ご案内申し上げます。こちらは安房守義将の愚痴満載でございまして、お見苦しい点が多々ございますが、何卒予めご容赦下さいませ。また当該情報をご覧になりました上で発生する如何なる破損・事故・病理等においてその責任は一切負いませんのでご留意下さいませ。



特定非営利活動法人交通文化連盟一般寄付・組織協賛会員募集についてのお願い
現在、特定非営利活動法人交通文化連盟は財政的に深刻且つ危機的状況となっており、新規事業の抑止はもとより、このままでは現在実施中の弊連盟事業も抑制・縮小しなければならない状況となっております。
また今次東日本大震災に於いて装備等被災した事や、何より現在実施中の事業に使用している装備品の老朽化も著しく、広く皆様に御支援を御願いする次第でございます。
現在、この震災による深刻な状態の中で極めて心苦しい次第ではございますが、一方で弊連盟に対する御声援や参画・支援の御提案も日増しに増加する中で、より多くの方・多くの街に笑顔の素・元気の素を御提供させて頂くべく鋭意努力・着実進展を重ねて参ります事を御誓い申し上げます。
詳細は御案内ページを御参照下さい。
皆様の御高察と御支援を心より御願い申し上げます。
(寄付振込口座)三井住友信託銀行松戸支店 普通329-7698754 特定非営利活動法人交通文化連盟
※現金書留での受付もしております。
<組織概要及び御案内を掲載致しました。お手数ですが何卒御一読の上で御支援を賜りたく宜しく御願い申し上げます。>





1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012年06月01日(金) 14時57分56秒

墓マイラーなどと言う無粋無礼不敬な趣味は自慢にもならぬ

テーマ:傾奇中年歴史放談
新しい情報、どこから仕入れてる? ブログネタ:新しい情報、どこから仕入れてる? 参加中

墓マイラーなどと言う無粋無礼不敬な趣味は自慢にもならぬ

ちょっと前まで
小生も妄想で歴史を語る傾向がございました
今にして思えば汗顔の極みでございますが
「情報」は新鮮であるより「正確」である事が肝心で
これは
危機管理の作法に於ける基本中の基本であります

大抵
小生が要求する情報は
大衆週刊誌や新聞の紙面を飾る内容では無く
極めて専門的で
極めて機密性の高いものばかりであります
鉄道やら交通と申します仕組が
直接的に経済や政治につながりますもので
こればかりは仕方もございません

それで・・・
小生が情報を獲得する部分は
信頼出来る知人による情報
がかなり大きく重くなります

困りますのは
その情報伝達に
時折介在致します「マニア」です

言わば
「自身の政治的・経済的影響の微少若しくは皆無」
な趣味の世界としてその情報を捉える方と
直接それが仕事や立場に関わる方では
同じ情報に接しても
他へ流す際には違った傾向となる場合がございます

なので小生がそれら情報を仕入れる際には
多角度からの流入

その方面に明るい者

意見
も大切としております
情報は「確度」が重要でありますので
特に心躍る情報ほど
慎重にしてしまいます

なのに・・・
歴史に関してはとても好い加減でありまして
大山・あさくら両先生をはじめとして
本気の歴史家の皆様と接しているうちに
自身の視野の狭さと
情報「確度」確認を怠った姿勢を反省したものであります

裏付けのなかなか見つかり難い情報・・・
これは鉄道車両の動向や
交通に関わる法制変化の予知
事故や事件に対する防衛
なども含むものと相成りますが
実は埋もれた歴史も掘り返せば裏付けに辿り着ける事もあるものなのだそうです



「マニア」を経由した情報の危険度は
その情報が持つ「影響」を考慮しないことにあります

さて
弊特定非営利活動法人交通文化連盟には
交通分野を所管する文化局
協働事業を所管する業務局
そして
社会文化分野を所管する社会局
の三「現業」がございまして
この社会局が抱える主幹事業が
観光創造事業群史跡運営事業・・・
北総新選組(鉄道輸送警備隊第三業務隊)が行うところの
流山新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)運営であります

全国新選組サミット
に一応加盟するこの活動は
平成十六年からまぁ続けてしまっておりますが
何せ「新選組」の歴史に直接関与する史跡なもので
新選組のファンの方も
全体の三割半程度は
お出でになられます

そこで時折出る話題として
「何とか忌」

各自妄想や空想
或いは小説・漫画・ドラマ・映画・ゲーム等の創作物に登場するキャストとしての
個人に対する「萌え」は
これは
「極めて個人の信仰・思想の自由」
でありますから
とやかく
言うものでもございません
しかし
慶応四年四月二~三日に
この
千葉県流山市
にございます
住宅街の路地を
新選組局長だった近藤昌宜改め大久保大和守剛
新選組副長だった土方義豊改め内藤隼人

ここを歩いていたのは
ほぼ事実であります

つまり
それら「キャラクター」のモデルとなった人物は
確実に生きて呼吸していたのです

その故人を偲び
法事を・・・・
となると
多少の疑問がございます

例えば
新選組友の会様が
「何とか忌」
を催行しておられます
これは一つに
その組織の親睦・交流の機会として
その実在した人物に対する敬意と
回向の思いで企画するもの・・・
なのだそうです

墓参はその延長上のある・・・・

しかし
この企画に不特定多数の一般市民を参加させるについては
「友の会」
の親睦と言う側面が薄れる事にならないものでしょうか?
ここから不確度な情報ですが
一部の企画に付いては
「墓参も会費を取って・・・」
それが墓碑の維持管理に多少使われるとして
故人の人生に於ける「観光素材化」
これは
多少なりとも
多くで見掛けるものですが
それが
「何とか忌」参加が墓参条件
となれば
あまりに直接的過ぎる「観光化」なのでは無いでしょうか・・・
それは歴史ある組織の
歴史ある企画ですから
多面的にお考えもあるかと存知ますが・・・

そもそも
墓参は
その家族子孫が故人の存在を確認すべく行うもので
極めて「身内」の行事であります

小生個人の偏屈にして排他な考慮では
「墓参」

「回向」

全く異なるものであると法華経より解釈しております

先ず仏法の中の法華経(日蓮仏法)によりますと
「意識」と「生命」は個別に存在する
と言う考えでして
目には見えないけれども存在する「空」で
これとは別に目に見える肉体の「色」
それらが一体化して「人」
若しくは「生物」となっているものであり
「諸行無常」
変化の無いものなど無い
としている仏教の基本は
この
「意識」と「色」
の部分を指すもので
現実として肉体や思考・感情の様に変化するものの
その根底には
「生命」
と言う普遍の存在がある
のだそうです

「生きておわしき時は生の仏 今は死の仏 生死ともに仏なり」
※(上野殿後家尼御返事/文永二年七月十一日著作)
「智者あって法華経を読誦して骨の魂となせば 死人の身は人身 心は法身
生身得忍(しょうじんとくにん)といへる法門是なり」
※(木絵二像開眼の事/文永九年著作)
とございまして
この日蓮仏法の基礎が
「心=仏=生命」
であると見ますと
どうも「生死」は
「意識」や「肉体」有無による区分で
その個々の「生命」(心)は
そんなそんな消去分解なんてことは無いそうであります

小生は自身先祖や父親
お世話になった先輩や流山の街で出会った「オヤジ・オフクロ」達
その回向を欠かせません
なので勤行に際して回向の時間のま長いこと長いこと・・・

この回向
つまり「肉体や意識」が消えても残る「その故人の生命」に対して
全く別の地で
全く別の生命として実在している
いやいや
未だ肉体など「色」を得ていないにせよ
現状での安全や智徳の増加など
「安穏」
を祈念すること
それを「回向」或は供養と申しております

どんな状態で
どんな所に転生しているか
と言う「外視的現実」より
如何に安心して
如何に快適であるか
と言う「対環境事実」が
この「回向」と言う作業にはどうも肝心な様子であります

「毎自作是念。以何令衆生。得入無上道。速成就仏身。」
※(鳩摩羅什翻訳/妙法蓮華経如来寿量品第十六末文)
「毎(つね)に自(みずか)ら是(こ)の念を作(な)す、何を以(も)ってか衆生(しゅじょう)をして無上道に入り、速(すみ)やかに仏身を成就することを得(え)せしめん」
※(通解)
仏法の根幹が
「ど~したらアンタが幸福になれるんかネェ」
としたこの部分にこそあるのだそうですから
それは全ての「生命」
そして全ての「生命として存在した生命」
を対象としたものであると解釈したものであります

つまり
墓参も大切ではありますが
肝心は
その「現実に存在した故人」に対する
敬意や供養は
それを念ずる個人に於ける「一念」こそ重要で
そこに立地・環境・容姿
もっと言えば
個々が信仰する宗教や思想信条は無関係なのです

ただ
墓参に出掛けて
合掌もせずに・・・
単なる物見遊山なら
これは全く無粋無礼不敬
加えて
そんな場に出掛けて
その子孫に会った
とか
有名な先生に会った
とか
そんな自慢の種を仕入れに「観光」にお出掛けなら
そりゃ御供養の精神などではありませんね

「墓マイラー」
などと言う趣味があるそうでして

確かに
墓碑には
貴重にして重要な
その故人の情報が明記されている場合もございます
歴史家のあさくら先生が
その墓碑から
不明確でした流山新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)と言われていた
「長岡屋」に関する情報を
確認されたことを
御本人から伺ったことがございます

それら
一見すれば
いや
多くの凡人が看過する情報を
発掘し
未確定を確定し
埋もれた故人の名誉を明確化する
これは大変労苦の多い
しかし
貴重にして重要な文化事業であります
そんな事業の一環であるなら
そこまで至らなくても
その故人の呼吸や影を求めて探して
その途上の墓参なら
価値も意義もありましょう

しかし
単に
有名人の墓を訪ねることが
まるで毎年夏に
何処かの鉄道会社が旅客需要喚起の一環として行っている
ポ○モンスタンプラリー
と同じ
いや
「観光要素」
として来訪を期待されている場所でもなく
時として
その御子孫や社寺の関係者から
歓迎されていないものであるならば
それ以下
でありましょう

どんな趣味をお持ちになるのも勝手ではございますが
良い趣味とは
決して思えませんし
道義上
仏法教義上
から類推しても
許容されるものではございません
まぁ
そんな趣味なら辞めた方が宜しい

ちなみに
小生も
その新選組をネタとして
流山新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)を運営する
組織の
しかもその北総新選組の監理幕僚でありますもので
近藤・土方両氏の
回向もしております

しかし
その方々より
その形見として多数の着物を頂いた
流山新選組本陣跡(現・株式会社秋元)御当主御母堂様や
自転車を幾つも賜り
何かと御配慮を頂いて
たくさん美味しいものを頂いた富塚さんや
貴重な古話や着物や御馳走を頂いた対面の御婆さん
あの地でふれあい
あの地で我々を支え護って頂いた皆様への
報恩感謝の回向
欠かすことなど出来ません

流山市にしろ千葉県にしろ
助成も援助もなく
どうして続けられたのか
一つには特定非営利活動法人交通文化連盟としての事業方針の明確
しかし文底は
それらの人々への報恩感謝があるからに他なりません
なので
「ボランティアさせて頂いている」
と言う言動の者は評価しますが
「ボランティアしてやっている」
と言う言動の馬鹿は
とっととクビにするのが
小生の仕事です

この
報恩感謝
こそ
仏法肝心の心持ちである
と言うことも
書き添えておきましょう。
最近の画像つき記事
画像一覧へ ]
2012年05月21日(月) 08時25分11秒

黒陽の朝

テーマ:傾奇中年歴史放談
日本文化の中で
小生がとても秀逸と思っておりますものが
家紋
でございます

その中に「日足」と言うものがございます
黒丸の周囲に光刃を取り囲み
まるでギヤの様ですが
皆既日食に見るコロナの様でもございます

そして
「重ね月」
丸の中に小さい丸
これはまるで金環日食

千葉県松戸市は曇りに晴れ間の除く天気でしたが・・・

常在戦場!~安房守義将之勝手御免~←05月21日07時35分

むしろその雲が
「影」
を映し出し
幻想的なものでありました

この雲の間に見える陽環に
「我実成仏以来 無量無辺百千万億那由他阿僧祇」

妙法蓮華経如来寿量品第十六
の一節が浮かびました

大宇宙
それはそれは
所謂西洋哲学の思い届かぬ全現実存在の空間

無始無終
な中に於いて
「生命」
或は
「時間」
が発生して以来
この天空は各々使命と軌道を
誰か意思のものではなく
実在し運行しているものでありまして

太陽と月が重なるだけの事柄ですが
「宇宙もまた生命」
と確認出来る
ちょっとした
チェックタイム
なのでしょう

生きている
時間もまた一つの「生命証明の要素」でありますから
それら全部を「仏」と名付けた
それは乱暴!
とも言えないでしょう

わずか5分
しかし
満ち満ちた生命に囲まれている現実を
足元のネコ達
頭上のカラスやツバメ達と共に
気付かせて貰った
そんな時を過ごした朝にございます。
2012年05月20日(日) 12時10分10秒

モテる奴とそうでは無い者は「配慮」に差がある

テーマ:極端変態野郎之恥的人生論
電車のマナー、守れてる? ブログネタ:電車のマナー、守れてる? 参加中
とにかくも先に御案内を・・・
国鉄分割民営化以降
特に首都圏では
法制度上は「電車」が一両も無い東日本旅客鉄道
脱・日本国有鉄道を意識し過ぎて
国電」と通称する
「通勤旅客列車輸送区間」(国電区間)

E電
なんて言い出して
大きく転んだ逆恨みからか
「電車」
を連呼する様になりましたが
小生の言う「電車」は
乙種軌道に於ける電動客車
つまり
路面電車
の事を指しまして
甲種普通鉄道に於ける旅客用の・・・」
つまり
御客様が御乗車となられるものは
「列車」
が正解です

これは特に東京南西部が強いのですが
明治最後年に登場した
「大型ボギー式電気鉄道・電動客車」
は時代の最先端で
蒸気機関車が当たり前でした鉄道で
「煤に汚れない・高加減速」

ハイテクの集積
でした
このイメージから
「電気鉄道=電鉄」
が急増し
「電気鉄道だから列車とするよりも電動客車列車=電車」

一種の営業戦略もあり
「電車」
が普及したものらしいのですが

国土交通省運輸安全委員会の事故調査報告

各裁判所に於ける調書・判決文
には
路面電車は電車・普通鉄道は列車
の大原則があり



但し
そもそもが路面電車と同様の
一両基本の電動客車による
「多本数頻発運行」

中長距離の旅客・貨物列車と分離して運行設定されていた
山手・京浜・中央線東部首都圏区間
などは
「電車」
でも違和感はございません(だから院電・省電・国電区間と呼称したとも)


蒸気機関車牽引列車も新幹線もローカル線のジーゼルカーも
「電車」
とするのは
例えば
「麺類」を全部・・・
そば
うどん
パスタ
これらを全部「ラーメン」と言うくらい
乱暴で
言葉の本質を知らない
そしてその言葉の本質に配慮していない
とても恥ずかしい日本語です

さて

モテる奴と
そうでも無い奴
男女共に
「配慮」
に差があると考えております

昨今
「若い奴は配慮が無い」
と伺う機会が多くございますが
同時に
「むしろ団塊の爺・婆は配慮しない」
と続く・・・

「空気読めない」
じゃ無くて
「空気読まない」

「配慮が無い」若しくは「配慮が足りない」

「配慮しない」

大きな差があると認識頂けますでしょうか?

さてさて
その「配慮」って何よ

相成りますが
端的に申し上げれば
「心配り・気遣い」
深意としては
「相手の有益・有用への誘導や助言・押し付けとならない言動」
もっと言えば
「要求予測対応」

毛唐どもの言う
「サービス」
とは厚味が異なる
「相互に持つ事で和を生じさせる優しさ」
とでも申し上げるべき事柄かも知れません

モテる奴は
この配慮がとてもさり気無く
気障でも大袈裟でもない
それでいてかなり広範囲の人間を対象としている
のが小生の分析から推察するところで・・・

男女で若干の差がございますが
女子群の多く高評価となる男性は
「あのヒトって誰にでも優しいよねぇ」

男子群の多く高評価となる女性は
「あのコ、細かいトコロに気が回るよなぁ」

女性は対外的評価の要点を
「自身を含めた対個人」
として認識する傾向が強く感じられます
一方
男性は対外的評価の要点を
「その集団や組織の中にある立場」
に置くきらいが多くございます

それらに共通した「言動」が
「要求予測対応」
すなわち心配りであります

酒宴の席で
隣席の人間が別の者と話題に夢中になり
コップを口にすると
「あ、空だ・・・」

一瞬表情に出す事がございます
こんな時
「あれ、ビールで良いんかぇ?」
なんてビールを注いでくれる
その時は一々御礼申し上げる事など無くても
「このヒトは心配りの出来るヒト」
と注いで貰った者は感謝する筈です

列車内で
見るからに御高齢の御客様が目の前に立った
としまして
「どうぞ、宜しければ」
とシルバーシートやら優先席やらで無くとも
着席を促す
これも「配慮」

他人への思いやり
とか
周囲への配慮
とか
「他人の要求を予測してなるべくその需要に近い状態を出来る範囲で対応する」
これ
一見すると
「優しさの片道切符」
に見えて
実は自身の人間と言う素体を美しく飾る
心のオシャレ
なのです

この配慮が自身で自然に癖
もっと言えば普段の基礎行動として定着して参りますと
「あのヒトは心配りの良いヒトだ」

潜在的に評価が高くなり
結果として自身の理解者や応援者になってくれていたりするものです

言い換えれば
「粋」
イキってのはそんなモンでござんすよ

どうしても人は
「一次的な利益回収」
を求めてしまいます

そんな薄い求利心は
不思議とかなり多くの人間に洞察されて
「コイツは自利の為にやってんな」
と思われるもの
表面的には知己が広そうでいて
実は自分の理解者でも支援者でも無かった
そんな事も多々ございます

国鉄勤務経験者で
今日も鉄道再生を含めて
何かと鉄道や列車・接客に関わって三十年
列車内での飲食は
基本的に車体側面四扉の通勤列車で
しかも多客の時間帯を避けておれば
まぁ許容の範囲です
御化粧にしても
多客混雑の中で無い(立客が5~10人程度)ならば
これもまぁ・・・

しかし
長手座席(ロングシート)で足を組んで・・・
出入口・デッキ付近で立ち止まる・・・
これは論外

特に
旅客乗降の多い駅で
客扉(ドア)で
「降りたくない」
と頑張るバカがおりますが
これは言後同断
加えて
直ぐにドア横の手摺に逃げ込みたい方がおられますが
そこに立ったら
他に駆け込んで来た御客様が居たら
扉を抑えたり
挟まったら助ける
そんな覚悟をしろやボケ
であります

また
配慮は
「日常的な小規模危機管理」
とも言えます

列車に乗り込む際に
最近は携帯電話で乗り換え案内を見ながら・・・
と言う御客様を多く見掛けますが
このナビちゃん
「何号車がこの駅の階段に近い」
なんて出すもので
特定の車両が異常に混雑したりします
と・・・
その乗降に時間を要しまして
これが重なると
「列車遅延」
になるものです

周りを見て
少しでも空いた扉へ動く
乗ったら
次駅で降車するので無いならば
奥へ進む

こんな「配慮」を
御客様全体が自然に身に付けられたならば
不用意な列車遅延や
それに伴うホーム混雑に於ける旅客傷害事故の防止
つまり
「時間通りの移動」

少しづつ実現化するのでございます

列車が遅延すると
当然の事ですが
ホームに通常より多くの御客様が滞留致します
その分
「事故」
は置き易くなります
自身は怪我をしないまでも
その配慮は結果として
危険回避に向かう筈です

配慮と言うも
心配りと言うも
空気を読むと言うも
「先ずは周囲の人間を注意深く観察」する事から始まります
他人の観察をする
このヒトにとっての「要求」とは何だろう・・・
この観察は
「ヒトの悪い点」
「不粋」
がまた良く見えるものです

配慮が足りない・配慮が出来ない
のは
「自身が自身の観察をしていない」
言えば
「心のオシャレ度」
が低いとも言えます

それは自分の言動に自信も確信も無い証拠です

配慮・心配りは
自身の存在表現でもあるのです
「一次的利益回収」
では
利子も影響も小さいもの
しかし
バカ程
「利は見えないと不安」
なもので
これは全く自身に自信も確信も誇りも無い
単に生物学的に生存時間を増加させてきただけのもの
と相成ります


配慮しない
と最初から自身の存在や人間としての立居地を捨ててる奴は
他人や周囲なんざ関係無いんでしょうから
どうぞひっそりと孤独死させてやりましょう

会社にしろ学校にしろ街にしろ国にしろ
「人間の集まり」
であります

その中で
「格好良く生きて」みませんか?
となりゃ
配慮は不可欠です

そしてそんな配慮のヒトは

まぁ
モテるんですよね
コレが。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト