ミテンの本棚 > 体で感じる・心が育つ | ||||||
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最近の私は、なにかとてつもなく大きな存在に守られているような気がします。なぜなら、ここぞというときに、信じられないような助けがあるからです。以前にもその大きな存在についてコラムに書きました(No.22『過去、現在、そして、素晴らしい未来へ』
、No.53『突き抜け体験』)。
そうやってその大きな存在を意識するときというのは、ある意味で共通した条件があるように思えます。以前の場合は、「突き抜け体験」をした時でしたが、今回は、そうした特別な経験をしたというわけではありません。思い当たるとすれば、毎朝のウォーキングのときに立ち寄る神社への参拝だと思います。 私は毎朝6時過ぎに家を出ると、文化の森でラジオ体操に参加し、そのあと1時間ほどウォーキングをします。その途中で神社に参拝して手を合わせ、何人かの人々の名前を心の中で唱えながら感謝をします。それらの人々というのは、亡くなった私の家族である祖父母や父、夫の両親、姪、そして、これまで私がお世話になった人たちです。 私は神社や仏閣を訪れたとき、願い事は一切しません。ただただこれまで無事に生きてこられたことへの感謝を述べることにしています。そして、そのときに、それら名前を唱えた人々の顔をひとりひとり思い浮かべながら「いつも守ってくださって有難うございます」そういった後、いくつかの誓いをして、「これからも頑張ります」、としめくくります。 あるとき、ふと、考えました。私はこれまで、たくさんの人々に出会ってきましたが、神社でこうして名前を唱える人々はどういう基準で選んでいるのかと。 その答えは明白でした。それらの人々はすべて、私にたくさんの愛情を注いでくれた人々でした。人生の節目で出会い、たくさんの目に見えない素晴らしいものを与えてくださった人々でした。私が児童文学を書いていく上でとても大きな力になってくださった方。私に、素晴らしい仕事への機会を与えてくださった方。これらの人々は、無条件の愛情で私の人間的成長を見守ってくださった方々でした。毎朝そんな方々の名前をひとりひとり唱えながら、その数は少しずつ増えていき、今では20人ほどになりました。 そうして、参拝を終えて神社を出るころには、空が少しずつ明るさを増し、太陽が顔を出し始めます。立春を過ぎたといっても、早朝は零度を少し上回ったくらいでまだまだ手足がかじかみます。しかし、自然は本格的な春に向けてその様相を変化させていることが、毎日ウォーキングをしているとよくわかります。ついこのあいだまではただただ細いだけの枯れ枝に見えていた木々のあちらこちらがプツプツと小さく膨らんで、それが花の蕾であることに気づきます。また、梅の木など、いつのまにやら、その白や桃色のかわいらしい花を咲かせていたりして、春は確実に近づいています。 以前、ニューヨークに住んでいた頃、冬の寒さは宮崎の比ではありませんでした。零下20度という日もめずらしくありません。毎朝、テレビの天気予報で夜明けの時刻をチェックしながら、少しずつでも昼の長さが長くなっていることを確認して、春が着実に近づいていることに喜びを感じたものでした。また、雪景色の中にも、やがてくる春の日をまちわびている花のつぼみを見つけたりして、春を待つ雪国の人々の思いを少しだけわかったような気になったものでした。 前置きがずいぶん長くなりました。今月のコラム『良い人におなりなさい』、この言葉は、いつも私の心の中に静かに優しい音楽のように響いています。どこでだれが言った言葉なのか私の記憶が定かではありませんが、いつも私の心の中にあります。 ここでいう「良い人」というのは、性格が良いとか、頭が良いとか、育ちが良いとか、そういった一般的な意味での「良い」という基準ではなく、もっと大きな意味での、「良い」ということです。上手く説明できませんが、良いと判断する基準が、「おてんとうさま」のレベルにあるということです。文字通り、私たちは太陽の大きな恩恵を受けていますが、無条件に見返りなく、「おてんとうさま」が私たちを照らしてくれ、命を守ってくれているように、ただただ無条件に、その人のそばにいるだけで、ああ、この人といると、心が洗われる、人に優しくなれる、幸せになれる、そう思わせてくれる人のことです。判断の基準をずっとずっと空の上のほうにおくと、小さなことはどうでもいいことに思えてきます。きっとそれは「神様」のような人のことなのでしょう。ですから、もしかしたら、私に「良い人におなりなさい」そういってくださっているのは、空の上から、いつも私を見守ってくれている人々、毎朝、私が神社で名前を唱えている人々たちなのかもしれません。そうやって、私が毎朝唱える名前の数が増えていくことは、私の幸せが増えていっていることを意味していることになるのです。 さて、幸せといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』などの作品で有名な漫画家、水木しげるさんが「幸福の七か条」としてこんなことをいっています。 ☆ 幸福の七か条 ☆ 【第一条】成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。 【第二条】しないではいられないことをし続けなさい。 【第三条】他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。 【第四条】好きの力を信じる。 【第五条】才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。 【第六条】怠け者になりなさい。 【第七条】目に見えない世界を信じる。 「大好きなことを見つけること。そして、それを続けること」「大切なものは目には見えない」そんなことをコラムに書いてきましたが、水木しげるさんの「幸福の七か条」とシンクロする部分が多いのを知って、とっても幸せな気分になれた私でした。 ※今月の写真の最初の絵は、私の大好きな「もりやまうなぎ店」を訪れたときに、お店にいた女の子が私のために描いてくれた絵です。3歳にして、「くせ毛」や「メガネ」といった私の特徴をよくとらえて描いているので、子どもというのはすごいなあと感心しました。 |
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2016-03-01 更新 | ||||||
2007 | 12
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著者プロフィール | ||||||
原田 京子(はらだ きょうこ) 1956年宮崎県生まれ 大学院修士課程修了(教育心理学専攻) 【著書】 児童文学 『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店) 『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店) 『アイコはとびたつ』(共著・国土社) 『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート) エッセー 『晴れた日には』(共著・日本文学館) 小説 『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社) 『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社) 『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集) 『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集) |