ご案内申し上げます。こちらは安房守義将の愚痴満載でございまして、お見苦しい点が多々ございますが、何卒予めご容赦下さいませ。また当該情報をご覧になりました上で発生する如何なる破損・事故・病理等においてその責任は一切負いませんのでご留意下さいませ。



特定非営利活動法人交通文化連盟一般寄付・組織協賛会員募集についてのお願い
現在、特定非営利活動法人交通文化連盟は財政的に深刻且つ危機的状況となっており、新規事業の抑止はもとより、このままでは現在実施中の弊連盟事業も抑制・縮小しなければならない状況となっております。
また今次東日本大震災に於いて装備等被災した事や、何より現在実施中の事業に使用している装備品の老朽化も著しく、広く皆様に御支援を御願いする次第でございます。
現在、この震災による深刻な状態の中で極めて心苦しい次第ではございますが、一方で弊連盟に対する御声援や参画・支援の御提案も日増しに増加する中で、より多くの方・多くの街に笑顔の素・元気の素を御提供させて頂くべく鋭意努力・着実進展を重ねて参ります事を御誓い申し上げます。
皆様の御高察と御支援を心より御願い申し上げます。
※現在、現金書留で受付しております。





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2016年09月23日(金) 14時11分52秒

磐城〜その暖かくも厳とした土地〜への旅

テーマ:安房守とれいん紀行

あの時から時間が止まったままの土地

 

昨夏に引き続いて福島磐城へ行って参りました

 

←水戸

 

常磐線上野始発に柏から飛び乗り

今回同行する北総新選組新監理幕僚の伊豆守と合流

水戸で乗り換えまして

常磐線をひたすら北上

 

←水戸で買った朝食

 

途中

馴染みのあるハコを見まして

 

←留置中の引退車

 

平成28年09月04日日曜日

天候は生憎「雨」でして

そう言えば去年もそうでした・・・

 

←仮設

 

我々は未だ「平」と呼ぶ「いわき」駅に近付くと

段々と五年半前に接近して参ります

 

←助役さん

 

いわき駅では小休止

線路の上で点検作業中のカラス氏に遭遇

お仕事熱心です

 

←平以北で太平洋全開

 

平=いわきを過ぎると

常磐線は太平洋沿岸に張り付いた様に走ります

 

←久ノ浜駅

 

531系電車の窓は紫外線カット仕様

なのかどうか画像が緑かかってます

 

←広野駅

 

昨年には看板を見た広野駅東側には新しいビルが建ち

確実に復興

いやそれ以上に再開発が進んでいる箇所も見られました

 

←竜田駅

 

上野口暫定終点の竜田へ到着

 

←この先は三年半後

 

2020年03月再開が政府方針で明示され

ようやく復旧に辿り着く状態になった竜田以北

ここからは帰宅困難区域とかで

一日2往復の代行バスへ乗換

 

←エフ2へ向かう橋

 

竜田駅から一度常磐線を橋で超えて

常磐線の東側から北上し国道6号線へ向かいます

その途中

福島第二原発の近くを通過します

 

←エフ2

 

こちらは停止中のエフ2

烈震の中原子炉などは損傷も事故も無く

 

←立入禁止ですが

 

昨年はこの困難地域の脇道ゲート

人の気配すら感じませんでしたが

作業員の姿が見られます

確実に復旧に向けて動いているのですね

 

←倒壊した建物

 

その一方

昨年は気付かなかっただけなのかも知れませんが

倒壊した建物を幾つか見ました

撤去も出来ない箇所ですから

関わりのある方にすれば重ねられる辛い光景でしょう

 

←エフ1

 

そして

今も熾烈な戦いが続く

福島第一原発の近くを通過

 

個人的には散々石綿を生で吸って

ショートピース愛煙なる小生ですから

放射性物質に恐怖なんて「今更」ですが

天候も相俟って

静かに緊張します

確かに代行バスの車内も

同じ「青春18きっぷ」による旅行者

と類推される方々で賑わってましたが

段々静かになり

この頃にはカメラのシャッター音だけが

観光バスの車内に聴こえる状態でした

 

←小高駅付近

 

竜田駅から約一時間

07月12日に復旧した常磐線相馬口南端の小高駅へ

 

←小高駅前

 

そこで

駅前の商店にある駐車場に

高倉健さん主演・山田洋次さん監督の

映画「幸福の黄色いハンカチ」

を彷彿とさせる光景に遭遇

その店先で遊ぶ子供達の笑顔を見た途端

涙が吹き出して参りました

 

そうここは「福」島県南相馬市

 

←汚染土塊の山

 

国鉄上野駅に勤務し

常磐線の沿線で育った小生からすれば

「原ノ町」

なのですが

あくまで地元では「原町」

 

←磐城独特の地形

 

磐城地域は

鎌倉期に下総の豪族・相馬氏が分家を置き

在地領主→大名となって

明治維新まで続いた世界でも数少ない長期統治の土地

それを可能としたのは

磐城独特の地形・・・

阿武隈山地から突然太平洋に突き出す東西方向の丘陵

見方に寄っては山脈

ここに急傾斜地での騎馬運用を継承して来た相馬家中の

戦力が結びついて

南の佐竹・北の伊達と渡り合った

なんて勝手に妄想

 

代行バスを降りて

原ノ町駅で北総新選組磐城国衆筆頭のやすさんと合流

今回はやすさんの自家用車で

代行バスや鉄道で回れない箇所を視察させて頂く幸運に恵まれました

 

小雨混じりの天候の中

単に列車とバスに乗っているだけなのに

空腹となりました関東衆二人は空腹に堪えかねて

何と無礼な事にやすさんを放置して

駅前のお蕎麦屋さんに飛び込んで・・・

これがコストパフォーマンスに優れて

小生好みの味のお蕎麦で満足!

 

←新・新地駅付近

 

12月10日に移設新設開通となった

常磐線相馬〜亘理間

この間は頻繁に代行バスがありますが

やすさん車で新地駅へ・・・

新駅工事の関係でここから海岸へは行けず

 

←新駅

 

軌道は全く新幹線みたいな立派な規格で

これならC62機が高速運転しても問題無さそう(笑)

 

←新・山下駅

 

もう仕上工事に入った山下駅の脇を通過し

ここからは阿武隈山地を横切って東北本線船岡駅へ

 

移動中

やすさんから震災当日の状況や

復旧から復興への転換

何より今後の磐城にとって何が必要なのか

そんな車内会議になりました

 

←船岡駅の目的

 

船岡駅には

東北本線電化初期に活躍したED71機が

やはり在来型一般客車のオハ61形式と共に

静態保存・・・

いや

見方に寄らずとも放置されております

その手前の公園で一服し

やすさんと再開の約束をして別離

小生と伊豆守は東北本線を南下する復路へ

 

←船岡駅

 

城趾も近い柴田町の船岡駅周辺は

落ち着いた小都市の風情が漂う良い街で

その空気感は流山・根郷にも通じたものでした

 

この旅で小生が強く感じた事は

「この土地に生きる子供達に誇りを持って欲しい」

と言う事

 

実は今だに「福島放射線差別」が横行しております

あの小高駅前や相馬で出会った子供達の笑顔に触れて

先ず

「常磐線はローカル線などでは無い」

首都圏と北海道を結ぶ基幹路線であり

それは現状も変わらずで

震災前も貨物列車設定本数が多く

しかも

札幌〜東京間直行便が大半だった訳で

14.7キロ長いものの

勾配が殆ど無いに等しく

軌道規格も高い常磐線は

バイバスどころか対道輸送の基幹です

その鉄道の土地に生まれ育った

言わば

「未来に続く道の近くに居るんだよ」

 

そして

「空前絶後の戦いを今も未来も続ける武士の地」

毎年夏に磐城を熱くする

「相馬野馬追」

 

それは相馬双葉の皆様にとって

特別であり

誇り高き伝統

小生は五年半前から

もう一つ

世界に誇れる戦いを続けている土地と

思っています

 

国際基準から見ても

三基の原発が事故を起こすと言う

世界最悪レベルの原発事故を起こした福島第一

その世界最悪に立ち向かい

今も

そして半世紀先まで挑み続けている

これは

「世界最高の戦い」

では無いか

 

武力による戦争は

生命を奪い傷付け

そこに悲しみだけを残す業禍です

しかし

「エフ1」

の戦いは

この磐城の土地に生きる生命を守り

この磐城の土地に生まれて来る未来を護る

崇高にして過酷な戦いでは無いか

 

未来へ続く道の近くに生まれ

未来へ続く生命を守る戦いを続ける土地に生きる

その磐城の子供達こそ

未来を作る英雄候補生なのです

 

来春には相馬口の南端は

小高から浪江へ進むと伺いました

 

冬は必ず春となる

 

「福」島の磐城は

本物の人間が熱くなる土を

今も抱え

凛然と華を咲かせる瞬間を

静かに待っています

 

だからこそ

東北人ばかり頑張らせ無ぇぜ!

坂東武者の意地をここから見せてやる!

 

房州

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2016年08月27日(土) 00時01分41秒

夏空に供養花火の咲いて輝く 

テーマ:安房狂華帳

夏空に供養花火の咲いて輝く

 

08月20日に予定されておりました

流山+三郷2市合同の花火大会

悪天候で08月26日に延期となり

今夜実施されました

 

08月15日

終戦の日

小生は一人で

流山市根郷の閻魔堂にて

盂蘭盆のお線香点火番を

 

その前日

裏手のレトリバー

「りーちゃん」

が具合悪いと飼い主さんから

伺ってはおりましたが

 

 

気になりましたが

確認も出来ず

今日は警戒参考視察として

鉄道輸送警備隊派遣幕僚として

全く一人でしから

何処かで・・・

まぁご近所に訊ねてみようと・・・

そんな夕刻

西の空にこんな雲

まるで「りーちゃん」が

「わーい!」

と笑顔で駆けて来るが如く

 

りーちゃんは2000年

沖縄からやって来た

女の子のゴールデンレトリバー

とにかく穏やか

そしていつもニコニコして

甘えん坊さんで

もう12年のお付き合いでした

 

その08月15日

16歳でりーちゃんは逝きました

幾度も病気に打ち勝った

でも大型犬は短命なんですね

 

 

私は流山の人々と共に

この街に住む犬達に大変恩があります

彼等が最初に

余所者の北総新選組と鉄道輸送警備隊を受け入れてくれた

そして

優しさと笑顔をくれたのです

 

偶然

15日に流山へ行く際

仏壇に

「りーしゃん、ありがと」

祈念しておりました

信じたくありません

でも

りーちゃんとは約束をしました

「今度は人間で生まれてお出で!イッパイお喋りしよう」

 

 

こんな

「えへへ」

と言う笑顔で

約束しましたから

寂しいけれど

悲しいけれど

また会えるから

楽しみです

 

そんな供養の花火でした。

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2016年07月28日(木) 23時07分44秒

「本物」のゴジラを知った日本人

テーマ:傾奇中年歴史放談

昭和29(1954)年11月03日

日本で初めての特殊撮影を多用した

「空想科学映画」

でありますところの

「ゴジラ」

が封切られました

 

平成28(2016)年の今日

この白黒映画を見ると

例えば

合成の稚拙

音響効果の脆弱

など

「時代」

を感じさせるところが

ございますけれども

「黒い恐怖」

その迫力や

巻き込まれて行く民衆に

垣間見えるリアリティ

カメラワークどうたら

シナリオどうたら

の前に

「完成」

したる作品を痛感するのです

 

P7290057←映画は1/25模型、これは1/150。

 

その後

日本の映画界は

こぞって

「怪獣映画」

「空想科学映画」

を製作し

今日もそれは続いております

 

加えて

フィルムエンターテインメント

の本場であります

米国にまで

権利が買われて

「ゴジーラ」

まぁ沢山作られている訳で

 

父方実家が

浅草は浅草寺の真裏

だった小生は

この親戚宅へ遊びに参りまして

「映画」

を見るのが好物でして

浅草六区に軒を連ねていた映画館

そこへ連れて行ってくれい

祖母にねだったのは一度二度では

ございません

 

この

「ゴジラ」

ファンタジー映画

となってしまってからは

年齢が上がったせいなのか

見に行きたいとも思わず

趣味も怪獣から鉄道へ移り

疎遠になっておりましたが

 

それでも時々

DVDでそれらを見るのが

まぁ楽しい時間

ではございました

 

「1954ゴジラ」

は別格として

それ以外に見ますのは

「地球防衛軍」

「海底軍艦」

「ゴジラVSビオランテ」

くらい

 

中年を過ぎた頃から

「1954ゴジラ」

明らかにその後の

「怪獣映画」

「空想科学映画」

と違う

「空気」

を持っている事に気付きまして

 

そして三年前に確信したのです

 

「日本人は本物のゴジラを知った」

事に・・・

 

昭和29年春

突然製作が滞った映画の

「穴埋」

として浮上したのが

「巨大生物が東京を襲う」

とした企画で

田中友幸(プロデューサー)

本多猪四郎(本編監督)

円谷英二(特殊技術)

が練った企画を

森岩雄(東宝製作本部長)

が強力に推進し実現したもの

 

わずか9年前

日本は大東亜・太平洋戦争に負けて

2年前まで連合国の占領状態にあり

4年前に

朝鮮半島で勃発した戦争は

まだその硝煙の匂いを

消し去ってはいませんでした

加えて

第五福竜丸事件

など

戦争が終わってもなお

「核兵器」

による民間の犠牲者は出ており

国政も汚職だ政争だと忙しく

 

一応

新憲法により

「恒久的平和」

を宣言し

「戦争」

が縁遠いものになった

「錯覚」

していた国民達は

それでも

「漠然たる恐怖」

を肌で感じていた

そんな時代です

 

本多猪四郎監督は

戦時中に招集され

戦闘現場を体感しただけでなく

引揚途中で広島の惨状も

見たそうです

 

円谷英二・森岩雄の両氏は

共に

「戦犯等公職追放」

に指定され

特に円谷氏は

困窮した生活を

余儀なくされておられました

 

「1954ゴジラ」

の画面に満ちていたのは

怪獣に対する恐怖でも

怒りや憎しみでもなく

「漠然とした恐怖」

それは

憲法で守られているとは言え

依然として

核兵器や戦争の恐怖に

翻弄される民衆の畏怖

そのものでございます

 

一方で

「1954ゴジラ」

その後の作品群などに比較して

「人間ドラマ」

のカットが多く

例えば

通勤の国電車内で交わされる台詞

「また疎開かぁ」

強いリアリティを感じます

 

その後

特に平成ゴジラシリーズなどでは

ファンタジー要素が強くなり

「魔法的描写」

が見受けられますが

「1954ゴジラ」

では

その「二点の大嘘」

つまりゴジラなる巨大生物と

それを葬り去った

「酸素破壊剤」が

科学的・物理的に無視されて

「存在」

するものですから

その周囲は極めて現実的で

「漁業補償陳情」

だの

「生物としての食性」

など

「初めて」

なのにどうしてこうも

裏付けの骨が

しっかり描かれているのか

不思議でした

 

原作を書いた作家の香山滋氏は

試写会の際に

「ゴジラに同情して号泣した」

と記録があり

また

メインキャストの

俳優・宝田明氏も

「ゴジラにシンパシーを感じた」

と・・・

 

憎むべき人間の敵・ゴジラ

それを生み出したのは人間

 

この主軸がブレなかった

事が

画面に満ちる

「黒い恐怖」

を際立たせていた

そう今は考えております

 

ところが

平成23年03月11日14時46分

日本人は「ゴジラ」を

「漠然とした恐怖」

ではなく

「厳然とした苦悩」

として痛感するのです

 

「酔い」まで起こす強く長い動揺

静かに増えて全てを流す津波

沈鬱な暗闇の中黙々と歩く人々

愛するものを奪い去った

憎むべき・・・

しかし

その憎しみの拳をぶつけられない

「自然災害」

そして

その後も続く放射能との戦い

 

まさに

「黒い恐怖」

です

 

そして緊急地震速報のチャイム

直接「ゴジラ」では無いものの

「ゴジラ」

を語る上で除外など出来ない

作曲家・伊福部昭氏による楽曲が

モチーフとなっているとか

 

その後のゴジラシリーズが

「ゴジラ映画」

なのに対して

「1954ゴジラ」

「人間の本質」

を問いかける

「社会派ドラマ」

である

その違いはかなり大きいと存知ます

 

また日本で「ゴジラ」が公開され

米国でも「ゴジラ」が作られているとか

 

個々の作品は

個別に評価されるべきです

「1954ゴジラ」

で先人達がエンドタイトルの

その裏側に打ち込んだ

「ゴジラを生んだのも人間

しかし

ゴジラを倒したのも人間」

つまり

誰か特定の立場や職務の人間を

賞賛するものではなく

「その恐怖も苦悩も人間は克服出来る」

人間の持つ本質を

「ゴジラと言う鏡」

を使って映した作品と

小生は味わっております

 

この

「人間」

を理解しないままで

作られた脚本が

どれだけの人間を揺さぶるか

難しいものです

 

先人達は

伝承でも

テレビでも

ユーチューブでもなく

その

「現場」

「恐怖」

そして

「人間の強さ」

自身が体験し視認し

それが脚本に織り込まれて

いるのです

 

とにかくも後に続く者が

「1954」

を超える事は

そう簡単では無いと存知ます。

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