昨日は、珍しく朝から雨が降り続き、クアラルンプールの気温は25度。
少し肌寒い1日でした。そんな中、バカみたいにオフィスの室温を下げるマレーシア人。
寒い季節が無い為か、彼らの寒いという神経は、もしかしたら、生まれた時から備わっていない
のではないか?と密に思うモンドです。
それでは、本日から再び、スリランカ旅行記、シーギリヤロック編を再開いたします。
スリランカの観光地のお値段は、ダンブッラ寺院でもびっくりしましたが、物価に対する
入場料がとてもお高い!!ミュージアム入場券とCD付きで(CDは、マイパソコンに入れたら
壊れるんじゃないか?という音がして、おまけに読み取れませんでした
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/106.gif)
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ウォーターガーデンからみたシーギリヤ
皆さん大好きな美女達、シーギリヤ・レディーをご紹介していこうと思います。
シーギリヤロック記事を書く際、とっても悩んでしまったのは、背景の歴史を
書くべきか書かぬべきか。実際、何故だかガイドさんから聞いた歴史と一般的な歴史とが
微妙に違っている為、そちらを中心に、ご紹介していこうと思います。
シーギリヤロックの背景については、以前も紹介させて頂きました琴子さんのブログが、
とってもわかりやすくまとめられておりましたので、きちんとした背景に興味のある方は
是非、こちらをご覧ください。
シーギリヤロックの一体どこに美女はひそんでいるのか、皆さんご存知ですか?
入口からウォーターガーデンを進み↑こんな階段を登って進んでいきます。
来た道を振返ると↑こんな感じです。
そして、この階段を登り切った辺りが↓の写真の右端、人がぽつぽつ歩いているのが
見える辺りです。
美女のフレスコ画があるのは、右端から矢印方向に進んで、らせん階段を登った○の付いている
所が入口です。○の付いている所から左側にパーティションで囲んだエリアが見えますでしょうか?
この中に美女のフレスコ画があるのです。
こちらに来るまで、シーギリヤ・レディー達は、この岩を登り切った辺りにあるのだと
思っておりましたが、着いて早々、最初に見に行ったのがこの美女達でした。
らせん階段から、歩いてきたウォーターガーデンを見ると↑このくらいの高さがあり、
高所恐怖症ではないものの、ゾクゾクしてきます。。。
今でこそ、世界遺産となり階段等が設置され、歩きやすいですが、当時は、勿論こんな
階段なんて無く、岩壁はほぼ直角。もしかして、当時の人間とされる生き物は
お猿だったんじゃないか?とさえ思ってしまいます。
当時は500体もの美女のフレスコ画があったそうですが、現在見る事の出来るモノは、
当時の25分の1体程。。。。とても、1500年以上も前の絵とは思えないくらい鮮やかで
華やかな美女達にやっと会う事ができました!
本来、悲しい歴史を背景に、カッシャバはこの地で、父を殺してしまった罪悪感と戦い
孤独に11年もの間このシーギリヤで生活していたという歴史が、私も一番見る事が多いもの
なのですが、何故だろう。。。ガイドさん曰く。
カッシャバは、この地で、色んな人種の女性達と見境なく遊んでいたという歴史に
すり替わっているではないか。。。。例えば、少し岩山を降りたあたりまで時々降りて来て、
こんな事とかあんな事とか、、、、と話し出す。。。ガイドさん
父を殺害してしまったという所は同じなのですがね。。。。
お蔭様で、私達の中では、
へ~、カッシャバっていつの世も似たような方がいらっしゃいますが、
拙僧のない男性だったのね。。。という認識が刷り込まれてしまいました。。。
あ~あ、そんな事知らないうちにこのフレスコ画が見たかったわ~!
ガイドさん、長年ガイドをやりながら、ご自分の想像の世界が入ってしまったのか??
それともこんな話もあるのか、謎です。
スリランカは、沢山の宝石が取れる事でも有名な国ですが、当時からきらびやかな宝石を
身に着けていたのでしょうか。待女と思われる上半身に服を着ている女性のジュエリーも
とても華やかです。当時の宝石ってどうやって磨いていたんでしょうね。なんて思いながら、
らせん階段を下りてゆきました。
そう、ここは、シーギリヤロック登頂途中にあるのではなく、登頂する為の階段とは
逆方向。一度降りてから、ライオンの入口へと向かいます
長くなってきましたので、本日はこの辺で~
良い一日を~