今月から自宅の隣のお宅の解体工事が始まりました。

南向きの大きな窓を開けると、そのお隣さんの壁が迫っていて、見える空が小さかったのですが、これからは道路を挟んである学芸大学の青々とした桜の木がスコーンと見えるようになりますクローバー

うん、これはいい兆しです。

皆様いかがお過ごしですか?



時代の流れに乗れないタイプの私が(笑)、ちょっと前、やっぱりツイッターを始めてみたくなり、登録して少しだけツイートしました。

少しでも共通点がある人と、感動をシェアできたら楽しいかもしれない、というのがツイッターを始めた理由。

ヨガのお知らせを広めたい気持ちもあった。

でも、やっぱり使い方もよくわからないし、もともとそんなに情報を必要としない私はフォローしたい人も組織もなくあせる(仲良しのお友達のツイートを見るのは楽しいけど)、結局今朝思い立って、止めることにしました汗


災害時に役に立ったということ。

それは素晴らしいことだと思う。

だから、時代の流れとして、ツイッターもフェイスブックもとても有効に社会に人に活用されているとも思うし、これからはもっと必要な時代になるのかもしれない。

でも、今の私には必要ない、というのが結論。

アカウントは残しておくから、必要があったら始めればいいわけだし、今、ブログやミクシイで自分の情報発信原はあるので、これ以上拡げる必要はなく、また外の情報を得るほど私には余っている時間がないことにも気が付いた。

今、色んな方からメールやお問合せを頂く。

それに対応するだけで私には十分だ。

ツイッターして不特定多数の人と知り合ったり繋がる時間はない。

出会うべくして出会う人は、ツイッターではなく、別のツールでちゃんと出会えてる実感があるから、それを大切にしていこうと思う。

つぶやきたい人やツイッターしたい人は、存分にすれはいい。

きっとみんな心のうちを解放したり、情報を共有することが必要なんだろう。

でも、私には情報を共有することの重要性をあまり感じていない。

むしろ沢山の人が情報にとらわれすぎている、という印象を持つ。

もちろん、色んな人が情報を発信することの利点もあるとわかる。

そこから自分にとって正しいことを選択するということができるし、マスコミだけでなく、一般の方の柔軟な意見が人に影響を与えることができるという時代だ。

私も時間があると、お友達のブログを読むけど、すごく素晴らしい感性で書かれているブログ多数、だからじっくり読んだら何件かであっというまに2時間くらい経ってしまう。

どんなに沢山のお友達や知り合いがいても、結局一人もまともにフォローできない。

ツイッターなんかしたら数名のお友達の分だけで目が回りそうだ。

むむむ、無理ーっす得意げ












できるだけ、一人ひとりと丁寧に向き合いたいと思います。



人とのご縁は完璧な宇宙の法則で働いているから。



シンプルな繋がりを大事にしたいです。









それでも、ご縁だって、強かったり弱かったり、長かったり短かったり、色んなパターンがあると思う。



それらも逆らわずに、自然と、繋がっては離れていく、離れてはまた繋がったり。。








見えない糸が、あると思っています。






aki