アフリカの出来事―岩が動いている。 | フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

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フィリピンは住めば住むほど人生気楽になるよ、まずは僕の話を聞いてから一度遊びにいらっしゃい。

アラブの春で、北アフリカのアラブの連中は大荒れだが、今度はブラックアフリカの最大の国ナイジェリアがきな臭くなって来た。アフリカの国々で発展している国なんて皆無だ、しかも極貧の国々の集まりなんだ。何であんな所で諸中争いがおこるんだろう?決まっているさ、全て天然資源が有るからだ、石油、ウラン、希少鉱石、金銀、ダイアモンド等々なんでもござれだ。

僕は、アフリカの記事に接している内に、またアフリカの駐在時代を思い出した。アフリカと言うとみんな真っ黒なアフリカ人を思い浮かべるが、北アフリカはその他のアフリカとは全く異なる人種だ。どちらかと言うと北アフリカの人間は欧州的な顔をしている。エチオピアはシバの女王を出した国なんで、みんなノーブルな顔をしている、鼻筋が通っていて極めてヨーロッパに近い顔つきだね。無論色は可なり黒いが、凄い美人も沢山いたよ。エチオピアの人間は極めて誇り高い国民であることも確かだが、いかんせん酷い貧乏な国なんだ。

僕はエチオピアの女性と親しく接した事はないが、エチオピアの女性と親しくなった僕の友人の話しだと、エチオピアの女性は、一度是が自分の男と決めたら絶対に他の男に近づかないそうだ、極めて貞操が固くて何年でも同じ男を待っていると話してくれた。昔々の日本女性を思い浮かべるようだね。

スーダンって言う国があるよね、あの国は今でも内戦が続いて居る国で、国とは全く呼べない。僕は、あの国に行った事が有るんだ、無論南スーダンが分裂していない頃の話しだが。あの国の首都はハルツームと言う青ナイルと白ナイルが合流する地点にある。もう30年も前の話しだよ。あんな所にビジネスなんかあるはずがない、でもODAならなんとかなる、そこで農業プロジェクトをやろうってんで行ったんだが、ハルツームに入ってビックリした、丁度午後2時頃なんだが誰も町に居ない、西部劇の‘真昼の決闘’を思い出すような、がら―んとして街だった。何でなんだろうと思っていたんだが、夕方になったら人が一杯出てきた、あまりに暑くて昼間に仕事をする奴なんていないんだよね。

スーダンの意味って、知っている?アラブ語で‘黒い人’って意味さ。エジプトは、かなり白い奴と黒い奴がいるが、みんなアラブの人間で精悍な顔をしている、所がスーダンは北の方だとアラブ系で、南の奥地に行ったら正にブラックアフリカンだ、だから何十年にも渡って内戦が続いていたんだな。その昔は、スーダンのアラブ系連中やナイジェリアの連中がスーダンの南部で奴隷狩りをやったんだよ、歴史的に見ても南の人間は酷い目に有ったんだ。だからさ、南スーダンが独立の為に数十年にも渡って死闘を繰り広げてきたのは分るね。

僕がアフリカに駐在していた頃は、スーダンの内戦はあまり表面化していなかった。1970年代に豊富な油田が見つかってから、争いが表面化し出したんだね。でも僕の駐在時代は、油田が発見されてまだ日が浅かったのか農業しか無かったよ。内戦が段々ひどく成りだしたのは石油を狙って、欧米の禿鷹どもが引き起こした事は明白だよね、今じゃ中国までが油漁りで必死だ。それに中国はナイルの恩恵を受けている農業地区を狙って、数万人もの自国の農民を送りこんでいるぜ。中国ってのは、本当に恐ろしい国だ、だって農産物は全部自国向けなんだから。

アフリカって言うと誰もがターザンの映画に出てくる黒人ばかり思い浮かべるが、アフリカを旅行していると結構違った顔をしているのに気が付くよ。いわゆるブラックアフリカンと言うのは髪が縮れているんだ、その縮れも尋常なもんじゃない、とにかく蚊取り線香みたいに完全に円を描いていたね、それに凄く肌が黒いんだよ。アフリカ人の劣等感の最大のものは、色が黒く髪が縮れている事なんだ。僕がアフリカに駐在していた頃は、床屋が不潔な所ばかりだったんで、殆ど散髪に行かなかった、だから肩まで髪を伸ばしていたんだ、この長い髪の毛がアフリカの女性の羨望の的でね、髪の毛が長いだけで、何度アフリカの女に言い寄られた事か。

僕はブルキナファソと言う国に入った、正に砂漠の国で全く何もない、あんな国じゃ農業だって無理じゃない、よく人間が生きているって感じだったよ。
この国名の意味が面白いんだ、‘清廉潔白な人達の国’って言う意味さ。この国は昔フランスの植民地で国語がフランス語だよ。ワガドウグといのが首都でね、フランス人の植民地造りの典型だね、ここだけは別世界で一つだけ良いホテルが有って、フランス料理屋も中々のものだ、この界隈に居る限りは都会の生活が味わえる、でもひとたび街の外に出たらそれこそ何もない原始の世界だ。

ボルタ川と言うのが国を縦断してガーナに流れ込んで大きな湖を作っていた。僕は農業省を訪問して日本のODAでの農業プロジェクトをプロポーズしたりして数日を過したがあまりにも退屈で後輩を誘ってマリの国境を目材したんだ。土ほこりを上げながら車で1日中走り続けたよ。マリの国境に着く前にボボって言う町が有る、ここに取敢えず行く事にして、ホコリまみれに成りながら車を走らせていた。

大分長時間車に揺られていたんで後輩の若い奴が車酔いを起こした、そこでしばらく道端で休む事にしたんだ。道路は盛り土されたやや高めの所に位置していてね、道路の脇に座って遥かに続くパンパス地帯を眺めて居たんだ。僕の後輩の男がいきなり叫んだ、‘田中さん、森が動いている’って、僕は、後輩が余りの車酔いと暑さで、今度は熱射病に掛かったと瞬間的に思った。こいつは厄介なことだ、なにしろアフリカの奥地でしかも病院は愚か薬局だってない場所で、熱にうなされ始めたんだ。

‘おい、大丈夫か’って傍に駆け寄って行った、彼はしきりに数十メートル先を指差している、僕はジッと眼を凝らして見ていた。なんと大きな岩が‘ゆらゆら’と動いているではないか。僕は是は絶対、蜃気楼に違いないと更に見つめていた。十数個の大きな岩が揺らめいているんだ、しかも蜃気楼なんかじゃない。こいつは地震かとも思ったが、岩が揺らめいているにしちゃ、僕が立っている所は全く揺れていない。

如何したんだろう、あの灰色の十数個の岩だけが何でゆらゆらしているんだ?と思わず傍に行ってみようとの誘惑にかられたが、はっと気が付いた、野生のアフリカゾウの一群が木陰でゆったりと休んでいたんだ、凄い光景だった。僕らは思わず歓声を上げてしまった。後輩の男が今度は振り返ってみたら、子連れの凄くでっかいアフリカゾウが葉を食べているのが見えた、この後輩は‘子供がいる’って大声を出しながらそちらに走って行った。

僕は茫然とした、相手は野生の象でしかも子連れで有る、どんなに危険なものか僕でもわかる。母象が物凄い叫びを上げて威嚇した。僕は若い後輩を思い切りぶん殴って、一目散に車の方に走って逃げて行った。象は走りだすと時速60km以上のスピードが出るし、踏みつけられたら、正におせんべいだ、鼻で巻きつかれて投げ飛ばされたら木端微塵だ。この馬鹿な後輩は動物園でもいった気持ちだったんだろう。とにかく車に飛び乗って一目散で逃げた。でも象の集団にあのような所で遭遇するとは夢にも思わなかった。二人ともなんとか無事に逃げられた事を思い出すたびに背筋が寒くなる。

僕はそれから度々新聞記事で象の襲撃で村人が殺された話や、象が民家を押しつぶしたとか、学校の校舎を占拠したというニュースを見た、あの時に母象が僕達に向かって来たら、僕達は如何考えても命が無かった、今こうしてマニラでこう言った事を良い思い出として思いだせるのが不思議なくらいだが、人間はこう言った危険な目に何度も会いながら生きているんだなって思った。

それにしてもアフリカ大陸とは、不幸を背負った大陸だね。未だに子供達が奴隷として農村地帯に売られている。西アフリカのココア農園はこう言った子供達の労働力で賄われている。こう言った現実を突きつけられると、チョコレートが喉を通らなくなっちゃう。コーヒーも同じだ、東アフリカのコーヒー農園、南米のコーヒー農園は奴隷の様に扱われている子供達が収穫したもんなんだ、世界の至る所で貧困が有り、そして劣悪な労働を強制されている人達が居るんだね、日本と言うのは何と平和で素晴らしい国なんだろう。

若い人達には、是非ともドンドン世界に出て頂き、ボランタリーで数年、海外の経験を積んでから日本に戻ってきて欲しい、自分の国を見る目が全く違ったものに成るだろうし、自分の中にこれからの人生をどうやって生きて行くかの確たる「道しるべ」を見つける事が出来ると信じる。

日本の経営者も世界で経験と積んだ若者達を積極的に雇用する体制を作って貰いたいもんだ、‘青田買い’の様な事は避けて欲しいと望んでやまない。




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