熊野那智大社の御朱印(東牟婁郡) | 神社ぢからと寺ごころ

神社ぢからと寺ごころ

寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

勝浦のマグロを食べて以来、他のマグロが水っぽく感じてあまり食べることがなくなった尼津彦です。

皆様おはようございます。

一度も冷凍しないマグロなので、全然味が違いますよ。

 

マグロってこんなに味濃かったっけ?て感じです。

 

 

ややこしいので書くのためらっていた熊野三山ですが伊弉冉尊を語るのにどうしても外せないので、がんばってみます。

 

那智大社へは幸運にも出張で行くことができました。

 

出張先が那智大社で、しかも内容が祭の視察という楽しくて仕方ない業務でした。

 

しかも隣が青岸渡寺となると、西国巡礼を始めよということでしょう。

 

 

拝殿と御朱印

 

神職さんの案内で本殿前参拝もできました。

他にも写真撮ったのですが、業務のための特別許可な部分もありそうなので、自粛します。

 

 

さて、熊野三山の御祭神といえば、熊野夫須美大神、家都御子大神、速玉大神を中心とした十二所権現(那智は十三所)ですが、本質は熊野権現です。

 

熊野信仰は、神仏習合や修験道との融合により発展しましたので、あくまでも熊野権現なんです。

 

現在も本地仏の考えを残していることから、その本質は変わっていないと思いますが、明治の神仏分離により神社として神名を掲げたものと思われます。

 

それらの御祭神の中でもそれぞれ中心となる神様がいまして、三山それぞれで勧請しあって今の御祭神配置になったようです。

 

那智大社の主祭神といえば熊野夫須美大神で、伊弉冉尊のことと言われています。

 

熊野三山での見解ですし、祀られているのは伊弉冉尊に間違いないのですが、本来、熊野夫須美とは伊弉冉尊のことではなく、熊野樟日(クマノクスヒ)のことです。

 

熊野樟日は天照大神と宗像(住吉神と同族)の娘との間に生まれた子で、反乱軍征伐で名を上げ、後に祖母である伊弉冉に付き従い、伊弉冉の神上り後は熊野にて伊弉冉を祀っていたとも言われています。

 

熊野夫須美とは祀られていた伊弉冉と、祀る側だった熊野樟日が一緒こたになった名称のように思えてなりません。

 

つづく。

 

 

御朱印


御朱印帳

 

明日は熊野本宮の記事で素盞鳴を少し語れたらなと思っています。