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あけまして、おめでとうございます。
ご無沙汰の投稿となりました、実家暮らしのむらえもんです。
行政法の試験を乗り切ってからというもの、2016年という一年、さらには今後自分のたどりたい未来について思いを馳せているうちに、試験勉強が滞り、昨日今日と法哲学の授業の書き起こしに追われているという有様です(笑)
絶対、今日中に終わらせる(充血)

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とはいうものの、
新年、心機一転ということで何か書いておこうと思い、久しぶりにブログ投稿画面を開いております。Facebookでもいいかなと思ったのですが、友人たちの熱のこもった投稿でオーバーヒートしそうで逃避としてブログに投稿しようかと。

僭越ながら昨年2015年の総括と、今年2016年の抱負について述べさせていただきます。
昨年は、ひとえに「出会い」の一年であったように思います。
大学3年生にもなって何を今更と言われるかもしれませんが、実際は前々から身近にあったものの輝きに気づいたことを思えば、あるいは「発見」と表現する方が正しいのかもしれません。

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2つ挙げます。

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ひとつは学問との出会いです。
小学校、中学校、高校、大学。方々様々な助けもあって、”順調に”学歴社会の階段をのぼってこれたように思いますが、昨年、学問との出会いを果たしたような気がします。
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If I have seen further, it is by standing on ye shoulders of the Giants.
もし私がかなたを見渡せたとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に立っていたからだ。
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アインシュタインが述べた言葉、古代ギリシアの昔から言われている例え。昨年はその巨人の存在に気づいた1年でした。

私は思考において、実践と実感を重んじる方です。能動的に理論の確立へと勢力を出すというよりは、様々に経験を積み、その中で触れた事柄に抱く反響的な感情を起点として考察を加えることの方が多いでしょう。
しかし、だいたいにおいて自身が疑問に思い、考え、至った結論は、すでに見ず知らずの他者が提示しているか、あるいは同様な事例において指摘されていたことと同視できるように思いました。
それらを己の感覚で掬い上げ論理で構築したかとと考えれば誇れるような気もしないでもありませんが、先人たちの事績に比べると稚拙に過ぎ、また、すでに他者が同じことを述べているのならば所詮は二番煎じでしかないのです。
巨人の存在を認識するとともに、巨人の偉大さを知り、それと同時に巨人への興味を強く抱いた一年でした。

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次の出会いは尊敬できる生き方でした。
個人名はあえて出しませんが、偉大なる御二方との出会いがありました。
強く己の信念を持ち、燃え上がり、行動する。
その行動形式が実務なのか、文筆なのか、その違いこそはあれどその根本は変わらない。

様々なニュースを見聞きし、様々なところに出向き、多様な立場からの主張を聞き、悲しいかな
人は分かり合えないのではないか、努力のあとには虚しさしか残らないのではないかという考えに陥ることは正直少なくありませんでした。

従軍慰安婦の問題だってそうです。こんなことを書いたらどう思われるか知りませんが、安倍総理の謝罪と日本政府の基金への拠出という合意の発表の後に報道された、韓国による従軍慰安婦のユネスコ記憶遺産登録への動き。
これを”ぶり返し”、つまり協定違反だと反発する人が散見されましたが、なにをいうのかと。
従軍慰安婦問題につき政府の責任があるか否かは判断しかねますが、
負の遺産、原爆ドームはアメリカへの非難という意味しか持たないのですか?核兵器の使用という悲劇を世界共通の痛みとして受け入れる、その決意が込められているはずです。
記憶遺産登録が韓国側が将来的に切り札として用いることの蓋然性が高いとしても、非難するべきは悲劇を繰り返さないという決意たる登録そのものではなく、その意味をはき違えた外交的使用でしょう。
あーあ、もうやってられねぇ、と思うのはおそらく1年前の私。

でも、彼の御二方は同じ情報を起点としても強く立ち向かう。
その一方私は21歳という若輩。
別に60代の方々を年寄り扱いするという意味ではありませんが、「自分よ、ふがいないぞ、奮い立て。」とは思うわけです。少なくとも煮えたぎる情熱は、年配者よりも熱くありたいではありませんか。
中途半端では終われない、貫徹しているからこそカッコいい、どうせならばカッコいい生き方をしたいよねと思った昨年でした。

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さて、2015年の振り返りが長くなってしまったようです。
こちらも昨年出会った、大好きな小説『風と共に去りぬ』において、その主人公が苦境に立たされた時に述べる名言"Tomorrow is another day"。邦訳の「明日は明日の風が吹く」が有名ですが、積み重ねる年月、やはり明日と今日を分けることができなければ、今年と去年を分けることは不可能に思えます。

今年2016年の抱負としては、自分の好奇心そのままに、前進あるのみ、とにかく楽しんで行きたいと思います。
来年のやるべきことって何かな?と列記してみて、年始早々、3月まで非常に慌ただしく困難な日々が続くことが発覚し、私は果たして生きながらえることができるのか、そう戦々恐々としてはいるのですが、自分の信念を曲げることが一番自分を苦しめるということに昨年気づいてしまった以上、強く強く進んでいきたいと思うのです。
挑戦に際して、己の不甲斐なさを強く認識することも少なからずあるでしょうが、他人に不慮の迷惑をかけることは避け、不屈の精神でまい進したいと思います。

その上で2つほど、来年の自分に振り返るキーワードを提示したいと思います
①信念を曲げませんでしたか? ②後ろを向くことはありませんでしたか?

今年もどうぞよろしくお願いいたします。