読者の方からの御質問にお答えします!!Dr佐野千遥の「言語科学に基づく人類系統図」に付いて!!! | フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

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資本主義主力の株式会社制をも覆す、貴方を悩みと賃金奴隷状態から解放するフリ-エージェント世界革命を、誤った現行全自然社会人文科学を根底的体系的に批判し、一枚岩無矛盾の全新厳密科学体系を創り出した(世界史上これに挑んだ他者無し)FA大学佐野千遥教授が領導する

読者の方からの御質問にお答えします。Dr佐野千遥の「言語科学に基づく人類系統図」に付いて

ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派:ドクター佐野千遥

Fuhai-damashi-nashiさんから

“1 原型ゲルマン語から退化した英語、米語説に対し、英語のhave助動詞の分析的な完了形などを簡素化の独特の進化とするイエスペルセンの見解があり、イエスペルセンの説に対して泉井久之助は、それは英語独自の手法でなく、ラテン語やフランス語を通して英語に入ったもので、古くは印欧語として最も古い文献を持つヒッタイト語に大きく発展していたと主張し、又冠詞を持たないロシア語は複雑化の道を取ったが簡素化の道は大体決まっていると主張する(「ヨーロッパの言語」岩波書店)。佐野退化説は英語のドイツ語やフランス語からの簡素化と違った意味はあるのだろうか?
2 フランス語のヒンデイ語との鼻音共通性によってアーリア人のフランス、ドイツ地域への侵入を佐野説は主張する。一方、有史以前のスペイン人は、中央アジア発生地のアジア種族で、その言語がトウラン語であった為、後にラテン語を採用した時にも母音はトウラン語風(日本語と同様)になったという(永田寛定 イスパニア語ー白水社ー)。永田説は妥当であろうか(イタリア人も中央アジア種族か)?ご教示願います。以上”

との御質問がコメントとして寄せられましたので、以下に回答申し上げます。

私・佐野千遥は、英語がゲルマン語に比し、冠詞・名詞・形容詞の性が消滅し、格活用が消滅し、動詞の活用が消滅した、簡素化=退化の極みの言語であり、本来的に言語の普遍的法則性である文法がそのように退化してしまった結果、英語は表現力が圧倒的に劣った言語、論理的表現力が圧倒的に劣った言語となった、と従来から主張して来た。徹底して文法が退化した英語を母国語とする民族は文法に依る論理訓練を受けずに育ち、世界に冠たる大英帝国そして米帝国が何百年も続いて来ているのに、大数学者や大物理学者は終ぞアングロサクソンから出た試しが無い。アイザーク・ニュートンはユダヤ人である。

“イエスペルセンの見解”の“英語のhave助動詞の分析的な完了形などを簡素化の独特の進化”に対して反論を述べよう。

何を指して“英語のhave動詞の分析的な完了形の進化”と呼んでいるのであろうか?
考えられることは

1 文法上の時制に付いて英語、独語、仏語を比較した場合に、英語は現在完了を単純過去と時制の面で明確に区別しているが、現代の独語、仏語は口語に於いては単純過去を使わず、口語では過去は現在完了で表現する点は有るが、新聞雑誌も含めた書き言葉に於いては単純過去を使っており、日常会話の口語でも、新聞雑誌からの引用をしながら喋る時には縦横に単純過去も使っており、英語には“分析的な完了形の進化”が有るとは言い難い。

2 haveを動詞として使った慣用句が山のように英語には存在する。そのような慣用句はドイツ語にもフランス語にも存在しない。このhaveを使った“豊富な”慣用句を指して“英語のhave動詞の分析的な完了形の進化”と呼ぶのならば、それは本末転倒した論でしかない。何故ならば、何故英語がhaveを動詞として使った慣用句を山のように造り出さなければならなかったかと言うと、文法の破壊に依って生じた表現力の徹底的劣化を補わなければ英語が表現力に於いて使用に耐え得る現実の言語として生き残れなくなる危機に瀕したからである。

そのようにして英語はhaveを動詞として使った慣用句を山のように造り、危機を回避しようとしたが、どんなに沢山慣用句を山のように造っても、普遍則の文法の汎用性には敵(かな)うべくも無く、依然として、他言語に比し圧倒的に表現力が欠けている。更には普遍則の文法は学習(帰納的学習=データに隠れている関数・法則性を抽出する事。情報理論)により身に付くものであるが、慣用句は丸暗記主義により身に付く物である。つまりアングロサクソンは学習を経験せず、丸暗記主義で育った為に、大数学者、大物理学者はアングロサクソンからは終ぞ輩出しなかった。

また

“泉井久之助は、それは英語独自の手法でなく、ラテン語やフランス語を通して英語に入ったもので、古くは印欧語として最も古い文献を持つヒッタイト語に大きく発展していたと主張し”

と有るが、

1 古代ラテン人が混ざっていないアングロ・サクソンの英国の島に移り住んできたのは、アトランティスから戻って来た“海の民”古代ラテン人や古代ラテン人が混血したフランス人が英国の島に侵入しようとしたより遥か昔であり、“フランス語を通して英語に入った”なる論は成り立たない。アングロサクソンの言葉haveはゲルマン語族のhabenであり、ゲルマン語自体がhaben動詞の現在完了が単純過去と区別される(=haveの分析的用法)物である文法的規則性を古来持っており、古代ラテン語から英語に入ったとは言い難い。

2 “は印欧語として最も古い文献を持つヒッタイト語”という表現が有るが、これに対しては以下に完膚なきまでに反論する。同じように格活用、動詞活用が有っても、印欧語がアルタイ語と区別される根本的点は、印欧語の動詞活用が人称に基づく動詞活用であって、アルタイ語の動詞活用が人称に依らずに、否定形(未然形)、副動詞(連用形)、不定形(終止形)、能動形動詞(連体形)、動詞の仮定形(仮定形)、命令形(命令形)の区別に依る活用である事とは異なっている点に有る。
ところでヒッタイト語の動詞活用は人称に基づく動詞活用でなく、人称によらないアルタイ語系の動詞活用と成っており、ヒッタイト語を印欧語と分類する事自体が根本的誤りである。

而もヒッタイト語はシュメール文字を使っており、シュメール民族はアルタイ語族であり、バビロニア第1王朝の滅亡を以ってシュメールの名は歴史の表舞台から消え去ったが、チグリス・ユーフラテス川の源流の水源地である現トルコのアナトリア地方にシュメールが退却して創ったヒッタイト王国は、セム族に乗っ取られてしまったバビロニア王国を、後に古代エジプト王国と戦争になる直前に(シュメールとして)攻めているのである。つまりヒッタイトの眼は中東に向いていたのであってヨーロッパには向いていない。若し仮にヒッタイト語がヨーロッパ語であったとしたら、ヒッタイトの眼はヨーロッパに向いていた筈であり、ゲルマンとの諍いが生じて然るべきであったが、ゲルマンとヒッタイトの諍いの記録は無い。そしてヒッタイト王国にとって“ヨーロッパ人”との接触は、ヒッタイト王国が海の民=後のギリシャ人・ローマ人によって攻め滅ぼされた時に初めてである。

“有史以前のスペイン人は、中央アジア発生地のアジア種族で、その言語がトウラン語であった為”との記述に付いて述べる。

此処で言う“アジア種族”とはムー大陸から発生したアルタイ語族であって、アフリカのコイサン語族から進化発生した中国人ではないことに注意を要する。又、上記の論の矛盾は、トゥーラン人は有史以前スペインに住んでいてもイタリアに住んでいなかった事実が有るのに、何故イタリア語もスペイン語と同じく母音が[ア][エ][イ][オ][ウ]だけしかないかの説明が出来ない点に有る。何れにしても現スペイン語にはアルタイ語文法の痕跡は皆無であり、スペイン語形成過程に於いて有史以前のスペイン住民であったトゥーラン族の影響はほぼ皆無と言える。

“トウラン語”=“トゥーラン語”とは元はと言えばムー大陸から発生したチュルク語族(トルコ語族)であり、これはアルタイ語族である。しかしトルコ語族はアルタイ語族系であっても母音の数がゲルマンに劣らず多い事が特色であり、この“トゥーラン語族がスペインの原住民であったから、母音が[ア][エ][イ][オ][ウ]だけとなった”という説は矛盾である。

スペインやポルトガルに実際に住んで見ればお分かりになると思われるが、バスクの影響が非常に強い地域である。バスク語とはウラル語族であり、同じくウラル語族のアイヌ語と同じ様に母音は[ア][エ][イ][オ][ウ]だけしかない。しかしバスクの影響はイタリアには僅少にしか無く、スペイン語、イタリア語に共通な母音[ア][エ][イ][オ][ウ]のみ、という属性をイタリア語に適用してバスク語の影響とする論は無理である。

何故スペイン語とイタリア語は母音が[ア][エ][イ][オ][ウ]だけとなったかの理由は、結論を述べるとケルト人のケルト語がセム語族であり母音が基本的に[ア][エ][イ][オ][ウ]だけだったからである。フランス人、スペイン人、イタリア人、ポルトガル人といった新ラテン人達は全て古代ラテン人+ケルト人+ゲルマン人の混血として出来上がった民族である。スペイン人、ポルトガル人は+バスク人となる。

“冠詞を持たないロシア語は複雑化の道を取ったが簡素化の道は大体決まっていると主張する”“泉井久之助”の主張について。

セム族発生より前に、ハム語から古代ラテン語とスラブ語が進化して出現した際には、突然変異的に文法の複雑化が起こっている。そしてハム語族からセム語族、ギリシャ語族が進化発展した時も、突然変異的に文法の複雑化が起こっており、セム語は世界史上最高の複雑度を持った文法を有する言語となった。

そのセム語から派生したゲルマン語[註]はセム語より文法の複雑度に於いて劣っており、よってセムからのゲルマンの発生は退化であって進化ではない。

[註]:つまりドイツ人は彼等が最も嫌いなユダヤ人から発生した。またドイツ人の白人至上主義者達がアレキサンダ大王をアーリア人の英雄としているが、アレキサンダー大王はギリシャ人であり、ギリシャ人とはゲルマン人の祖先ではなく、セムとほぼ同時期にハムから発生した。つまりギリシャ人とは、セム系統のゲルマンとは別系統の白人アーリアである。よってドイツ人の白人至上主義者達がアレキサンダ大王をアーリア人の英雄とする事は全くのお門違いと言わざるを得ない。
このように佐野千遥の人類系譜論は白人至上主義とも根本的に対決する理論である。

白人至上主義に付いて更に述べよう。ヒットラーとは、イルミナティ闇の権力をユダヤ人の手からゲルマン人の手に奪い取ろうとした人物である。ところでイルミナティの25箇条綱領に纏められたシオンの議定書の基底に有るタルムードを紀元前13世紀に口承したモーゼ自身が既に選民のヤテベ(=白人のユダヤ人=ゲルマン人)であって、人種的特徴を基にハム(黒人)を蔑視し、ユダヤ人ヤテベ以外は人間に非ず、人間でない異教徒に対しては、十戒の“汝、人を殺すなかれ!汝、姦淫するなかれ!”の戒律は適用されないとした、つまりユダヤ教の白人モーゼのタルムード自体が既にゲルマンの白人至上主義であった(モーゼが白人であったとの学説は私・佐野千遥が提起するのが史上初めてであり、タルムード自体が白人至上主義であるとの学説も、私・佐野千遥が提起するのが史上初めてである)。

そしてムー大陸系白人のハンガリア人の民族的母体に、同じくムー大陸から発してドラビダ →ハム → セムを経てヨーロッパ系白人となったユダヤ教を信奉するユダヤ人ヤテベ(=ゲルマン)が多数混血して改宗して出来上がったハザール・アシュケナジーと、それが成した国家イスラエルはアラブ人に対し正に白人至上主義として立ち現われている。

<[註]は以上>

近代言語学の創始者のフェルディナン・ド・ソシュール自身が、言語とは歴史の流れの中でéconomiser(economize)されて行く、つまり簡素化されて行く傾向に有る、事をソシュール言語学のdiachronie(歴史的発展を扱う言語学の領域)の章に明確に述べており、これは正しい事を私・佐野千遥は従来から認めている。但し、ハムからスラブ、古代ラテンが突然変異して発生した時、ハムからセムとギリシャが突然変異して発生した時には、文法の一挙的複雑化が起こっている。つまり文法の複雑化は新たな語族が突然変異で古い語族から出現する際に一挙的に生じる物であって、語族が歴史的時間の推移に連れて徐々に文法を複雑化した、等とは私は一切言っていないのである。

ソシュールも佐野千遥も言語のéconomisation簡素化が、反エントロピー進化であるとは言っていないのであって、反エントロピー・プロセスの合目的的突然変異で高度の秩序性を獲得した言語が、時代の流れに連れて簡素化されて行った事は、寧ろ秩序の崩壊=エントロピー増大現象と見ている。

以上、泉井久之助氏の“言語の文法の複雑化説は間違いで、言語の簡素化が基底的法則性であって簡素化=進化である”なる主張は全くのお門違いであり、全くの間違いである事が論証された。