日本に眠る明治時代のイタリア人版画家... | veneziaの芸術に囲まれて

日本に眠る明治時代のイタリア人版画家...

こんばんは!!





皆さんは社会の教科書等で
一度はご覧になったと思いますが


こちらの明治天皇の御真影






「お雇い外人」の1人だったイタリア人版画家
edoardo chiossoneの作品で...シュールくん
エドアルド・キョッソーネ

右:イタリアのキヨッソーネの肖像画記念切手(500リラ)

 





彼はあの西郷さん本人ではない!の肖像画なども
残しています...






さてさて、簡単にキヨッソーネをご紹介イタリア
彼はアレンツァーノ(ジェノヴァ県)で
代々製版、印刷業を営んでいた家系に生まれ

14歳からリグーリア美術学校で銅版画の彫刻技術を学び
22歳で卒業、特別賞を受賞し教授となりました。

1867年に開催されたパリ万国博覧会で
出品した銅版画は銀賞を受賞し

その後、紙幣造りに興味を持ち
イタリア王国国立銀行に就職。

1868年、同国の紙幣を製造していた
フランクフルト(ドイツ)のドンドルフ・ナウマン社に転任し...

当時ドンドルフ・ナウマン社は
日本の明治政府が発注した政府紙幣(明治通宝)を製造しており
彼も製造に関わっていましたが
キヨッソーネが来日した1875年(明治8年)
当時、彼はイギリスの印刷会社に勤めていたそうです
イギリス旗



出来立てホヤホヤ明治政府にとって
偽造されないような精巧な紙幣を製造するのは大きな課題で

このままドンドルフ・ナウマン社に紙幣印刷を依頼するのは
経費が嵩む他、安全性に問題があるとして国産化を目指し
その技術指導の出来る人材を求めました。

キヨッソーネが日本からの誘いに応じたのは
大隈重信が破格の条件の提示があったからでもありましたが
当時、写真製版技術の発達が進んでいた事もあり
銅版画の技術を生かせる活躍の場を求めたからだそうですシュールくん


来日し、大蔵省紙幣局(現国立印刷局)を指導o(`д´ 。)
彼は印紙や政府証券の彫刻、日本の紙幣/切手印刷の基礎を築いた他
若者達の美術教育にも尽力したそうですシュールくん
奉職中の16年の間に
キヨッソーネが版を彫った郵便切手、印紙
銀行券、証券、国債などは500点をも超えるそうです(*゜▽゜ノノ゛☆


日本で製造された近代的紙幣の初期の彫刻は
彼自身が手がけた作品!!


左:1円札
右:10銭切手

 






また、1888年には宮内省の依頼で
明治天皇の御真影を製作した時は
同省から破格の慰労金2500円を授与






日本の印刷技術の基礎は彼のお陰(。-人-。)
と言っても過言ではないそうで

雇用期間が終了した1891年(明治24年)には
退職金3000円と年額1200円の終身年金の他に
勲三等瑞宝章を政府から与えられたそうです

しかし、これらの莫大な収入の殆どは
日本の美術工芸品を購入するのに当てた他
寄付に充てたらしい...
彼が購入した美術工芸品は
浮世絵版画3269点、銅器1529点、鍔1442点など
15000点余り\(゜□゜)/

彼の収集品は『ジェノヴァ市立キオッソーネ東洋美術館akn』所蔵イタリア






彼は最期まで日本に留まり
1898年、麹町の自宅で亡くなり
青山霊園に埋葬されました。

alexの地元のお友達は、幼い頃
お散歩したりかくれんぼしたりで、彼のお墓を見た事がある??? ☜罰当たり?!
って、当時、私も意識した事がないですけど...







さて、明日9月21日
明治の日本におけるイタリアからの...
「お雇い外人の活躍」などをテーマに
書籍を紹介するイベントが

大阪の朝日新聞ビル1階 アサコムホールで
行われるそうです日本
締め切りは今日までだそうですが
私だったらダメ元で明日、参加出来るか電話しちゃうかも...



先程知り、面白そうなので
載せようと思った記事ではなく
彼にスポット・ライトを当ててみましたサーチライト

このイヴェントに参加される方は
いらっしゃいますか???

行かれるなら、どうか私の分も
楽しんで来て下さい~ayaハート




あ、明治時代にイタリアから日本に行った人がいた様に
勿論、逆のパターンもあったんですよイタリア日本

そのお話は、またいずれ~PC*


またね~enaCiao



いつも読んで下さって有難うございますLOVEラブラブ

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