二日間のブログ・ストップ…アメバへの不正攻撃で | 宮城県大崎市の学習塾、進学塾「あるふあゼミナールのブログ」

二日間のブログ・ストップ…アメバへの不正攻撃で

電子の世界は厄介である。とても便利なのだが

不正なアクセスで混乱を起こさせる技術をもつと

異常が突然に起こる。


このブログも書き込もうとしたら契約解除で

アクセスが出来ない。何かの手違いをこちらが

してしまったのかとあちこち確かめたが心当たりが

ない。その上で事故であろうと推測して復旧を

待ったが、二日もかかってしまったようである。


これが高速鉄道であるとか、銀行のアクセスや

もしかしてミサイル網などにも介入出来たりが

ないとはいえないところが怖い。

便利も考えもので、アナログ的な手段を

保持しておくことも必要なのだろうか。


震災の時、たった一本の光ケーブルが落下した

家具で断線したためにわが塾はおよそ一カ月の

音信不能状態に陥った。パソコンも電話も

使えないので、中に入っている生徒名簿なども

取り出せないままに、過ぎてアナログ的な

フォローをとっていなかったことを悔いたものだった。

(いつもならとってあるのだがちょうど年度末の

切り替え時期だったのだ。)

震災で学んだことの一つは様々な連絡方法なども

アナログ的にも出来るよう想定しておくことの

大切さである。ガソリンが無くなり、電車がとまり

電話やパソコンが使えなくなり、水道がとまり

ガスがこない・・・いわゆるライフラインが絶えると

途端にアナログ・・・原始生活に戻ってしまう。


60歳世代なら原始生活にもなれているが、

それ以降の世代となるとどうなのだろうか。


二日間休んでいる間にいろいろなことが起きている。

民主党の政権はもうあきれて誰も話をするのも

いやになったという方が本当だろう。

この二年間で政治は次第に国民から真底から

離反されてしまったと言えるのではないだろうか。


基本的な判断能力が無いに等しい。

朝鮮民主主義人民共和国の金正日主席が死んだ。

線香の一本も上げずに、六カ国協議も拉致問題も

話し合う事が出来る筈がない。

震災では支援をそれなりにいただきながら。

その後の体制がどうなるかといった問題は

彼の国の事であるが、儀礼的に弔意を示し

弔問をしておくのは、外交辞令の芸の内というものであろう。

批判する国民はいるかもしれないが、その時は

江戸の村八分でさえ生死と火事(災害)は残り二分と

していた我が国の文化レベルの高さを信念を以って

語るがいいのだ。と思っていたら小泉はチャンと弔問した

というのである。敵ながら、さすが!という他ない。

国際感覚はどうみてもほとんどゼロなのだ。


原発論議がこのところかなりハッキリと出される

ようになった。このブログでは、発生当初から

メルトダウン、メルトスル―現象であると認めて

書いてきた。津波、津波というけれども津波以前に

パイプが破損して冷却水が漏れていることが

子供でも分るほど明らかなのに、適当な言辞を

弄して事実対応を間違ったのだ。


この震災では、初めから対応を間違い政治主導は

どこにも見られなかったのだ。ボタンの掛け違いは

今なお続いて、今や天災は明らかな人災にかわり

つつあると言って良いだろう。情けない限りである。