昭和29(1954)年11月03日

日本で初めての特殊撮影を多用した

「空想科学映画」

でありますところの

「ゴジラ」

が封切られました

 

平成28(2016)年の今日

この白黒映画を見ると

例えば

合成の稚拙

音響効果の脆弱

など

「時代」

を感じさせるところが

ございますけれども

「黒い恐怖」

その迫力や

巻き込まれて行く民衆に

垣間見えるリアリティ

カメラワークどうたら

シナリオどうたら

の前に

「完成」

したる作品を痛感するのです

 

P7290057←映画は1/25模型、これは1/150。

 

その後

日本の映画界は

こぞって

「怪獣映画」

「空想科学映画」

を製作し

今日もそれは続いております

 

加えて

フィルムエンターテインメント

の本場であります

米国にまで

権利が買われて

「ゴジーラ」

まぁ沢山作られている訳で

 

父方実家が

浅草は浅草寺の真裏

だった小生は

この親戚宅へ遊びに参りまして

「映画」

を見るのが好物でして

浅草六区に軒を連ねていた映画館

そこへ連れて行ってくれい

祖母にねだったのは一度二度では

ございません

 

この

「ゴジラ」

ファンタジー映画

となってしまってからは

年齢が上がったせいなのか

見に行きたいとも思わず

趣味も怪獣から鉄道へ移り

疎遠になっておりましたが

 

それでも時々

DVDでそれらを見るのが

まぁ楽しい時間

ではございました

 

「1954ゴジラ」

は別格として

それ以外に見ますのは

「地球防衛軍」

「海底軍艦」

「ゴジラVSビオランテ」

くらい

 

中年を過ぎた頃から

「1954ゴジラ」

明らかにその後の

「怪獣映画」

「空想科学映画」

と違う

「空気」

を持っている事に気付きまして

 

そして三年前に確信したのです

 

「日本人は本物のゴジラを知った」

事に・・・

 

昭和29年春

突然製作が滞った映画の

「穴埋」

として浮上したのが

「巨大生物が東京を襲う」

とした企画で

田中友幸(プロデューサー)

本多猪四郎(本編監督)

円谷英二(特殊技術)

が練った企画を

森岩雄(東宝製作本部長)

が強力に推進し実現したもの

 

わずか9年前

日本は大東亜・太平洋戦争に負けて

2年前まで連合国の占領状態にあり

4年前に

朝鮮半島で勃発した戦争は

まだその硝煙の匂いを

消し去ってはいませんでした

加えて

第五福竜丸事件

など

戦争が終わってもなお

「核兵器」

による民間の犠牲者は出ており

国政も汚職だ政争だと忙しく

 

一応

新憲法により

「恒久的平和」

を宣言し

「戦争」

が縁遠いものになった

「錯覚」

していた国民達は

それでも

「漠然たる恐怖」

を肌で感じていた

そんな時代です

 

本多猪四郎監督は

戦時中に招集され

戦闘現場を体感しただけでなく

引揚途中で広島の惨状も

見たそうです

 

円谷英二・森岩雄の両氏は

共に

「戦犯等公職追放」

に指定され

特に円谷氏は

困窮した生活を

余儀なくされておられました

 

「1954ゴジラ」

の画面に満ちていたのは

怪獣に対する恐怖でも

怒りや憎しみでもなく

「漠然とした恐怖」

それは

憲法で守られているとは言え

依然として

核兵器や戦争の恐怖に

翻弄される民衆の畏怖

そのものでございます

 

一方で

「1954ゴジラ」

その後の作品群などに比較して

「人間ドラマ」

のカットが多く

例えば

通勤の国電車内で交わされる台詞

「また疎開かぁ」

強いリアリティを感じます

 

その後

特に平成ゴジラシリーズなどでは

ファンタジー要素が強くなり

「魔法的描写」

が見受けられますが

「1954ゴジラ」

では

その「二点の大嘘」

つまりゴジラなる巨大生物と

それを葬り去った

「酸素破壊剤」が

科学的・物理的に無視されて

「存在」

するものですから

その周囲は極めて現実的で

「漁業補償陳情」

だの

「生物としての食性」

など

「初めて」

なのにどうしてこうも

裏付けの骨が

しっかり描かれているのか

不思議でした

 

原作を書いた作家の香山滋氏は

試写会の際に

「ゴジラに同情して号泣した」

と記録があり

また

メインキャストの

俳優・宝田明氏も

「ゴジラにシンパシーを感じた」

と・・・

 

憎むべき人間の敵・ゴジラ

それを生み出したのは人間

 

この主軸がブレなかった

事が

画面に満ちる

「黒い恐怖」

を際立たせていた

そう今は考えております

 

ところが

平成23年03月11日14時46分

日本人は「ゴジラ」を

「漠然とした恐怖」

ではなく

「厳然とした苦悩」

として痛感するのです

 

「酔い」まで起こす強く長い動揺

静かに増えて全てを流す津波

沈鬱な暗闇の中黙々と歩く人々

愛するものを奪い去った

憎むべき・・・

しかし

その憎しみの拳をぶつけられない

「自然災害」

そして

その後も続く放射能との戦い

 

まさに

「黒い恐怖」

です

 

そして緊急地震速報のチャイム

直接「ゴジラ」では無いものの

「ゴジラ」

を語る上で除外など出来ない

作曲家・伊福部昭氏による楽曲が

モチーフとなっているとか

 

その後のゴジラシリーズが

「ゴジラ映画」

なのに対して

「1954ゴジラ」

「人間の本質」

を問いかける

「社会派ドラマ」

である

その違いはかなり大きいと存知ます

 

また日本で「ゴジラ」が公開され

米国でも「ゴジラ」が作られているとか

 

個々の作品は

個別に評価されるべきです

「1954ゴジラ」

で先人達がエンドタイトルの

その裏側に打ち込んだ

「ゴジラを生んだのも人間

しかし

ゴジラを倒したのも人間」

つまり

誰か特定の立場や職務の人間を

賞賛するものではなく

「その恐怖も苦悩も人間は克服出来る」

人間の持つ本質を

「ゴジラと言う鏡」

を使って映した作品と

小生は味わっております

 

この

「人間」

を理解しないままで

作られた脚本が

どれだけの人間を揺さぶるか

難しいものです

 

先人達は

伝承でも

テレビでも

ユーチューブでもなく

その

「現場」

「恐怖」

そして

「人間の強さ」

自身が体験し視認し

それが脚本に織り込まれて

いるのです

 

とにかくも後に続く者が

「1954」

を超える事は

そう簡単では無いと存知ます。