横浜公園
http://www.natsuzora.com/may/park/yokohama.html
横浜地方裁判所での傍聴を終え、
山崎洋子さんが、興味津々に語った開港時の遊郭の存在を知らしめる
燈籠が横浜公園にあると言われて、向かうことにした。
燈籠の近くにある標識には、冒頭に
横浜公園一帯は、江戸末期、入海であったことが記されている。
続いて、安政3年(1856)に埋め立てられた大田新田は
1万5000坪の沼地であったこと、そこを港崎(みよざき)町と命名し、
「岩亀楼」を開業。国際社交場として栄えたとある。
また、慶長2年(1866)には豚屋火事で焼失し、外国人の要請で
跡地を公園にしたとの事である。
20年以上前、この近辺に住んでいた私は、こうした歴史的な事実を
全くといって知らなかった。
象の鼻地区から、日本大通を通って横浜スタジアムのある横浜公園への
道なりは、開港時へと繋がるモニュメントなのだ。
歴史を知ることは、想像力をかきたてる。