呆然とこちらを見ているカガリを、数秒、眺めている内に、俺に何というか、感覚が戻ってきた。
――言わせてもらえば。
言わせてもらえば、驚いているのはこっちの方なのだ。
俺は今、カガリに何と言っただろうか?
昨日、あんな強引な形で、知り合わされたばっかりの彼女に?
「本当に……良いの? 私、本気にするよ?」
「ああ……」
しかし、今更引っ込みは付かずに、俺は仕方なく頷く――。
だけれども、
「そういえば」
「何よ」
「授業料については話していなかったな」
このまま話を通してしまうのは気に食わなかった。
いくら、俺の方から口を滑らせたとはいえ。
こんな流れに乗せられるみたいな形で。
これまで、全ての答えを見通し、言ってしまえば人生の全てを「計算」で乗り切ってきたようなこの俺が。
そういえば「気に食わない」なんて想う事も久しくなかった、だなんて事に想いを馳せる余裕は当時の俺にはなかったのだが。
「じ、授業料?! お金取るの……」
「考えてみればだ、カガリ」
「なによ」
「お前が持ちかけてきたのは、「家庭教師」、じゃないか」
「そうだけど、それが?」
「家庭教師と言えばある種の職業だ。そこには賃金が発生するのがむしろ当然だとは想わないか?」
「まあ、そりゃ、そう言ってしまえばそうかもしれないけど……」
でも、さっき、あんな風に言い切ってくれたのに、あれは何だったの……とカガリが小さく呟いたが、俺は聞こえない振りをした。
「ちょっと格好良かったのに」
ちょっと耳が遠くなっているようだ、すまないなカガリ。
「それで? お前は俺の家庭教師に対して何を対価とするんだ? 俺もやる以上はさっきの言葉は覆さない。お前が望むなら、俺の志望している県で一番の公立高校と同じレベルまで引き上げてやる」
「そ、それは……何か同級生にお金を払うのも違和感あるし……」
「まあな。だが、それならそもそも、同級生に「家庭教師」を頼むお前からしてどうなんだよ……」
「それはそうなんだけどさ……」
カガリは小さく苦笑してから、口元に人差し指を当てて、少し思案するからのような素振りをした。
「じゃあ、こういうのはどう?」
悪戯っぽく笑いながら。
「私と同じ部屋で、一緒に勉強できること、それが授業料」
「先に言っておくが」
「なによ」
「お前に俺が仄かにでも恋愛感情を抱いているという錯覚をもしお前が抱いているのなら、それは完全に誤りだ」
「う……」
「そもそも恋愛とかわからないしな。直裁的な話をしてしまえば、俺は第二次性徴が訪れるのが遅い体質らしい。つまりお前にそういう興味を抱く事は身体機能的にも無理だ」
「は、はあ……?! 何を言っているか意味が……」
事実を告げているだけなのだが、カガリの顔の方が赤面していた。
……良かった。カガリの頭のせいで、俺の話が理解できなかったらどうしようかと想った。
「そういう訳で俺はお前に恋愛感情もときめきも感じない。だから安心しろ。
二人っきりになっても何も起こらないから。
逆説的に言えば、それは対価にはならないな」
「え、でも、こういうのって男子の方が喜んだりする状況じゃあ……。
ほらもっと淡い感じの……手と手が触れ合う感じの……」
「漫画の読み過ぎだぞ。カガリ。
それにそれは性差別じゃないか。
それを言うならば、お前も中学3年の男子と一緒の部屋で勉強をすることで、その「淡い感情」を抱くかもしれないだろ?
そこはお互いさまじゃないか」
「うぅう……」
というか、唸るカガリを見ていると想うのだが、コイツを見ているととても同い年の女子とは素直に見れない。まるでそこら辺にいる野良猫のように見える。
……と、それを正直に言うとまた殴られそうなので言わないのだが。
「じゃ、じゃあこういう事にしましょう! 何というか、「教える喜び」!
すっごいダメダメな生徒に、物事を教えるのって、トガくんにもすごいメリットがあることかも知れないじゃない! そして一緒に志望校を目指すの! ダメダメな生徒と! 先生がね!
あああ……自分で落ち込んできた……」
「……些かカガリに都合の良い論理展開だが、それは気のせいなのか?
まあ、妥当な落とし所かもしれないな。
教える方が勉強になるとは良く言うし。
確かに、俺には取りようもない点数を取るような人間に勉強を教えるというのは、少しだけ……そう少しだけ、俺にも面白い経験となる可能性を否定はできない、かもしれない。
……それじゃあまあ、これからよろしくカガリ」
手を差し出す。俺の言いように一瞬睨んできたカガリだが、次の瞬間には、少し顔を赤らめて俺の右手を握り締めながらこう言った。
「まあよろしく……。
トガ、「先生」」
ようやく自分の立場を弁えたか。
というか、お互いが学生服を着ていた事も相俟って、カガリの「先生」呼ばわりが余計に演技めいていて、俺は笑ってしまった。
すると、カガリは左手で、
「何よもうッ!」
と、俺を殴ってきた。右手で握手している為に俺は逃げられない。
――何て事だ。コイツといる限り、理不尽な経験には事欠きそうもない。
左手でカガリの手を必死に防ぎながら、俺はそんな事を想っていた。
透明アンサー。その5。
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