貴船神社の御朱印(京都市左京区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

だいぶ前に参拝していて神社の写真がほとんど残ってないものでも、尼津彦ワールドにからめれば、記事にしやすいことに味を占めてだした尼津彦です。
 
皆様おはようございます。
 
 
三年前の三月の写真ですが、この日は雪が積もっていて綺麗でした。

 
天乃磐船とされる人工石

 
本殿へ向かう石段と御朱印

御祭神は高龗神です。
 
高龗神は水神、龍神として信仰されてきましたが、これはおそらく豊玉姫のことではないかという仮説から本日の尼津彦ワールド始まります。

もともとここは同じく水神である罔象女を祀っていたと思われます。

筑紫の豊玉彦の娘である豊玉姫は彦火火出見の正后になる方です。

子供を出産する際、本来の姿に戻るため決して覗かないでほしいと夫に強く言い産屋に入ります。

記紀などでは約束を破った彦火火出見が覗いてみると、鰐(鮫)の姿の豊玉姫がいたわけです。

豊玉姫はそれを恥じて生んだばかりの我が子を残して海に帰っていくのです。

尼津彦ワールド解釈では、彦火火出見は単に興味本位で約束を破ったのではなく、産屋から聞こえてきた我が子の鳴き声に喜び、妻への心配もあり覗いてしまうのです。
 
するとそこには、出産の疲れと安堵からか裸に近い状態で眠る妻豊玉姫の姿がありました。
 
彦火火出見は見なかったことにして、そっと立ち去りますが、豊玉姫は気づいてしまい夫に恥ずかしい姿を見られたからには一緒にいることはできない、夫や皇子の恥になってはならぬと若狭の遠敷宮へ引きこもってしまいました。
 
夫が迎えにきても頑として共に帰るのを拒み続けました。
 
彦火火出見の父である瓊瓊杵尊がこのことを憂い、豊玉姫に会いにいきます。
 
瓊瓊杵尊は、豊玉姫に恥ずべき所はなく、恥ずべきは約束を破り、女心のわからない彦火火出見であること、そして自分の息子の過ちを詫び、やさしく説得します。
 
義父の心のこもった説得に豊玉姫は心を開き、夫と我が子の元に戻ったのです。
 
この子供こそ彦火火出見の跡を継ぐ鵜葺草葺不合尊なのです。
 
鵜葺草葺不合というのは贈り名で斎名はカモヒトです。
 
鵜葺草葺不合という名は、豊玉姫の出産に産屋建造が間に合わず、屋根を完全に葺いていない状態であったことに由来します。
 
 
御朱印


シンプルで綺麗な御朱印帳