全ての真実に至る物語の一日 アフタヌーンティー/《死殺し》の煩悶 | 墜落症候群

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墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 アフタヌーンティー/《死殺し》の煩悶

 こうして、俺は浅倉に全ての話を終えることができた。
「どうだった?」
「どうだった、と言われましても……何をどうこう言っていいのかわからない、というのが正直なところですね……」
「ま、そうだろうな」
「さっき、芽樹戸さんが仰った難点を聞いてさえなお、私――《崩壊点》の問題をまずどうにかしなければ、その後のことを考えられそうにありません」
「ふむ……」
 俺は唸ってから、秘密子が淹れてくれた紅茶を啜った。
 ゲロ甘だった。
「…………」
「その紅茶を飲んでも顔色を変えないとは、流石ね、真理」
「顔色を変えないのが褒められるような類の飲み物を出してんじゃねえよ!」
「あら……私はあまりにも長所がない真理のために、わざわざその紅茶を提供してあげたのよ。
 逆に謝礼を要求したいくらいだわ。
 『この紅茶、甘ッ!!』って吹き出したり、『なんやこれ砂糖たっぷりやんけ!』とかツッコミを入れて欲しかったのに……そう、期待値からすると、期待ハズレだったくらいなのよ」
「……なんで関西弁やねん」
 関西弁で答えてしまった。しかも絶対これはエセなそれになってる。
「うふふ」
 笑う秘密子を見て、なんだか負けた気分になった……ちくしょう。
「とにかく、いつまでも沈鬱な顔をしていても仕方がないわ。愛と平和と光の女神、大斎原秘密子に感謝しなさい、真理。足を舐めてくれてもいいのよ?」
「愛と平和と光の女神は、『足を舐めてくれてもいい』とか言わないから!」
「お兄ちゃんを、ナイフの錆にしてあげる……」
「ごめん、残念ながらこっちにはときめいちゃう俺!」
「改めて考えると、自殺志願者って究極のドMっていうか、変態じゃないですか? 『踏んでくれ』じゃなくって『殺してくれ』って……どれだけ相手に自分のことを預けているんだって話です」
「浅倉、今になって冷静に俺の性癖を分析し始めないで……」
 散々なアフタヌーンティーではあったが(時刻は正午を過ぎ、午後に入っていた)、それでも気分が少しばかり軽くなったのは確かかもしれなかった。
「それじゃあ、お話ありがとうございました。私はそろそろお暇しますね」
 その声と共に浅倉は席を立ち、流れで解散になった。
 俺は自分の部屋で、一人考えごとをする。
 多少気分が軽くなったものの、しかし問題の根本は何一つ解決はしていない……だから結局、気は晴れなかった。
 というか、死ねないというのが一番の問題である俺にとって、気が晴れた試しなんてない。
 結局のところ、死というものに囚われる生だった。
 根本的な理由、俺はなぜ、死というものを追い求めるのだろう。
 そういったことも、いつからか考えることをやめてしまった。
 いつの頃からか、俺は『いつか死んでやる』という目的意識を持ったのだろう。
 だけれど、目的というものは、設定した時点で、それ自体が追い求める対象になる。
 いつの間にか、目的を設定した理由を置き去りにして、目的だけが自分を突き動かすようになる。
 俺は『死にたい』と『誰か俺を殺してくれ』と確かに願っている。
 しかし、俺は死というものを本当の意味で、理解しているとは言えないのかもしれない。
 死。
 死、か。
 目に見えることだけを頼りに考える科学という宗教を信じている人間にとってみれば(今どき、完全に科学を信頼している人間なんて、逆に珍しいのだろうが)、死というのは肉体の終わりである。
 しかし、魂は流転することを――肉体の終わりというのはただの容れ物の終わりに過ぎないということを知っている存在にとって、死というのはもっと深い意味を持つ。
 魂は流転し、成長する――容れ物を変えながら、経験を蓄え、それを他の魂と共有していく――が、その本質は一つのエネルギー体なので、終わりというものがない。例えばある魂がある魂と統合されたとしても、それはエネルギーが一つになったというだけで、元の魂の終わりを意味しない。
 それでは魂の終わりとはいつ訪れるのか?
 それはここ、《世界という泡》においては《崩壊点》によって終わりを遂げ、また《大いなる闇の母》に溶け込むことを言う。
 《世界という泡》と共に、魂達も《大いなる闇の母》に溶け込むのである。
 自他別け隔てのない闇の沼に沈み込むのだ。
 それが『死』だ。
 死というのは自我の喪失であり、自分と他者がまったく別け隔てのない境目のない感覚を体験するということでもある――しかしそれ自体は、次元を上げていけば、死せずとも経験できないワケではない。
 だから死とは、《大いなる闇の母》に溶け込むこと自体に、その特殊性があるのだと考える。
 彼女の紡ぐ新しい物語の一部に自分がなれることの喜び――より大きな法則とただ一体化し、自分がただのエネルギーとして、自分に相応しい位置に完全に配置されるという、託す喜びなのかもしれない。
 だけれど、俺には結局、死というものがわからないのだ――だから仮定するしかない。
 俺は、《世界という泡》に存在するものならありとあらゆるものを闇へと還すことができる。にも関わらず、自分を殺すことはできない。そこにあるのはなんという矛盾なのだろうか!
 俺がなぜ死に焦がれるかと言えば、結局のところ『死ぬことができないから』という風に言えるのかもしれない。
 生きてありとあらゆる経験をすることができても、死ぬという経験はできない。 
 だからこそ、死という可能性を味わってみたい。
 新しい可能性を見てみたい、それこそが、俺が死を求める理由なのかもしれない。
 同様に、そんな死を求める自分の欲求のためだけに、この《世界という泡》を作ったことに、罪悪感もある。
 こんなのはただの試行錯誤に過ぎないとしても――それでも。
 俺は自分の欲望のために、多くの存在を巻き込んでいるのだ。
 大体、この《世界という泡》を創った理由、そのものが――。
 いや、これは今は考えることはやめておこう。
 そんなことを考えたら、俺の戦う意味は何もなくなってしまうかもしれない。
 それはきっと、明確に意識してしまったら、もう一歩も動けなくなる類の言葉なのだ。
 例え、自分を偽っているとしても、俺は《崩壊点》を食い止め、この《世界という泡》を守り抜かなければならない。
 それは一体何のために? という声が、自分の中で響いた気がしたが、俺はそれに気付かないフリをした。