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2016年05月28日

オバマ大統領の広島訪問 ー私たちは人類という、ひとつの家族の一員ー

テーマ: ├今、伝えたいこと

(在日米国大使館より引用)

こんにちは。鈴木真奈美です。

熱い想いと涙がこみあげてきました。

すべてが歴史的瞬間。

71年前に起きた人類史上最大の悲劇は、私たちの想像をはるかに超えたものだったことでしょう。

71年前に、被爆し、
愛する家族や知人をなくし、
壮絶な苦痛を味わい、
最も憎いはずの国の大統領とも、笑顔で握手を交わし、抱き合える。

最も悲惨な出来事が起きても、人は許しあえ、未来を共に歩いていけるのだという、希望と可能性を感じました。

平和を願うたくさんの方が待ち望み、
実現に向けて、たくさんの方が奔走され、努力を積み重ねたからこそ、実現したこの日。

歴史的に残る一日だったと思います。



(お写真は、朝日新聞Webより引用)


叶うなら、原爆資料館の滞在時間がもう少しあれば・・・・という想いもないわけではありません。

長崎の被爆された方たちの想いも、いかばかりかと思います。


でも、「広島訪問」という実績だけが目的なら、さっさとスピーチと献花をし、立ち去ることも選択肢としてあったでしょう。

それでもオバマ大統領は、最初に原爆資料館を訪れ、自らが折った折り鶴を、小中学生に手渡されたそう。

原爆慰霊碑に花輪を捧げた時は、10秒ほど目を閉じられた。

5分という予定をはるかにこえた17分のスピーチ。

さらに被爆者の方にも挨拶された。

短い時間で、できる限りを尽くしてくださったのだと思います。「謝罪」という形はなくとも、大統領の「心」が伝わってきました。

∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥
●私たちは、変わることができる。

核保有国は、恐怖の論理からぬけ出す勇気をもち、核兵器のない世界を目指すべきです。

●すべての人命は、かけがえのないものです。

私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。

これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

●広島と長崎が核戦争の始まりとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりだったといえる未来にしよう。


(大統領スピーチより、一部引用)
∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵


このた「私たちは一つの家族の一部である」という言葉は、まさに地球ファミリーだなぁと感じました。

●地球ファミリー

この表現が、特別なものではなく、当たり前のものなってほしい。


政治的背景はあると思いつつも、今回、日本側が謝罪を求めなかったことも、価値ある尊い選択だったと思います。

共同通信が事前に、広島・長崎で被爆された方に実施したアンケートでも、78・3%が原爆投下への謝罪を求めないと回答されたのだそう。

日本という民族の懐の深さと品格を感じました。

執拗に、声高に、いつまでも謝罪を求めるより、無言で、静かに迎えたほうが、品位が感じられる。

そして、「知る」ことから始まると思うのです。

世界中の多くの方が、広島や長崎を訪問してくださることを願わずには、いられません。


以前、「がんばらずに、ぐんぐん幸運を引き寄せる方法」にも載せた、以下の言葉。

『あなたが生きている今日は、
誰かが生きたくても生きられなかった一日。

かけがえのない今日という日を、大事に生きたい。』


この重みを、あたらめて、実感しました。

今日という平和な日は、
先人たちの尊い犠牲の上に成り立った奇跡の日。

未来の平和につなげていけるよう、70億分の1から始めていこう。


最後に、昨年から何度もお伝えしているように、今年は「始まり」と「終わり」という節目が、いたるところで起こります。

日本の神域、伊勢でのサミットに続き、今回の広島も、日本のひとつの「終わり」と「始まり」なのでしょう。

この辺りのお話も、夏至の瞑想会でお届けしたいと思っています。

【キャンセル待ち】6月20日満月&夏至の瞑想会

私も私のできることを、私の居場所で、心をこめて。

お会いできる皆様、楽しみにしています。


鈴木真奈美


===============
PS:和訳と原文を引用させていただきます。

和文は若干、誤訳もありな気がしますが、響きます。

それ以上に原文は、一言一言に圧倒的な力を感じます。

(和文は、Huffingpostさん、英文はニューヨーク・タイムズ紙さんからの引用です。下部にリンクもはっていますので、よかったら)
===============

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と火の玉がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、10人ほどのアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、本質を見るように求めています。

広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たちの同類に対して使ったのです。

富をもとめ、また民族主義や宗教的な理由からも悲惨な戦争が起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。人々が奴隷になり、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。それが人類の歴史であります。

第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから戦争も出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されました。そこには制約が働きませんでした。

ほんの数年の間に6000万もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。

世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。

しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。

いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。

私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いています。しかし、それが決して人を殺す理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。

科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。

現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。

私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。

言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。

いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。

あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。

アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。

国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。

制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。

私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。


(huffingtonpostより引用)
ーーーーーーーーー
The following is a transcript of President Obama’s speech in Hiroshima, Japan, as recorded by The New York Times.

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner.

Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors having learned to make blades from flint and spears from wood used these tools not just for hunting but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered, a countless toll, their names forgotten by time.

The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.

In the span of a few years, some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.

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Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction. How the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our toolmaking, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause.

Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill.

Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats. But those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.

Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos, but those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.

The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.

That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war and the wars that came before and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

Some day, the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of Aug. 6, 1945, must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.

And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed people and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that work to avoid war and aspire to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.

Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we form must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.

We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics.

And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mind-set about war itself. To prevent conflict through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun. To see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition. To define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps, above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.

For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the hibakusha. The woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself. The man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.

My own nation’s story began with simple words: All men are created equal and endowed by our creator with certain unalienable rights including life, liberty and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family — that is the story that we all must tell.

That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love. The first smile from our children in the morning. The gentle touch from a spouse over the kitchen table. The comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago.

Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. When the choices made by nations, when the choices made by leaders, reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.

The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.

(ニューヨーク・タイムズ紙より引用)
ーーーーーーーーー


生きとし生けるものが幸せにありますように。



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2016年05月25日

自分の本音に気づかず、相手に振り回されてしまうのは?

テーマ:●グループ・メンタリング【感想】


(↑私が育てたバラです)


相手と話している最中に、何となく覚える違和感。

「あれ?なにかモヤモヤする・・・・??」

「うまく言えないけど、なんか、違う気がする・・・」

その時は、なんとなく相手にペースを合わせてみるものの、一人になると、さらに高まる違和感。

あれ?あれ?

そして、時間がだいぶたってから、やっと気づく本音。

「あーーーー、私、本当は、こうしたかったんだ」

「あーーーーーーー、本当は傷ついていたんだ」

「私、あんな風にされると、嫌なんだ」

「あんな風に言われると、居心地悪いんだ」

「許せーん!」「腹たつー!」

(・・・と、相手がいなくなってから気づく 笑)

できれば、相手と直接会っている時に、タイムリーに対応できたらいいのに、どうして時間がたたないと、自分の気持や意見に気づけないんだろう・・・・??

気づくと、自分の本音と外れて、相手に振り回されてしまう・・・・・。


そんなお声をよく聴きます。

理由は、2つあります。


ひとつは、長年、自分の気持に意識を向けるより、「常識」「世間の目」「親の期待」「普通は」を気にして生きていたので、自分の気持がわからなくなってしまっている時。

自分の人生なのに、その自分が、何が必要か、何が嬉しいか、何が嫌なのか、すぐにわからなくなっている状態。

他人軸で生きてきたため、感度が鈍っているのです。


そしてもうひとつは、そもそも、「思考が深い」人の場合。

感覚の豊かな人が、数秒で決められることでも、
思考が深い人は、1日くらいかかるのです。

いい悪いじゃなく、そもそも、そういう思考回路なんです。


たくさんの人と関わる中で、振り回されないで生きるには、

自分の本音に気づき、正直に、自分軸で生きること。

そしてもうひとつは、自分の強みや特性を知ること。


自分を知るほどに、
相手も尊重でき、濃く、豊かな関係を築けるようになっていきます。




ありがたいことに、来期のグループメンタリングのお問い合わせを、多々いただいています。

まさにテーマは「本来の自分に還る」。

このコースでは、自分軸や魅力を明確にし、使命を引き出していきます。

「自分軸」を明確にしていくので、自分の気持に気付きやすくなったという方も多いです。

6月3日のメルマガでご案内できるよう、丁寧に準備を整えています。


そしてもうひとつ。

グループメンタリングの卒業生向けのコースも、いよいよ完成間近です!!

こちらのテーマをアップできるのはもう少し先になりそうですが・・・・

数年、試行錯誤した分、私の学びのすべてを投入した、熱く、濃いコースになりそうです。


今日も幸せな一日となりますよう。


PS: 冒頭にも書きましたが・・・今日のお写真は、私が育てたバラです。

手をかけた分だけ、
冬の寒さを乗り越えた分だけ、美しく咲き誇る。

見ているとエネルギーをもらえます ^^

幸せの分かち合い。

そろそろ、シーズンが終わりそうなので、近日中に、アップできたらと思っています ^^



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2016年05月24日

本音で、自分を生きる大切さ

テーマ: ├コーチとしての想い


グループメンタリングの卒業生 めぐちゃんから、いただいたメッセージです。

ーーーーーーーーーーーーーーー
セミナージプシーのように、色々なセミナーに参加してきましたが・・・・

グループメンタリングは、私にとって格別でした。

学ばせていただいたことが、コースが終わってからもじわじわ染みてきて、生きるのがとても楽で、楽しいなぁと、最近よく思うようになりました。

真奈美さん、覚えていますか?

コースで仲間のTちゃんがすごく勇気を出して、自己開示し、大きく変化した時、真奈美さんは、ぶれることなく、強く、愛情深く、関わってくださったこと。

本当にまっすぐでした。

ああ、この人、本気で、本音なんだなぁと。あの姿が、とても鮮明に残っています。

ああいう場に身をおいて、色々なチャレンジをしてきたおかげで、ようやく「自分」を表現し始められるようになってきました。

私はずっと、いい子、いい人になりたく、自分を抑え、諦めてきましたが、もうそれは過去のこと。

人目を気にして、本音で生きないから、疲れれたんだろうなぁと。

本音を言うようになり、失った人間関係もありましたが、
本当に大切な人たちは残りました。


自分の人生。自分らしく生きていこうと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーー


本音でないと、疲れてストレスがたまってしまいます。

良い子、いい人をやめ、
人から良く思われようと、考えないほうがいい。

自分を整えて、精進していくことも大事ですが・・・・・
抑えても、我慢しても、凹は変わらないものです。

それなら素を出して、本音をさらけ出したほうがいい。

本音で、「私はこういう人です。これで悪かったら、もうお好きに」とさらけ出していくと、素で人とつ
ながれるようになってきます。

どんな自分で生きていても、
相手は相手の尺度で、勝手に判断していきますから。


今日も豊かな日になりますように。


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$自分磨きはもう卒業! がんばらずに、幸運を呼び込む方法 ~夢をかなえたい&幸せになりたいあなたへ~実績

ICF国際コーチ連盟認定プロフェッショナルコーチ(PCC)。

大手メーカー役員秘書、組織風土改革コンサルティング部門での幹部研修講師&コーチを経て、2010年独立

・個人セッションは1800人以上待ち(9割以上が口コミです)


・クライアントさんは 北海道~沖縄から、 アメリカ、カナダ、フランス、ハワイ、インド、バリ等 海外まで。


・著書に「がんばらずに、ぐんぐん幸運を引き寄せる方法」「自分史上最高の幸せを呼びこむ方法」「私に生まれてきてよかった」と心から思える本。 (2016.3.1.現在)





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