ロカビーとヒルビリー、

ロックンロールとロックの違いは毎年質問されるところですが、

私なりに、アメリカの差別社会を意識しているのか、いないのか、

また差別される側の気持ちにたっているのかいないのか、

という「アーティストの意識で分類する…という仮説がたつと思うのですが、自分なりに仮説をたててね」

と、答えるのが精いっぱいです。


しかし、日本においては、雅楽以前からはじまって、

すべてが不良音楽から芸術へつながっているので、

どんな「ジャンル=音楽様式」であっても、

おとなしい社会へのアピールや接点だろうと思っていますし、

オーディエンスの真面目の裏にかっこつけのための快感を求める時間・空間だった。


さて、私の実母は、クラシック大好きなのに、

エルビスのレコードを大切に持っていたり、

ウエスタンカーニバルも楽しんでいたらしい。

彼氏(私の父)も、リーゼントでおしゃれだったし(当時。今はダサいかも)


私は、子どものころ、エルビスの粘っこい歌唱が嫌いだった。

さらに、ロカビリー三人男は、こんなにヘタなのに、かっこよく見える不思議さ。

そして…じいちゃんに近づいていくと、どんどんかっこいいと感じるようになった。


たぶん、「憧れ」を失わないオヤジだったからなのだろと思う。

本家プレスリーより、かっこよく感じた理由だろうと思う。


私の実母は、「山下敬二郎さんって、軽いけれど、

落語家の息子さんなので、身軽なのよ、って。


さらに私が高校時代、ささきいさおさんを褒めていたら、

実母は「ロカビリー三人男の弟みたいな人だった」

と、正確なコメント。

今、『宇宙戦艦ヤマト』実写が上映されているのが、虚しい。

日本の戦後多重層がクローズアップされてきたみたいで。


YOUTUBEで、私が観たかったものは、動画としてUPされていなかった。


50年代アメリカンポップスの日本的再表現において、

山下敬二郎さんの存在を再認識・再評価されるべきだろう。


山下敬二郎さんのご冥福をお祈りいたします。