冬期講習の効用を説くのだ・・・ | 宮城県大崎市の学習塾、進学塾「あるふあゼミナールのブログ」

冬期講習の効用を説くのだ・・・

冬期講習まであと10日余りとなった。


震災からちょうど9カ月、今日の夜は

皆既月食だという。今朝はうっすらと

雪化粧だった。


塾に出ると電話が鳴った。

冬期講習のお申込み。

「さっき伺ったんだけど、まだ開いて

いなかったから・・・」という。

恐縮して、おいで頂くことに。

個別で一・二教科を受けたいのだが・・

という。


個別よりも「冬期講習が適切だ」と云う事を

あれこれと説く。


本当にそうなのだ。ここまで来ると個別で

自分ペースで・・やりたいと思う人が

確かに増えてくる。わが塾でも個別指導は

やっているのだが、それでも個別より

授業が良いと、つい力説してしまうのだ。

個別ではあまり伸びない。特に中学生の場合

五教科で回数が多い方がよいのだ。

その上、一斉の方がいざとなると伸びる。


これは実は心理学的な実験でも証明されて

いる事実なので、学校では授業の方式を

とっているという面もある。

「満腹してもう餌を食わなくなったニワトリを

空腹で餌を食べているグループに入れると

再び猛然と食べ始める」といった実験もある。

人間はニワトリではないが、むしろ人間の方が

まわりの環境に影響されやすい。


「集団だとうるさいイメージで・・・三者面談で

学校の先生にも、個別でも受けたら・・と

言われたので・・・」という。

そなのだ、うるさい授業というイメージがこの所

定着している事が、個別指導なる形態が

生まれた大きな要因になっている。

塾でも時にはうるさい時がある。そんな教室

では、成績は伸びず、しかも講師の側の

疲労度もはげしい。ゆとり教育が生み出した

状況の一つといってもよいかもしれない。


学校の先生も「塾の授業で伸びた、解った!」

と云われるのは本能的に面白く感じられない

ものらしい。個別や家庭教師などの形式なら

おすすめしても心安らかである。「あなたも

やれば出来るのだから・・」とリップサービス

までつけくわえるのだ。

それは学校も塾も一斉授業という同じ形式で

塾がわかり易く、伸びるなんていわれたら

先生たるもの自分が否定されたように

感じてしまうことだろう。


分からないではないないことだが、

私は塾をやっていて、全く別なことを感じて

いる。


学校の先生は「カリキュラム」という不思議な

発想にとらえられている事が一番の要因だと

思っているのだ。一年はここまで、二年はこれを

三年でこうなる筈だ・・・という学年輪切りの

カリキュラムが学校の先生の発想を縛りこんでいる。

文科省の発想の故である。

到達目標だけでよいのである。中三になって英語が

読めない人がいれば、「読めない英語は覚えない!」

と宣言し読むことから始めるのは

カリキュラムに縛られない塾ならではである。

四則演算が出来ない人が、関数や方程式に

取り組むのは無茶というものなのだ。

授業を受ける生徒の状況にあわせて授業は

成立している・・・