ミテンの本棚  >  体で感じる・心が育つ

体で感じる・心が育つ
こどもに関するコラム集!専門家がコラム・情報を掲載しています。
 
No.111 人生ってやっただけ!
原 田 京 子 ( 児童文学作家 )
 最近、私は杖をつかずに歩いています。3年以上杖をついて歩いていた私が、杖無しで歩くようになったきっかけは、右膝に水がたまったからです。「どうして右膝に水が?」私はその原因を考えてみました。そして、いろいろなことがわかってきたのです。

 4年ほど前、私は、ヨーロッパ旅行中に股関節に痛みを感じ、「臼蓋形成不全」と診断されました。「臼蓋形成不全」は、先天性の疾患ですが、よほどひどい場合をのぞき、ある程度の年齢になるまではその疾患による苦痛や違和感を感じることはありません。現に私も、トライアスロンのためのハードなトレーニングを問題なく行っていました。
 スイミングなどでリハビリをし、杖無しでなんとか歩けるようになったあとも、杖を手放すことが不安で、杖をついて歩いていました。しかし、どうしても利き手の右手に杖を持つので(右手に杖を持つということは、左足を補助することになる)、右足に負担がかかります。その結果、少しずつその負担が増していき、膝に水がたまってしまったのでした。その水を抜いた後は、週に1回の膝へのヒアルロン酸注入を1ヵ月ほど続け、足の痛みはなくなりました。そして、それを機会に、私はついに杖を手放したのでした。

 現在、私は普通に歩いています。時には、ゆっくりと走ることもできますが、トライアスロンをしていたころのような、スポーツとしてのランニングや、マシーンを使っての筋力トレーニングはいっさいやりません。体の状態に合わせたストレッチや、自分の体重を付加にした筋トレを行っています。トライアスロンというハードなスポーツをして体を鍛えていたおかげで、股関節回りの筋肉や腹筋がある程度完成しているので、運動が一切できなくなって衰えてしまった筋肉を取り戻すのは、そう難しいことではありませんでした。もし今から、ハードな筋力トレーニングをやろうと思っても不可能ですから、かつて何時間もかけてトレーニングをしてきたことは無駄ではなかったのです。

 年を重ねると、体のあちこちに不具合が起こります。しかしその不具合は年を取ったからということだけではなく、長年のさまざなゆがみの積み重ねで起こるのです。もちろん、老化を避けることはできませんが、自分の体をきちんと管理していけば、老化によって起こる体の不具合を少しは避けることができます。幼い頃からあまり丈夫でなかった私は、健康に対する関心が人一倍強く、最近ではそれがさらに増しています。自分の体がとても大切で愛おしく思え、健康でいられることに感謝をすることが多くなりました。毎日、きちんとメインテナンスをして、故障をしたらすぐに修理をする。手入れをする。そうして、できるだけ健康でいられるように、そう思っています。

 さて、話はかわります。『人生フルーツ』という映画を観ました。愛知県春日井市にある高蔵寺ニュータウンに暮らす90歳の建築家、津端修一さんと87歳の妻、英子さん夫妻の生活に密着したドキュメンタリー映画です。以前、テレビで放送があり、私はそれをDVDに保存してありますが、私と同じようにお二人の生き方に感動した人がたくさんいたのでしょう。その後のお二人の生活の取材を加え、映画として公開されたのでした。
雑木林のような広い庭を持つ家でほぼ自給自足といえる生活を送っているお二人は、「スローライフの達人」です。90歳とは思えぬほど背筋がピンと伸び、毎日いきいきと畑の手入れをしていた修一さんは、映画の中で、畑の草むしりを終えた後、お昼寝をし、そのまま亡くなります。人間として豊かで充実した生き方をした修一さんに、神様が最高に素晴らしい人生の最後をくださったのだ、私はそう思いました。

 この映画には有名な建築家の言葉が3つ、紹介されます。
「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」ル・コルビジュ
「すべての答えは偉大なる自然のなかにある」アントニ・ガウディ
「ながく生きるほど人生はより美しくなる」フランク・ロイド・ライト


 年を重ねるごとに体の不具合が生じる、このコラムの前半でそう書きましたが、津端さんご夫妻の生活からは、そのことをマイナスの要因として感じさせることはありませんでした。すべてを受け入れ、自然のままにシンプルに生活する。そうして年を重ねてきたお二人の人生がいかに実り多いものであるか、この映画は私に理解させてくれたのでした。

 人生は試行錯誤の連続であり、壁にぶつかっては軌道修正し、また前進する、それの繰り返し。そして、あちこちにぶつかるたびに、角が取れて丸くなっていきます。私より年下の人々が壁にぶつかっているのを見ると、ああ、私もそういうときがあったなあ、そう思うことがしばしばあり、でも、その経験があるからこその今なのだなあと思うと、「人生、やっただけだなあ」と思うのです。できるだけ苦い経験などせず、スマートに生きることができたら、などと思うかもしれませんが、人間の厚みや深さや奥行きなど、よりたくさんの経験をした人間のほうが増すものです。それがわかると、やっぱり「やっただけ」と納得します。そして、このことは『こども時代』においてさえ同じことがいえるのです。

 親は子どもにできるだけ効率的に学習をさせて、より良い結果を得ようと思うかもしれません。失敗経験を少なくして、きちんと敷かれたレールの上をはみ出すことなく進むことを望むかもしれません。しかし、人間としての土台作り段階である子ども時代には、その土台を強固なものにするために、できるだけいろいろな経験をしたほうがよいのです。
私は、股関節に負担をかけないようにと、必要でなくなった後も杖をついていました。しかし、そうやって体の自然な状態に逆らって先回りして考えたことが、逆に、膝に水をためるというよくない結果をもたらしました。
「すべての答えは偉大なる自然のなかにある」人間というその小さな存在の浅はかな知恵は、その人間を大きく包んでいる自然が出す答えに比べるべくもありません。年を重ねていくごとに、そのことが少しずつわかってくるのでしょう。
 これから、緑がより美しくなる季節です。何も考えずに自然の中にどっぷりその身をゆだねてみたら、日ごろの小さな悩みなどどこかへ吹っ飛んでしまうかもしれません。
2017-05-01 更新
2017 | 01 | 02 | 03 | 04
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2008 | 02 | 03 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12
2007 | 12
著者プロフィール
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
AD
ミテンの本棚  >  体で感じる・心が育つ

体で感じる・心が育つ
こどもに関するコラム集!専門家がコラム・情報を掲載しています。
 
No.110 究極の選択
原 田 京 子 ( 児童文学作家 )
「天空の“宗教都市”~チベット仏教・紅の信仰の世界~」という番組を見ました。
 中国・四川省の奥深く、標高4千メートルの山肌に現れる1万もの紅の修行小屋。中国最大規模の仏教僧院、“紅の宗教都市”ラルンガルゴンパです。中央にある僧院を取り囲むようにして建てられた小屋には、修行僧たちが自炊しながら生活をしています。幼い僧は、10代の始めごろから家を出てこの僧院での修行を始めます。毎日が祈りで占められる暮らし。持ち物は生活に最小限必要なものだけ。ひたすら人々の幸福を願い、いかにすれば解脱(煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、苦しみの輪廻の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出すること)し、仏に近づけるかを考えて祈り、生きる日々です。
 折りしも、日本には、サウジアラビアのサルマン・ビン・アブドルアジス国王が46年ぶりに来日し、1000人を超える王族や企業幹部らの同行、ホテルやハイヤーの予約など、その豪華絢爛ぶりに、日本中が驚いていました。
 この二つの対極ともいえる民族性?を目の当たりにしながら、私はふとこんなことを考えました(あくまでも想像の世界のことです)。
「もし、この2つの対極の世界のどちらかに生きなければならないとするならば、どちらの世界で生きることを選ぶだろうか?」ということです。
 サウジアラビアの石油王として生きる道を選べば、お金を好きなだけ使え、欲しいものは何でも手に入り、行きたい時に行きたい所へ行くことができます。かたや、チベットの修行僧は物質に一切の執着を捨てた生き方。ひたすら苦行に耐え、質素に暮らし、悟りを目指す生き方。「富」と「悟り」どちらを選ぶかという究極の選択です。
 どちらが人間として穏やかで満足のできる生活ができるだろうか? そう考えたとき、私は、すぐに答えを出すことができました。私の答えは……。
「物」で満たされた生活には必ず限界が来ます。つまり物質世界は有限であるということです。しかし、精神世界は無限です。もし、死ぬまで安らかで幸せに暮らしたいと思ったならば、精神的に満たされることが大切です。そう考えたとき、自分という人間が、全ての執着から解き放たれて悟りを得ることができたら、どれほど豊かで幸せな人生を送ることができるだろうと思いました。
 私という人間が存在するだけで、周りにいる人間が笑顔になれる、幸せだと感じる、そんな人間になれたらどんなにいいだろう、そう思います。
 あなたなら、どちらの世界で生きることを選択するでしょうか?

 さて、ありえない想像の世界の選択に悩むのはこれくらいにしましょう。
 私は、以前のコラムにも書いたように、「私にしか書けない物語」を書くためにあれこれと悩み、そのために、いろいろな本を読んでいます。そして、30年以上前、初めて童話を書きはじめた頃に読んだ本のことを思い出し、図書館で探しましたが、見つけられませんでした。しかし、インターネットで検索し、現在は絶版になっているけれども、「古書」として見つけ出し、手に入れることができました。そして、童話を書きはじめた頃のことをなつかしく思い出しました。
 20代半ばで教師をやめ、児童文学を書き始めました。といっても、体を壊しての退職でしたから、今思い起こすと、精神的にはどん底の日々です。子どもたちに囲まれた楽しい生活が一転して、1日の大半をたったひとり、病で気だるい体を持て余しながら生活するという毎日。おそらく、私の人生で一番辛かった時期だと思います。
 そんな生活の中で見い出した「書く」ことの喜び。今思えば、この時期がなかったら、私はこうして今、書き続けてはいなかったと思います。まさに「ピンチはチャンス」です。

 尋常ではない経験をして初めて、見えてくるものがある。おそらくこのことは、レベルこそ違えど、チベットの僧たちが「悟り」を得るために、自分の身を過酷な環境下へおき、尋常ではない精神世界の中で、普通の生活をしていては決して得られないなにかを求めて修行しているのと同じなのではないかと思うのです。

 現在の私は持病が二つ再発し、その病と共存しています。この二つの病は、精神的、肉体的に自分を追い込んだときに出現する病で、命にはかかわりません。ですから、いわゆる、「無理をするなよ」という自分への警告だと思っています。人間の体というのはすごいなあ、この持病が再発するたびにいつもそう思います。傍から見たら、まったく健康な人と見分けがつかないので、おそらく私を見た人は誰も気づかないでしょう。
 このことは、私にさらなる気づきを与えてくれます。つまり、人は外見から見ただけでは決してその人を理解することはできないということです。この気づきは、私にさらなる想像力を働かせ、それを物語の発想へと導いてくれます。だから、この二つの持病と私は共存できるのです。

 話は変わります。私のペンネームについてです。「彩」はいろどり。「木」は、花や樹木などの自然。「瑠璃」はラピスラズリ、深いブルーをした宝石。すべて私の好きなものですが、「さいき」は「Psyche」、ギリシャ神話に登場する人間の娘の名前で、古代ギリシャ語で「心・魂」を意味します。英語読みで「さいき」と表記されます。大学と大学院で心理学を専攻していたことに由来します。この「さいき」にあてる漢字をたくさんの中から探し出し、「彩木」としたのですが、最近書いている作品を見ると、「色」に関する内容が多いことに気づきました。みやざき文学賞の小説部門で一席を受賞した『ソラリアンブルー絵の具工房』もそうです。このペンネームにしてからそうなったのか、それとももともと色に関心があったからこのペンネームになったのか、自分でもさだかではありません。でも、われながらいい名前だなあと思うようになりました。おそらくは、本人ですら気づいていない、なにか心の深い奥底にその由来があるような気がします。神のみぞ知る、です。

 ちなみに、このペンネームを使い始めて10年以上になりますが、私が「彩木瑠璃」であることを夫が知ったのはつい最近のことです。「第19回みやざき文学賞」の発表が昨年の10月にテレビであり、私の顔写真とペンネームが画面に映し出された時でした。私は、児童文学は本名、小説はペンネームを使うようにしていますが、私がペンネームで小説を書いていることを、夫は知らないようでした。もっとも、私の創作に関して、夫は一切口を出すことはありませんし、私の作品を読んだこともありません。そのことはかえって、私に自由な創作を可能にしてくれているようです。それに、なんといっても私がこうして書き続けていられることは、夫が理解し、応援してくれていることにほかなりませんから、夫には心から感謝をしています。

 あ、最後に、これは余談ですが、さっきの究極の選択、私の答えは、「富をもちつつ、禁欲的に生きたい」というのが本当のところです。

※今月の写真たちは、私のペンネームにちなんで、瑠璃色のものを集めてみました。
2017-03-31 更新
2017 | 01 | 02 | 03
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2008 | 02 | 03 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12
2007 | 12
著者プロフィール
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
AD

素敵!

テーマ:


息子の会社の社長さんとくまモン。

くまモンの生みの親の小山薫堂さんです。

 

AD
ミテンの本棚  >  体で感じる・心が育つ
 
体で感じる・心が育つ
こどもに関するコラム集!専門家がコラム・情報を掲載しています。
 
No.109 リーダーシップは五歳で決まる?
原 田 京 子 ( 児童文学作家 )
 『プレシデント』という雑誌に興味深い記事を見つけました。「リーダーシップが取れるかどうかは5歳で決まる」というタイトルの記事です。
 内容を簡単にまとめると、リーダーシップのような能力は、IQや学力で数値化できる「認知能力」と区別して「非認知能力」と呼ばれ、この非認知能力を高めるのはなるべく子どもの学齢が小さいうちが効果的だということでした。そして、非認知能力は学力などの認知能力を改善することはあるが、認知能力が非認知能力を改善するという証拠は今のところないそうです。つまり、リーダーシップを含む否認知能力を鍛えるなら、就学前が良いだろうということでした。
 経済学の分野でこの非認知能力が注目されているのは、否認知能力が直接賃金や生産性に影響を与えるからだそうです。つまり、リーダーシップがあるかないかが、賃金や生産性に影響を与えるというのです。この事実が明らかになることで、アメリカでは大学入試において必ずといっていいほど課外活動の経験を聞かれます。それらによって志願者がそれらの活動の中でどのようにリーダーシップを発揮してきたかを知りたいからです。トップスクールほど高校生までの間にリーダーシップをとった経験があるかどうかを重視する傾向にあります。
 最近の研究では、リーダーシップとは個人の生得的な能力ではなく、リーダーとして取るべき「行動」を身に付けられているかということに焦点が当たっていて、教育経済学では、就学期における経験がリーダーシップを育成するのかという観点で研究が行われています。リクルートワークス研究所の戸田氏らの研究では、中学・高校時代に運動系クラブ、生徒会に所属したことのある人の賃金が高まる効果がみられたことがわかりました。
 これらの事実を知って、親としての皆さんはどのようなことを考えるでしょうか?
 子育てを終えた身として、結果的にいえること、それは、親である私たちができることは、子どもを見つめ見守りながら、子どもが何を望み、何をしたいのか、何になりたいのか、じっくりと時間をかけて理解することだけだということです。そして、大人になるにつれて自分自身で自分の進むべき道を進んでいけるように、手助けしてやることだと思います。
 親が子どもの将来を見据えて、意図的にある方向へと誘導することはできません。なぜなら、子どもたちの秘めた可能性はひとりひとりちがっていて、その可能性がどのように花開いていくかは誰にもわからないからです。必ず子育ての過程で壁に何度もぶつかり、そのたびにどうすることが一番いいのかを悩み、考え、ひとつひとつクリアしていくしかありません。そして、それこそが一番大切なことだと思うのです。

 さて、先日、河瀬直美監督の映画『あん』を観ました。内容に関してはとてもひとことでは語れないので、それぞれみなさんでご覧いただくとして、私はこの映画によって、あるひとつの大切な事実に気づきました。いや、気づいたというよりも、これまでもわかっていたけれども今回あらためて認識した、といったほうがいいでしょう。それは、「映画とは、私たちがとても経験できない世界を疑似体験させてくれる媒体である」ということです。つまり、その映画を観なければ知り得なかった世界を知ることができる、そういうことです。だから、映画を観ると、私たちは感動をするのかもしれません。

 同じことは絵画にもいえます。版画家の吉田博はこんなことをいっています。
「画家は、自然と人間の間に立って、それを見ることができない人のために、自然の美を表してみせるのが天職である」
このことは吉田博の終生のテーマであったということです。吉田博の版画を見ていると、実際の自然を見たとき以上に素晴らしさを感じることさえあります。映画にしても版画にしても、作り手の感性や技術が加わることで、作品がさらに素晴らしいものになるからです。
そうやって考えると、私の作品作りにおいても同じようなことがいえるのではないかと思うのです。つまり、物語という媒体によって読者が普段知りえない世界を知る、という観点から考えると、私の書いた物語によって読者を誘うのは、この世に存在し得ないファンタジーの世界ではないかと思うのです。そして、二月のコラムでも書いた、私にしか書けない作品というのは、まさにそこにテーマがあるのではないかということです。
これまで書籍化された本を振り返ると、そこに存在するテーマにはある共通点が見られます。それは、「不当な扱いをされている者の側に立ち抗議をする」という点です。
 振り返ってみると、私が作品を書き始めるときは、何かに怒りや理不尽さを感じるといった、尋常ではない感情を経験することがきっかけだったような気がします。それは、私の中にある、「正義感」とか「共感する心」であり、「私を取り巻く世界の中のささやかな存在の価値の大きさに気づいたとき」がそのきっかけになるのです。「誰も気がついていないけれども、こんなに素晴らしい存在がある」ということを多くの人に知らせたい、そう思ったときに、作品を書き始めるような気がします。ですから、これからもそのような「気づき」を大切にしていきたいと思います。
 それでは最後に、映画「あん」において、私がとても印象に残っている言葉を書いて終わります。能力があるにもかかわらず、理不尽な理由によってその能力を生かす機会を奪われた主人公が、心が折れた青年に向かってつぶやいた言葉です。
「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちは、私たちには生きる意味があるのよ。」
2017-03-01 更新
2017 | 01 | 02 | 03
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2008 | 02 | 03 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12
2007 | 12
著者プロフィール
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
ミテンの本棚  >  体で感じる・心が育つ

体で感じる・心が育つ
こどもに関するコラム集!専門家がコラム・情報を掲載しています。
 
No.108 ものづくりにとって大切なこと
原 田 京 子 ( 児童文学作家 )
 私は、あるレストランに予約の電話を入れました。馴染みのお店ですので、いつもどおり予約が出来るものと思っていたら、その日は満席でした。値段も手ごろで、お料理も素晴らしく、お店のスタッフもよく知っています。私にとって癒される時間を持てる大切な場所でもあったので、予約が取れなくてがっかりしました。そんなショックを抱えながら、別のお店をネットで探し、初めてのお店を予約していきました。
 値段は同じくらいなのに、お店の雰囲気、お料理、すべてが最初に予約をしようとしたお店とくらべものになりませんでした。シェフはとても感じの良い方で、ネットで探してわざわざ来てくれたことにとても感激していました。ですから、そのことだけが救いでした。
 私はお料理を食べながら考えました。このくらいの料理なら私にも作れる。このシェフは自分の作るお料理がどの程度なのか知っているのだろうか? 同じお金を出せば、私が最初に予約しようとしたお店でどれほどのお料理が食べられると思っているのか?
 自分の実力を知るために、世の中には実にたくさんのお店があるのだから、もっともっと他のお店を食べ歩いたほうがいいのではないか? そう思いました。だからといって、他の店のお料理を食べるばかりで、自分の腕をみがかなかったら進歩はないだろう。つまり、腕をみがくことと他の店の料理を知ること、その両方が必要なのではないか?
 でも、それだけだは何かが欠けている。では何が欠けているのか?
 それは、オリジナリティ。自分にしか作れないもの。荒削りでも、未熟でも、その店でしか食べられないもの。これならお金を出してもいいといえるもの。
 そう考えたとき、私は、わが身を振り返って、大いに反省をしました。童話の創作も同じことがいえるなあ、と。


 自分の実力を知ること。他の人が書いた作品をたくさん読むこと。このことは不可欠。こんなお話だったら私にも書ける、読者にそう思われるようなお話は絶対に本にはならない。でも、他の人の作品ばかり読んでいたら、なんだか自信を失くしてしまいそう。
 そして、それら二つを踏まえたうえで、テクニック、知識、経験、そんなものを超えた何か? 
 子どものためのお話を書くようになってから、もう、35年という月日が流れました。子どものためのお話を書くようになったきっかけは、コラムNo.101『コラム100回達成、10年目に突入』 でも述べました。正確に数えてはいませんが、書いた作品の数はまちがいなく100を超えていると思います。
 かつて書いたお話は、家のそこかしこに眠っていますが、ときどき引っ張り出して読むことがあります。そして、そのたびに思うのです。ずいぶん昔にかいたはずなのに、今読んでも新鮮で、私らしいお話をかけているなあと。30年以上経った今読んでも、決して「なんだ、こんなつまらないお話を書いていたんだ」と思うような作品がないのです。それは、技術的に上手いか下手か、といったレベルで判断しているのではなく、感覚のレベルで判断しているからだと思います。むしろ、昔のほうが、新鮮な発想をしているように思えます。年を経て、経験が増えるにつれて、私の感覚が常識的になっているのではないかと思うのです。
 童話を書きはじめた頃に持っていた新鮮な感覚と発想。そして、それこそが、私にしか書けないもの。つまりは、私のよさが滲み出た、他の人が持っていない私だけの魅力なのだと思いました。ですから、今の私の創作上の課題は、「私にしか書けない童話を書く」ということです。 
『葛飾北斎伝』にこんなくだりがあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ある日、露木氏(北斎の弟子)が阿栄(北斎の娘)に向かって嘆いていった。『筆が思うように運ばず、絵師になろうと思っているが、どうも無理かもしれない』。
 阿栄は笑っていった。『父は幼い頃から80幾つに至るまで、毎日、筆を執らなかったことはない。それなのに、先日、自ら腕組みし、『俺は実際、猫一匹も描けない』と涙を流し、絵が思うように描けないことを嘆いた。自分が及ばないと捨て鉢になるときは、まさにその道が上達するときなのよ』と。傍らにいた北斎は、『本当にそうだ。本当にそうなのだ』といった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「私にしか書けないものとは何か?」そうやって悩んでいるのは、きっと私が今、上達してステップアップしようとしているときなのだ、私はそう思っています。つまり、コラムNo.106『進化の速度とは?』 でも書いた、まさに「私のプラトー」とまったく同じものといえます。
 昨年は、闇から闇に葬られて引き出しの中に眠っていた作品たちをリライトする、それによって、あらたに作品たちに光をあてることができた、そんな1年でした。今年は、「私にしか書けない作品を書く」という目標を立てて、物語を書いていきたいと思います。

 今、あるお話を書いていますが、そのお話の中に真っ白なふわふわの帽子が登場します。「真っ白なふわふわの帽子」と書いたものの、どんな帽子なのか自分でうまくイメージできませんでした。先日、デパートの中を歩いていると、帽子売り場の棚に、真っ白なふわふわの帽子が飾ってありました。意図的にそんな帽子を探して歩いていたわけではありません。本当に偶然の出合いでした。「ああ、神様ありがとう」私はその場でおもわずそういってしまいました。
 でも、最近そんな瞬間がたくさんあるのです。そして、それは決して偶然の出来事ではないということです。その真っ白な帽子は以前からそこにあった。でも、私は気にも留めなかった。しかし、自分の書いているお話にそんな帽子が登場したので、目に留まった、そういうことだと思うのです。いつも作品のことを考えていたら、それだけ作品のヒントになる「気づき」がたくさんあるのだと思います。チャンスもヒントもたくさん存在している。要は、それに気づくかどうかなのだと思います。
 20代の頃に思いついた発想に対して、いまだに共感できるということ、さらに、60才になっても書き続けられるということは、幸せこの上ないことだと思っています。そのことに感謝をしながら、私にしか書けない作品を書いていきたいと思っています。
2017-02-01 更新
2017 | 01
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2008 | 02 | 03 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12
2007 | 12
著者プロフィール
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)


宮崎観光ホテルにてみやざき文学賞の表彰式がありました。






玉子姫から、素敵な薔薇の花束が届きました。


表彰式の後、講評会の会場に移動する時、


受付に花束を発見。


「いいなあ、あんな素敵な花束をもらえる人がいるんだ」


そう思いました。


すると、講評会の会場に、花束が運ばれ、


「彩木さん、お花が届きましたよ」とのこと。


えっ、私に……。 なんと、その花束は私へのお祝いの花束でした。


というわけで、喜びが何倍にもなりました。





それから、

作品集が出ました。




ご購入は、下記にてご確認くださいね。




ジェレミー アイアンズ

テーマ:


映画を2つご紹介します。

『ある天文学者の恋文』



そして、

『奇跡がくれた数式』



どちらも素晴らしい映画!

そして、どちらの映画も、

主人公を同じ俳優が演じている。

ジェレミー アイアンズ。

2つの映画とも、最近の映画。

でも、ずいぶん前に、

ディカプリオが主演した『仮面の男』。

その映画で三銃士の1人、

アラミスを演じていた。

もしかしたら私は、

その頃からこの人のファンだったのかも。

シェラトンの牛肉割烹 うしのみや

テーマ:

うしのみやとは、シェラトンの中にある牛肉割烹。
息子が私の還暦と誕生日のお祝いに、

夫と二人で招待してくれました。
うしのみやは、

放送作家、小山薫堂さんのプロデュースしたお店。
1日6人限定のお店です。

image-c9bb2.jpeg

image-10d77.jpeg

image-6070e.jpeg

image-70a99.jpeg

image-6390c.jpeg

image-da14f.jpeg

image-980ac.jpeg

image-47199.jpeg

image-16ef6.jpeg

image-d8034.jpeg

image-6424c.jpeg

image-a1eea.jpeg

image-f006e.jpeg

image-77fe1.jpeg

image-f29a0.jpeg

image-c693d.jpeg

image-693e7.jpeg

image-58cc2.jpeg

最後のサプライズ ケーキのプレゼント
image-c7ebc.jpeg

いや、これが本当に最後で最大のサプライズ
60本の薔薇
image-20e24.jpeg

今年もたくさんのお祝いをいただきました。

還暦のお祝いに60本の薔薇を息子から。



みやざき文学賞一席のお祝いには、
mrt宮崎放送からスパークリングワインと
メロンを(メロンはお正月に来ます)。



親友からは素敵なブックボックスに入った、
永遠に枯れないお花を。



そして、大好きな叔母からは、
大輪の薔薇の花束を。



その他にも、
たくさんの幸せをいただきました。

心からのありがとうを。
ミテンの本棚  >  体で感じる・心が育つ

体で感じる・心が育つ
こどもに関するコラム集!専門家がコラム・情報を掲載しています。
 
No.106 進化の速度とは?
原 田 京 子 ( 児童文学作家 )
 もう、12月。2016年最後のコラムです。今年は、いろいろな意味で本当にたくさんの出来事がありました。私にとって、一番大きな出来事といえば、もちろん、児童文学の創作に関するものです。創作力を向上させるためにいくつかの新しい分野に挑戦し、何人もの素晴らしい先達の方々に教えを請う機会がありました。そのおかげで、今までの私の視点とはちがった見方で物を見て、考えることができ、創作にかなりのバリエーションが加わりました。
 また、今年は何度か上京し、「偶然の奇跡」と私が名付ける出来事も多々あって、たくさんの有意義な収穫を得ました。もっとも、「ものごとに偶然はない。すべて必然である」という言葉があるように、もしそれが必然の出来事であるならば、私を成長へと導いてくれる道筋を神様が創ってくださっているにちがいありません。
 その「偶然の奇跡」のひとつ、それは、「速水御舟」の『洛北修学院村』と名付けられた絵との出会いです。私は、速水御舟の絵が大好きで、中でもこの絵が特に好きでした。画集も持っていますが、まさか、こんなに早く実物に出会えるとは夢にも思ってはいませんでした(かつて、『聖徳太子末裔伝』を書くための取材で奈良を訪れたときも、この「偶然の奇跡」が起こりました。年にたった二回しか公開されない法隆寺夢殿の「救世観音」との出会いです。公開の期日を知らずに法隆寺を訪れてこの幸運に出くわし、その出会いが作品に大きな成果をもたらしました)。

 今回の速水御舟の『洛北修学院村』との出会いは、東京滞在中に山種美術館で「速水御舟の全貌」と題した展覧会を訪れたことから実現したのですが、この開催を知ったのは東京に着いて、美術展のスケジュールを調べた時でした。
 私の大好きな『洛北修学院村』を始めいくつもの好きな作品が年代別に展示され、御舟の進化の過程がよくわかりました。一番驚いたのは、進化の速度があまりにも速いということでした。40歳という若さで亡くなっているので、普通の人の二倍の速さで生き抜き、何倍もの速さで絵の技術を進化させたとしか思えない、素晴らしい絵ばかりでした。

「天才」といわれている御舟ですが、「天才」とひとことで片付けられない、何かを感じました。そして、私は考えたのです。「天才とは進化の速度が普通の人よりも速い」ということではないかと。どうして進化の速度が速いのかというと、それはひとえに努力の量が普通の人よりも何倍も多いということだと思うのです。「努力に勝る天才なし」つまり、この世に天才など存在しないのではないか、そして、天才と呼ばれる人々は、自分のいる位置に満足せず、常に努力を続ける人のことをいうのではないかと思うのです。

 速水御舟はこんなことをいっています。
「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。大抵は一度登ればそれで安心してしまふ。そこで腰を据へてしまふ者が多い。登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。」
「作っては壊し、壊しては作る」という御舟。自分が目指すレベルに達しても決して満足することはなく、次から次へと新しいことに挑戦していく。「進化」とは「このままではだめだという思い」から始まり、「進化する」ということは、「既存の型にはまることがない」ということではないかと思うのです。
 御舟の筆致を年代ごとにくらべて見ていくと、その進化の過程がよくわかります。10代の始めにはもうその技術の素晴らしさが見て取れますが、それも、年を経るごとにさらに上へと進化していくのです。つまり、「進化の過程」が手に取るようにわかるのです。それは、御舟が淡々と一心不乱に筆を動かしていただけではなく、常に心の中では「このままではだめだ」そう思って、新しい何かを求めて描き続けていったということでしょう。私は、絵を見つめながら、ただただ「すごいなあ」そう思って溜め息をつくばかりでした。

 さて、話はかわりますが、私はこれまで、児童文学は「原田京子」の本名で、小説は「彩木瑠璃」のペンネームでと、別人になりきって書いていましたが、「みやざき文学賞」の小説部門で「一席」を受賞することで、新聞やテレビにペンネームで受賞の発表があり、「原田京子=彩木瑠璃」と、私の知人や友人以外の方々にも知れることなり、なんだか不思議な感覚でした。そんな私の進化の状態といえば、まさに「プラトー現象」を象徴しているといえるかもしれません。「プラトー現象」の「プラトー」とは「高原」のことで、「いくらやっても、その効果が見られない、一見するとスランプ状態のように見える現象」のことです。が、「スランプ状態」というのは「通常は既に高いレベルにある技能者が本来の力を出せなくなるとき」のことを指すのに対して、「プラトー現象」というのは、「これから力をつけようとしている成長過程にある人(特にビギナーを抜けつつあるレベル)に見られる現象」のことです。特に私の場合、プラトー状態が長く、「こんなに長くやっているのに、ちっとも進歩がない。もうだめかな」と思うと、ある日、すっとその状態を抜けることができる、という状態の繰り返しです。その状態を繰り返しながら、もう35年以上、作品を書き続けてきました。好きだからこそ続けてこられたといえますが、今回の受賞で、たくさんの方々からお祝いをしていただき、これらの応援してくださる人々の存在があるからこそ、現在の私があるのだと、あらためて感謝をしたことでした。

 また来年も、そして、この先ずっと書き続けていくつもりですので、これからもよろしくお願いいたします。
今年一年、このコラムを読んでくださいまして、ありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎え下さい、ね。

※今月は、今年最後ですので、縁起の良い写真達を集めてみました。
2016-12-01 更新
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2008 | 02 | 03 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12
2007 | 12
著者プロフィール
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)