「パリ同時多発テロ」という蛮行について ~命運分けた九死に一生と恐怖の証言~ | 「365日の言の葉」

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【2001年9月11日に、アメリカ・ニュヨークで同時多発テロがあった。世界を震撼させたあのテロから、実に14年の歳月が流れた昨日、それを彷彿とし連想させる同時多発テロが勃発した。その場に居合わせたという日本人の証言から、その怖さが窺い知ることが出来るので、それについて書きました】




昨日、駅などで号外が配られていたという。自分が使っている名古屋駅構内でもそれはされていたようで、手に持って歩く人を目にした。その時は詳しく内容を知らなかったが、その後携帯や自宅のニュース番組で程なく詳細を目にした。フランス・パリの中心部で、週末の夜を楽しんでいた市民に無差別テロが次々に襲いかかった。



今年の流行語の「政治編」の一つに、「テロに屈しない」がノミネートされた。今回のパリ同時多発テロについて、トルコ訪問中の安倍 晋三首相は14日午前(日本時間14日午後)、「いかなる理由があろうともテロは許されない。断固、非難する」と、宿泊先のイスタンブールのホテルで記者団に語った。



フランスのオランド大統領は、過激派組織「イスラム国」(IS)が事件を起こしたとし、「フランスと我々が世界中で守っている価値に対するISの戦争行為だ」と非難した。それに対しISは、14日にインターネット上で「(ISの)戦士たちが"不貞の都"を攻撃した。爆弾と自動小銃で武装した8人の同胞が、パリの選ばれた場所を標的にした」などという犯行声明を発表した。AFP通信によると、死者は少なくとも128人に上っている。また、約3000人が病院に搬送され、うち80人が重体である。短時間で劇場やレストラン、そして競技場など6ヵ所が襲撃され、仏のメディアは「フランスで起きた戦後最悪のテロ」と伝えた。



今月末からは、パリで各国首脳も参加する国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)が開かれる予定で、仏政府は警備を強化していたが、盲点を突くように無防備な市民が狙われた。この事件を防げなかった衝撃は大きく、家族や友人は悲劇を悔やみ追悼の思いを深めている。



海外実習中の米大学生やスペイン人技師、たまたま劇場に居合わせた英国人…。犠牲者の身元が次第に明らかになると、その被害者の国籍は欧州だけではなく世界各国に渡っていることが分かった。そして、現地にいる日本人にも例外なく牙を向いた。たまたま遅刻してパーティー会場で起きた襲撃を免れた大学院生、混乱した街頭で警官に銃を向けられた高校生…。「一歩間違えれば巻き込まれていた」「いつ撃たれるか怯えながら避難した」と、一夜開けても動揺は続いていた。



「パーティーに遅刻したおかげで助かった。"九死に一生を得た"という言葉しか思い浮かばない」フランスの大学院に留学中の石川 勇太さん(31)はテロ当日の夜、知人から誘われてパリ市内にあるカフェ「ラ・ベルエキップ」で開かれた女性の誕生日パーティーに参加する予定だった。しかし用事で遅刻し、到着前に同店で銃の乱射があった。彼が滞在していた知人の家から店までは、歩いて約5分という距離にあった。お店へ向かう途中で、警官が路上を封鎖していて足止めされた。「喧嘩でもあったのかな」と考えながら待っていたところ、近くにいた若いフランス人女性が突然「この中に恋人がいるの!」と泣き出し、その異変に気付いたという。



すぐに滞在先に戻りニュースをチェックすると、あのパーティー会場が銃乱射の現場になったと知った。連絡がつながった知人の出席者から、「自分はすぐに机の陰に隠れて無事だったが、参加者の約半数が亡くなった。誕生日の女性も重体だ」と聞かされた。「自分は遅刻のおかげで助かったが、参加者は何人も亡くなっている。素直に喜ぶことはできない」と、神妙に語った。



「すぐ避難しろ」当日の夜、パリ中心部にあるレストランにいた高校2年生の近藤 拓実レオナルドさん(16)は、友人からの電話で市内のテロ発生を知った。店を飛び出して自転車を猛スピードで漕いでいると、どこからともなく「ダダダダ」と小刻みに銃声が響いた。通りには、警察車両が止まっていた。車両やごみ箱などの物陰に隠れていた警察らの視線が自分に集まり、気付けば銃口も向けられていた。慌てて両手を挙げると、警察は必死の形相で「隠れろ」と口にした。襲撃されて死傷者が出ているレストランが近くにあり、どこに犯人がいるか分からない恐怖と緊迫感に怯えながら、近所の友人の家に避難した。着ていた服は、大量の汗で濡れていた。ようやく自宅に帰り着いたのは、翌日の昼頃だった。「ここは僕らが遊んでいたパリなのかと思った」と語る彼は憔悴していた。



銃乱射があったカンボジア料理店から約50メートル離れたレストランの厨房では、パティシエの杉村 佳映さん(34)が働いていた。店内が急にざわめき始めて、何が起きたのかと目をやるとテラス席の客が避難して、体を震わせて泣いていた。「テロは"まさか"という思い。怯える人を見て鳥肌が立った。」と口にした。



爆発が起きた劇場から約1キロ離れた別の劇場では、音楽家の渋谷 慶一郎さん(42)が作曲中だったが、友人から「絶対外に出るな」と連絡がありテロを知ったという。警備員が「人がいると知られるのは危険」と電灯を消し、朝まで息を潜めていたという。「私がいた劇場は、この夜たまたま公演がなかった。観客が集まっていれば、巻き込まれていた可能性もあった」と振り返った。今のところ日本人の被害者は報告されていない。まさに"九死に一生"の体験をした人たちの声は、惨劇の酷さを語っている。




(参考資料:産経新聞ニュース 国際編 11月14日付&15日付,毎日新聞ニュース 11月14日付&15日付)