たまにはおりこうさんなこと書かないとね~。

 

いつも「水天龍神」とか「なまねん」とか、HSと全然関係ねーミーハー霊好き女子なこと書きまくってるので、

 

我が道つっぱしる私でもさすがにヒヤヒヤしてます。(笑)

 

 

私が書いてることは全部私の偏見ですから、くれぐれも鵜呑みにしちゃダメよ!

 

HS信者さんは、かならず地元の支部長や講師からきちんとした解釈を学んでください。(笑)

 

 

 

 

どうでもいい話ですが、先日とあるおねーさまに

 

「あんたって見た目と性格が真逆だよね~」

 

と言われました。

 

どうも、見た目は完璧主義で自分にも他人にも厳しい怖い人に見えるらしい。

 

性格はルーズとおおざっぱとユルさと甘さが服着て歩いてる人間です。(本当)

 

完璧主義で自分に厳しければこんなだらしない体型にならねーです・・・。

 

とあるおねーさまも、付き合う前は私のことをそう思ってたらしく、

 

付き合ってみたらあまりに真逆で驚いたのだとか。

 

時間守れない、決まりごとを守れない、人から聞いたこととか約束もすぐ忘れる、とりあえず笑ってごまかす、少しでもしんどいと逃げようとする!!

 

「あんたのこと、見た目とブログだけだと勘違いする人多いと思うわ。

実際付き合ってみないとこんな人間だって分からないもんね」

 

と言われて私は高速でブンブンうなづくより他なし!!!

 

時々ブログで人を脅すようなこと書いてますが、実際はそんなに人を追い込むような人間ではありません。

 

だって、人間持ちつ持たれつだから、仲良くするのが一番じゃんねー

(*>ω<)(>ω<*)ネー

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、アマさん的『智慧の言葉 仏陀の悟り』について。

 

『智慧の言葉 仏陀の悟り』は、幸福の科学の三帰誓願信者にのみ与えられる、

幸福の科学根本経典【仏説 正心法語】に収められている3番目の経文です。

 

以前、こちらで『目覚めの言葉 次第説法』をすすめたら、

 

なんと読者のとある方はその記事をコピーしてご自分のお部屋に貼ってるそうで、

 

さ・・・・参考になれば幸いです・・・・。

 

(ぶっちゃけ『目覚めの言葉 次第説法』をキチンと押さえたら大体わかる。

あの経文の破壊力もとい法力ってマジすごいです)

 

 

『智慧の言葉 仏陀の悟り』この経文も三帰信者限定経文だから、なるべくボカして書きますが、

 

まずしょっぱなからすごく大事な言葉がきます。

 

《この肉体は有限なり》

 

この言葉、ものすごく大事なので、覚えておいてください。

 

 

 

そのあと、生老病死について説明されます。

 

この生老病死の描写ですが、結局これは何かというと、

 

すべての人にくる苦しみのことですね。

 

普段、この生老病死という四苦のことを、忘れている人は多いと思います。

 

でもこれら四苦は、かならずその立場に立たされるし、

 

その渦中では、ものすごい苦しみになるのですね。

 

この「誰もが逃れることができない苦しみ」の象徴としての四苦。

 

また、この四苦の特徴として、「感情描写」があります。

 

四苦とは、現象にともなう取り越し苦労と持ち越し苦労、ネガティブ思考なわけです。

 

生・・・不安と孤独

 

老・・・後悔先ならず愚痴のみ多き

 

病・・・不平不満 疑問の日々

 

死・・・怖れおののく日々

 

私たちは、ただ生きているだけで、四苦という苦しみに苛まれている。

 

四苦の背景にあるのは誕生や老いや病気や死という現象にともなう感情。

 

ここまで理解していただけましたでしょうか?

 

 

 

そのあと、とんでもないものがきます。

 

なんと、仏陀が直接語りかけてくださるんです!!!

 

このすごさが分かりますでしょうか?

 

仏陀が直接、説明してくださるんですよ!!

 

(正心法語は全部そうだけど、そのなかでもここは特別)

 

私はこの経文の真髄はまさにここにあるといっていいと思います。

 

仏陀が直接、経文を誦む者に語りかけてくださっているという事実。

 

このありがたさを味わっていただきたいのですね。

 

さらに、大事なポイント。

 

この仏陀による語りかけの部分が、

 

一番最初の言葉、

 

《この肉体は有限なり》

 

この言葉の続きそして答えになってるんですね。

 

私はこれを知った時に思わず叫びましたね。

 

 

 

この肉体は有限であり、肉体を持つことに伴う生老病死は真理である。

 

だから、肉体から起こる苦しみ(悩み)を断ち切る刃こそ、

 

悟りの力である。

 

悟りとは、無我であり、

 

空であると説かれます。

 

無我とは、肉体や煩悩が自分ではないと悟ることであり、

 

つまり、肉体や煩悩から離れた視点・・・・守護霊や指導霊そして大我(仏)の視点こそが霊的本質の自分であるという事実にあたるでしょう。

 

空とは、霊的世界こそが根源であり実相世界という悟りであるのだと

 

そして、この世は仮の世界であると、(だから仮の世にすぎない有限である肉体への煩悩に執着しなくてもよいのだと)

 

仏陀ご自身が説いて語りかけてくださっています。

 

 

最後の仏陀の言葉、

 

救いの道は、まさしく、

 

仏陀を信じることにより、

 

仏陀から見えている視点・世界観を理解し、

 

その結果として肉体(三次元)への執着から離れるための道であると分かります。

 

仏陀自らが、私達に示してくださった救いの道。

 

それは、自分を信じ、自分についてきなさいと、

 

そして、仏陀の見ている世界観(智慧)を共有することで、

 

その人の迷いの本質も、行くべき方向も、世界の真理も、すべてを教えてくださろうとしているのですね。

 

その救いの道(悟りという智慧)に至る説明が、

 

次の『目覚めの言葉 次第説法』となるわけです。

(苦集滅道の四諦とそこに至るための実践業としての八正道)

 

 

 

 

私はこれを知ったときに、仏とはどれほどお優しい方なのかがわかりました。

 

おさむんも「総裁先生って本当に全部噛んで含めるように丁寧に説明してくださってるんだね・・・」と打ち震えてました。

 

衆生救済において天上界からの慈悲の一つとして奇跡による応急処置的救済もあります。

 

仏陀がものすごくお優しい方だというのは、

 

「慈悲」にそれが現れてます。

 

(『次第説法』中にも、ちゃんと《貧しき人への分け与え》という、慈悲行の実践が語られてます)

 

ただ、あくまで、仏陀は王道の救済としては「悟りの智慧によって自分で自分を救う道を示している」のですね。

 

 

 

 

ここは、ぜひとも理解していただきたいところだと思いました。

 

ね?『智慧の言葉 仏陀の悟り』実はすごくデカいしありがたい経文なんです!

 

ぜひとも、仏陀からの直接の語りかけを、ありがたくいただかれてください。

 

たぶんこの『正心法語』全七経文でさえも、エル・カンターレの悟りの片鱗にしかすぎないと思いますが、

 

でも、仏陀の悟りでさえも、これほどのスケールなので、

 

一体エル・カンターレの法とはどれほどのレベルなのかは、もう私は想像もつきません。

 

でも大事なのは、仏陀の法から入らねば、エル・カンターレの法は分からないということです。

 

仏陀の法をおろそかにしては、絶対にエル・カンターレの法には届かないと思います。

 

仏陀からお示しいただいた悟りの道・救いの道を、エル・カンターレに向かってありがたく歩ませていただきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めずらしく真面目なこと書いたら疲れた。

おやすみー。

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