どうして顔のないお面なんてしてるのかな」


Ben  「ああコレ?この前、エンニチで買ったんダ。とってもエクセレーント!」


わたし「変なモノ買うなよ。おかげで見つけるのに苦労したじゃないか!」


Ben  「すぐに見つかっちゃったらオモシロクないダロウ、アンポンタン」


わたし「誰がアンポンタンじゃい。いや、面白いとかじゃないし」



うちのベンジャミンって、なんかカラミづらい…。

あなたのベンジャミンは、元気ですか?


※ いつも読んでいただいてありがとうございます。
  いいね!や、ご意見ご感想ツッコミなどのコメントもお気軽にどうぞ~


↓歌詞を調べてみたら、今日の内容と少しシンクロニシティしててびっくりしたので載せておきます。


いつも何度でも

作詞/覚 和歌子
作曲/木村 弓 


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに みつけられたから