いろんな宗教の方々のお話を聞く機会があると、

 

内部事情までうかがってみて、

 

 

「どこもあるんだなぁ・・・」

 

 

とご苦労されているということをつくづく学びます。

 

 

(詳細?話せるわけねーだろ!(笑))

 

 

 

 

職員の離反、信者のアンチ化、内紛、分派活動・・・・・。

 

 

 

 

いろんな神様がご苦労されてるんですね(涙)

 

 

普通の宗教では表に出ない分、幸福の科学はいろんなところから注目されてるとわかります。

 

 

それは、「あちらはどう対処してるんだろう」という目でもあるのでしょうね。

 

 

 

 

では、その原因はどこにあるのでしょうか?

 

 

 

 

大まかに、以下のようなものであると思います。

 

 

 

 

①職員のなかでの勢力争いや内紛

 

 

 

 

②信者同士のなかでの勢力争いや内紛

 

 

③職員と信者の関係の不調和

 

 

 

 

そう考えてみると、やはりどの宗教でも、「人間関係や人間の感情によって、離反やアンチ化」が起きるというのがわかります。

 

 

 

 

さらに、この三つのなかにある動きを分けてみたいと思います。

 

 

 

 

 

①相手への過度な期待と、それが裏切られることへの失望・強烈な不平不満、

 

 

 

 

結果的に、対象への不満を宗教そのものへの不満にすり替える

(これは親子関係問題にも類似しています)

 

②「これだけやったのに評価されない」ということへの恨み・不平不満

 

結果的に、対象への不満を宗教そのものへの不満にすりかえる

(これも親子関係の問題に類似しています)

 

③勢力争いや論争での敗北への不平不満と恨み

 

(これも意外に多い。自分が正しいという証明のための論争や争いに負けたときに、自分の非を認めたり水に流すことができず、結果的に「こんなトラブルにつながったこの宗教自体が悪い!」とすり替えてしまいます)

 

④その宗派にまつわるネガティブな情報を鵜呑みにしてしまう

 

(あとでそれが嘘・誇張の情報だと分かっても、地元の支部には戻れない例も多い。

私が知っている例で、数年後に遠くの地域の施設で隠れて再入信した方がいます)

 

⑤自己保身や嫉妬のためにトラブルを招き、それが露見して、「この宗教がそもそも悪い、自分は悪くない」と

 

責任をすり替えてアンチになる場合

(これもごくわずかですがいます。③と⑤は、属していた宗派へのアンチ活動が異常なまでに活発なのが特徴。、自分の非を認めるわけにいかないという思いから、宗派のことを貶めることにもはや生きがいを注いでいる状態)

 

 

 

 

意外なのは、「奉仕」「布施」「献身」を学ぶ宗教においても、

 

 

 

 

 

「報われなかった失望」

 

 

「一方的な期待が裏切られるということへの失望」

 

 

での離反が非常に多いということですね。

 

 

ここに、「無私無我の奉仕」という境地がいかに難しいかがわかります。

 

 

 

 

では、上記の理由から、属していた宗教から離反し、

 

 

 

 

さらにアンチ化してしまった元職員・元信者に対しての対処法とは、どうするべきでしょうか。

 

 

これは、段階的に対処するべきと感じます。

 

 

 

 

 

宗教をやめた方に対して・・・・・

 

 

 

 

なるべく今までどおりのお付き合いをする。相手様がイヤがるのなら、相手様のお気持ちに応じて適度に距離感を保つ。すくなくとも、こちらから避けるようなことはしない。

 

 

アンチになった方に対して・・・・

 

 

なるべく関わらない。相手様はすでに「自分からすすんで属していた宗教を悪し様にする」という、倫理的にも社会的にもおかしいことをおかしいと思わない、異常な状態になっているので、関わることは危険であると判断したほうが良い。倒錯状態が理解しづらいのなら、「属していた宗教」を「元いた会社」「自立するまえに暮らしていた自分の家族・家庭」「前の恋人」「お世話になった上司」と置き換えるとわかりやすいかと思われる。

 

 

アンチ情報をひろげている方に対して・・・

 

 

なるべく関わらない方がよいが、あまりに事実と異なる捏造・嘘・誇張・名誉毀損・侮辱にあたる内容を流布している場合、ICレコーダーによる録音、携帯カメラによる撮影、ウェブ魚拓やスクリーンショットによる書き込みの保存などをして、宗教本部や警察に被害届を出す。

個人での動きでは動かない場合も多いので、集団での訴えという方法もありうる。

 

 

 

 

 

原則、宗教とは「罪を憎んで人をにくまず」という考え方が前提にありますので、

 

 

 

 

 

 

「アンチになっている元職員・元信者に対する懲罰的な動き」が各宗派共通で弱いのは仕方ないと思われます。

 

 

なので、宗教本部機能としての働きに期待するよりも、

 

 

信者間での連携によって、情報を集めたり、それを各関係機関に提出して対処を仰ぐなど、その都度に対処していくのが、間違いのない方法であると感じます。

 

 

ただ、これからはネット上の情報管理やネットリスクへの対処が様々な場所で厳しくなってきておりますので、

 

 

ある一定以上の事実と反する情報の流布に関しては、宗教本部としても、社会的秩序の観点からの法対処を粛々とすすめていくほうが、より社会良識と合致しやすいのではないかともいえます。

 

 

 

 

 

しかし、最終的には、

 

 

 

 

 

「どのような方向性であっても、離反者は必ず出る」

 

 

ということを認識した上で、

 

 

より素晴らしい情報を発信していくということが最も重要であると思います。

 

 

そして、情報を受け取る側には、

 

 

「情報をどう受け取るかは、すべて自己責任」であるということを、

 

 

理解していただくことが、大切であると感じます。

 

 

 

 

 

 

どのような宗教や組織にも必ず起きる離反・アンチ化。

 

 

 

 

 

 

最終的に、社会的信用を得るのはどちら側であるかと問えば、

 

 

それは、「どちらの言い分が正しいか」ではなく、

 

 

「どちらがより多くの幸福や社会良識に奉仕する側であるか」であると感じます。

 

 

それは宗教間やライバル会社間など、どのような競争でもおきることであると感じますけれども、

 

 

私達は、より多くの幸福に奉仕する側でいたいですね。

 

 

ネガティブな情報の是非の論争よりも、積極的幸福の創造というテーマで、競争できるといいなぁと思います。

 

 

世界がそうなれば、きっとこの世界は平和なんでしょうね。

 









 

 



 

 

 

 

 

 

 


私が郷土奄美の悪口をネットに書き始めたら、アンチさんと同じ状態。