飲食店で重視するのは味?値段?雰囲気?人? ブログネタ:飲食店で重視するのは味?値段?雰囲気?人? 参加中
 空腹を感じて飲食店に入った、と仮定しよう。
 その店が複数の店舗を展開するチェーン展開をしており、自身がその店のメニューの何れかを食べた事があるならば、その経験に基づいて好みの注文をする、と言うのが大方の反応だろう。
 また、入るのが初めての店だったとしても、例えば「冷やし中華」と表題されるメニューであれば、大抵は小麦で作られた中華麺が皿に盛り付けられ、酢醤油又は胡麻だれなどのスープが掛けられている、まぁ大概がそんな内容のものだと推測が付くだろうから、ある種「自身推測の範疇に於いての安心」を得て注文する事だろう。
 客として飲食店に入る場合、価格や店の清潔・種類・雰囲気などは見た目で判断出来るものであるが、味だけは食べてみなければ判らないのが現実である。
 しかし、飲食店に於ける顧客に対する最大にして重要な提供要素は、何より「安心」なのである。
 だから、原則的に「流行っている店」は「判り易いメニュー」が必ず存在する。
 従って客が店を選択する多種多様な要素のうち、大きいものは対価格効果の大小であり、それと同等に肝心なのは他店との比較がし易い様な工夫、若しくは他店との差別的条件を明確に知らせる仕組なのである。

 対価を支払って、何かしらかのサービスを受ける。
 これは経済活動の基本である。

 同様に交通運輸事業も、旅客若しくは荷主から対価を受け取り、契約された運送を実施する商売、であるのだが、これに「安全」と「正確」が常に付き従う点が飲食業と異なる点である。
 別の見方をすれば、出した食事が食中毒を引き起こしたりしない様に、「安全」そして注文通りの品を客卓に運ぶ、或は支払時の「正確」は、これも特段断りや明記をする以前として、客から対価を受け取る以上、飲食業者が保障している「潜在的責任」、または「絶対条件」とも言うべきものである。

 鉄道は旅客・貨物を安全・正確に運送する事業である共に、その連続性と輸送量が他交通機関とは比較出来ない程に大きい特性がある。
 同時に、それを具現化しているのは専用とする通路(線路)や大規模な信号保安設備、幾重にも安全対策を搭載した車両で、その全体を「鉄道」と呼んでいる、インフラストラクチャー産業の最たるものと言える。
 一方で、その連続性・輸送量の大きさと、陸に専用路を敷いている特性から、自然災害に対してその影響や破壊力を避けて逃れる事が出来ない。
 延いては、その停止若しくは廃止は沿線地域の経済・産業のみならず、やがてそこに住む人間も失う程の影響を抱えているのである。

 他人から対価を受け取りサービスの提供を受ける、その経済の大原則にあって、如何に不可避である自然災害が原因としても、それによるサービス提供続行の不能による「打ち切り」は、誠に客に対して失礼この上無い事なのである。
 例えば、飲食店で材料の不足が発覚、そのメニューが出せませんと言われた場合、多くの客はそれを「不利益」と受け取る。
 対価を支払う側に不利益を感じさせた場合、飲食店のみならず一般的な商売はそれが顧客離流、はたまた売り上げの減少による休業・閉鎖・倒産とて多く有る事なのである。
 交通運輸事業の場合、即座に倒産など無いとは言え、その波及する影響は大きい。
 一軒の飲食店が休業するのと、交通機関の休止ではもとより比較にならない程大きな「不利益」が発生するのである。
 とはいえ、それが不可避である自然災害を起因としたものであるならば、その不利益は交通事業者とて同じである。
 「だから」旅客・荷主もその不利益を甘受せよ、とは言ってならない言い訳なのである。

 災害による運輸の停止は不可抗力ではある。
 しかし、事業者はその不利益の拡大を極力最小に食い止める責任がある筈である。
 その至極当然の理屈は、実は今日の日本では一部通用しないのである。
 その障壁は鉄道を始めとする交通運輸事業が実は「ハイコスト」商売である現実による処が大きい。
 殊に資金規模・事業規模の小さい、しかしその沿線地方に於いては生活生命線とも言えるローカル線ほど、その障壁は大きい。

 今次の東日本大震災に於いて、近代気象史上最大規模の破壊力により、青森県から茨城県、加えてその連動した地震を原因として長野・新潟県に至る、まさに東日本全域とも言うべき広範囲で鉄道路線が被災し、幸いな事に運転中の列車に於ける旅客や乗務員の犠牲者は無かった。(但し、列車から避難した先で津波に被災して犠牲となった例はある。)
 一方で、完全に破壊されて復旧と言うより殆ど新設と言うべき状態となった線区が青森県から福島県に至る、これもまた広範囲である。
 深刻な被災を受けたのは震源域に直近するローカル鉄道、特に山田線・大船渡線・八戸線・石巻線・三陸鉄道などで、その沿線もまた津波などの被害の為に根こそぎ破壊された土地なのである。
 併せて、復旧工事の段階で済んだとは言え、長く運休となったひたちなか海浜鉄道や阿武隈急行鉄道・真岡鉄道など小規模事業者にとって、発災前ですら利用減少と経費(ことに人件費や燃料費)増加で経営的に危機状態にあったものが、この被災で一部は公的補助などで手当てはされても、その痛手は計り知れない程に深く、その影響は大きい。

 他方、今次震災では基幹幹線の寸断による初動支援が停滞した事が課題となった。
 実はそんな非常時に備えて石油備蓄基地があったものの、その施設が被災し燃料輸送を日本海を経由して行う羽目となった。
 また東北新幹線の壊滅的打撃で人員輸送も思わぬ停滞を見て、被災地が幾重にも「孤立」したのである。
 加えて殆どの被災地が停電し、電気鉄道が主である基幹幹線の列車は、その救出や移動すら出来なかった。

 鉄道も商売である。
 しかし、その公共性は特異と言うべきレベルや認識であり、多面的に「事業に取り組む姿勢」は、出資者の利益より民に向けられる公益に向けられる性質のものである。
 人口の構成や採算性主眼の軽薄な精神が引き起こした産業基盤の海外流出に伴う経済的破滅が、それまで日本の「現実」として漠然と存在したのだが、この震災でそれは「顕在」化した。
 その全体に於ける事業を取り巻く環境の変化が、政策の転換として対処される以前にこの震災が起こったとも言える。
 物流、とりわけ鉄道運輸は国家の生命線である。
 単なる数字だけで鉄道不要論を押し立てて、それが間違いだったと気付いた時、その提唱者は責任を取って自決してくれるのだろうか。
 ここで政治の失策や資本論をふりかざすつもりは無いが、これが少なくとも現在の日本に於ける鉄道とそれを取り巻く環境の現実なのである。

 結論から言えば、今次発震直後に見られた無残な物流停滞・産業停滞を防止すべく、以下の二点を政策として提言したい。
 一、災害時に深刻な破壊を受けた箇所を必要最短区間のみ運休とし、発災直後には寸断状態であっても、極力速やかな復旧や救援作業を支える為に、非常時指定路線を設定し、その路線に於いては停電でも救援輸送が可能な様に内燃機関による機関車や客車若しくは気動車を一定距離に配備し、その「国家的危機管理」負担分となる車両や設備は公費負担により整備する事と、併せて災害時の列車運転に関してそれら救援輸送を最優先運行と出来る各種法制の整備。
 二、経営財政基盤の脆弱な地方鉄道及び地方路線に於いて、その高公共性に鑑み、災害時輸送や地域経済の骨格としてそれらの対応を実施、若しくは実施決定した路線若しくは鉄道会社の車両に掛かる固定資産税などの租税公課の廃止。
 一については、最低限の危機管理策として鉄道事業者が用意すべきものだが、当然としてこの施策実現には車両・設備の他に要員の増加も含まれる。
 その部分に於いて減税や免税或は社会保障費の半額又は全額の免除など思い切ったバックアップが必要であろう。
 換わりに災害時、速やかに救援列車を含む列車運行が停電などの要素・影響を極力最小に留め、或は路線上で立往生した列車の救出や復旧作業の円滑化を行う事を条件とし、公費負担の意義を明確化する必要はある。
 二については、特定の業種に対する過剰な公的資金の流用では無いか、とする意見が強く発生する予想に対する解説を先に書き表す。
 交通事業が広く公共性を持つ事の認識が、広く国民に浸透しているとの前提での論ではあるが、バスもタクシーもトラックも陸運で、鉄道と同じである。
 しかし、それらの自動車交通は自社で道路の建設や維持をしているのだろうか。
 その分、燃料に含まれる税金でそれを賄うと言うものの、巨額な設備投資をそれら自動車交通企業は負担などしないのである。
 飛行機とて、巨額な空港建設を自社が行うものではない。
 しかし、鉄道はその行路を自社で建設・整備・維持しなければならないのである。
 その土地に関わる固定資産税が無いだけで、黒字転換となる鉄道会社は多い。
 この為、複数の県などでは県道整備予算の枠で、地方鉄道の線路に掛かる部分の補助を一部或は全額行っているところもある程なのである。
 課題は本案の主眼は財政的側面だけで地方鉄道を支援するものではなく、一案の緊急時対処車両に対する優遇と連動した発想なのである。
 先に述べた様に、線路部分は都道府県が地方道路として支援するとして、車両に掛かる固定資産税等の費用の軽減により保有する車両に余裕を持たせ、非常時の輸送確保を容易とする事が重要なのである。
 地方鉄道の大多数が、その経費の多くを人件費、とりわけ年金・保険料など「非給与分」が大きく経営の負担となっている事実がある。
 これはそのまま、今日の産業空洞化の直接的原因でもあるが、これを今全て撤廃すれば社会保障制度は勿論、国家の財政は崩壊してしまうほど大きく、言い換えれば少子高齢化は数十年前にその大概は理解され予想されていたにも関わらず、その責任処理を後世へ後世へと押し付けて来た事の蓄積した宿業でもある。
 正規雇用が減少しているのも発端は同じだが、人件費の低減も今後の課題として、しかし本案では災害に強い鉄道の実現化が主眼である事と、それら土地、少なくとも軌道・駅・保安設備などに使われている部分の固定資産税の低減・免税と車両に関係する租税公課の免除だけで、かなり多くの鉄道事業者に於ける経営が劇的に改善されるのである。
 何より、その二点の整備・現実化で発生するのは「新規の雇用」である。
 今日、復興と言う言葉が乱舞しているが、真実に被災地や日本の復興と標榜するならば、先ず着手すべきは「雇用拡大」なのである。

 鉄道の乗車券は入場券では無い。
 その表記された区間に於いて、旅客や貨物の運送を引き受けた契約書であり、有価証券なのである。
 新幹線はその利便性追加の付加条件でしか無い。
 本来は乗車券のみでその区間の運送をする責任があるのだ。

 飲食店で「冷やし中華」を注文したら、皿と麺は入っているが「スープや具は別料金」と言われたに等しいのが、今日の旅客輸送の現状である。
 その追加料金による収益が大きい事は重々承知であるが、高速輸送体系の実現により災害時には何の役にも立たないシステムであるならば、公共性の高い交通機関となど言えないのである。
 民間企業であるからとて、その公共事業としての役割や責任は忌避出来ない。
 それが理解してその商売を始めたものであろう。
 特に日本国有鉄道は分割民営化に際し、一部税金による処理をしているのである。
 これは民間企業などでは無く、その責務は国営鉄道と同等である。
 真実に大多数の国民と旅客が望む利便性は携帯電話にクレジットカード機能を持たせて、自動改札機をノータッチで入場出来る事でも、ペコペコとメトロノームの様に頭を振る愛想の良い駅員でも、わずかな所要時間短縮の為に高額の付加料金券を必要とする名目だけ特急を増発する事でもない。
 安全で正確に列車が運行され、そして「いざ」と言う時にも即時即応に人間も貨物も流動せしむる仕組である事なのである。

 願わくばそこに生き、その土地を大切にする人間に最も近いインフラである地方鉄道の再生の仕組と同時にこの災禍に生活する家も家族も記憶すら失った人々が、子々孫々に誇れる郷土にその土地を変換する為に直結する政策の実現を望むものである。

安房守源義将