普通の宗教と統一教会の違いについて考えてみた。

その差がちょっとわからない。だから統一教会に入信する人が今もいるのだと思う。

 

共通点

お祓いのようなことをする。現在、または過去、または将来の危険などを取り除くために。

お金を取る。

不安を取り除くと言っている。その手法は解析的データの裏付けがないことが多い。

何かをすると良いことが起きると示唆する。多くの場合念仏などを唱えるという行為。

立派な建造物を持っている。美術的な価値がある場合が多い。

専任の指導者が必要だから寄付や献金が必要だと言う。

実際の運用経費などは公開されることがない。

 

共通点ばかりが見つかるのでこれ以上は私には分析不能。

 

根本的な相違点

以外に相違点を見つけるのは難しい。

合同結婚式をするので2世などは抜けられない。これは深刻だよね。

 

お金を取ること自体は宗教の本質ではないと思うけれど、まったくお金を取らない宗教団体は見たことがない。

逆に言えば、宗教を名乗ればお金を集めても不思議に思われないことになる。

 

私の個人的な経験では、お寺の住職や神社の神主などの家族は贅沢をしているのを頻繁にみている。

仲間同士の集まりに銀狐の毛皮で一流ブランド服、子供の大学の学費をはじめ教育費も寄付金で賄い、お茶お花習い事も寄付金。

ランチに高級寿司店。家政婦を雇い、一切の家事をしない。

時々ホームレスが頼ってくるそうだが市役所などに相談するなどの世話はせずにわずかなお金を渡すと言っていた。

 

だから、私は寺社仏閣を美術の対象としか見ていない。

ただ、法事などは先祖に感謝する機会を与えるという意味で良いことだと思うが、お盆などの年中行事は習慣として行うので寺社仏閣は必要と思わない。実際にお坊さんに拝んでもらうことはまずない。しかし、毎年先祖には感謝していますよ。

 

そもそも、お経というのはインドなど異国の言葉を中国語を通してつたえられているので意味が教えられることはないし、お経をあげること自体に意味があるのだろうか。中身を伝えなくて良いのだろうか。

キリスト教に関してはよく知らないが伝聞を疑うことは許されているのだろうか。

 

災害や事故病気などを回避する手段が全くなかったころは頼っても仕方がないと思うけど、回避できるようになってきたし、人智で回避できないなら宗教家にも回避できないのではないかと思う。

心理面の不安を取り除くのはそう簡単なことではない。人類永遠の課題だと思う。

 

とにかく、どんなに過去や「あの世」に不安や後悔があっても、金で解決できることはほとんどないと考える。

どうやって解決するのか詳しくそのお金の使い方を教えてほしい。金属が蒸発して反応するとか、熱を発生して電磁気が宇宙の果てに飛び、宇宙の初期を変更してくれるのか?

ないない。ありえない。

 

病気の不安を解決するなら、医学研究を進めてもらうために寄付したほうが良い。

精神科や心理学の研究にも寄付したほうが良い。そのほうがよほど現実的である。