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【都知事選】片山氏が包丁を持って愛人宅に乗り込んだ事も…舛添要一氏 結婚3回で子供は5人



★類い稀な男性的魅力を持つ舛添要一氏 結婚3回で子供は5人
2014.01.15 07:00

首都の顔を決める都知事選挙。有力候補の一人と見られているのが無所属での出馬を表明した舛添要一
・元厚労相(65)だ。実は舛添氏、類い稀な男性的魅力を持っているようで、「永田町イチの艶福家」
として知られているのだ。

舛添氏の最初の結婚は1978年、相手はフランス人女性だった。出会いは、舛添氏が東大法学部政治学科を
卒業後、パリ大学研究所やジュネーブ高等国際問題研究所の研究員を歴任したヨーロッパ留学中のことだった。
帰国後の1979年、舛添氏は31歳の若さで東大教養学部の助教授に就任。だが、プライベートも順風満帆と
はいかず、1981年に破局を迎えている。

1986年に再婚した相手はというと、いまや政治家として全国区の知名度がある片山さつき・参院議員だ。
片山氏は大蔵省(現・財務省)入省後、フランス国立行政学院に留学。帰国後の27歳の時、東大助教授の
舛添氏とお見合い結婚した。結婚当時は“ミス大蔵省”との呼び声も高く、後に女性初の主計官も務めた。
そんな片山氏は結婚生活について、最近のインタビューでこう振り返っている。

<舛添さんと結婚したことがそもそも間違いであったと思います。愛のない結婚をしてはいけないということ。
私の人生における大変大きな間違いだった>(『婦人公論』2013年2月22日号)
そう振り返る結婚生活はわずか2年3か月で終わりを告げる。離婚の理由を片山氏はこう打ち明けている。
<慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。「遅く帰ってきやがって!」
突然、彼は怒鳴り始めたんです>(『週刊新潮』2010年5月6・13日号)
一旦怒り始めると、舛添氏は怒鳴る、手当たり次第にモノを投げつける、そして、ある時にはいくつものサ
バイバルナイフを片山氏の目の前にズラーッと並べたこともあったという。
<彼は、ナイフの収集が趣味だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。
(中略)結局、結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、
そして彼女が妊娠中であることも分かった>(同前)

その「妊娠中の愛人」を仮にA子さんとしよう。A子さんが東大の学生だった時、舛添氏が指導教官という立場で
知り合った。すぐに「もう妻(片山氏)とは別れるから」と舛添氏がA子さんに猛アプローチ。押されるまま
付き合い始めたA子さんは1988年、男児を出産した。A子さんの知人が当時の状況を振り返る。

「A子さんの存在を知って激怒した片山さんが、バッグに包丁を忍ばせてA子さんと舛添氏がいた部屋に怒鳴り
込んできたことがありました。真っ先に部屋を飛び出した舛添氏が逃げ込んだ先は、もうひとりの愛人B子さん
の部屋だったそうです」

A子さんの子供を舛添氏が認知したのは1990年。認知するまでの2年間に、B子さんが女児を出産、さらに同時期に
他に2人の女性とも交際していたことがわかったという。目まぐるしい女性遍歴の末、舛添氏が15歳年下の
現在の夫人である雅美さんと再々婚したのは1996年だ。

なお、その前年にB子さんは2人目の女児を出産した。もちろん父親は舛添氏。その後、雅美夫人との間には、
2000年に長女、2003年に長男が生まれている。振り返ると、結婚は3回、離婚は2回。2人の愛人が産んで認知した
子3人と、雅美夫人との間の子2人を合わせると、舛添氏には計5人の子供がいることになる。(終わり)

※週刊ポスト2013年1月24日号