マイバッハ戦車用エンジン
III号F型戦車。マイバッハHL120TRM型エンジン(265ps)を搭載していた。
マイバッハというと、現代ではメルセデス・ベンツが造るフラッグシップというべきプレステージカーのことを思い浮かべる人がほとんどだと思う。このネーミングはメルセデス・ベンツのルーツというべきダイムラーにおける伝説的技術者の名前に由来していることまでは良く知られているものの、当のマイバッハがどのようなエンジンを造ったのかについては非常にマニアックな話とならざるを得ない。なぜならマイバッハが設計したエンジンは自動車用だけでは無かったからである。
マイバッハによる自動車用以外のエンジン、それも第二次世界大戦以前のモデルというと、何と言ってもツェッペリン飛行船用のモノが知られている。これは1910年に登場した初期のAZ型で排気量2万500ccの水冷直列6気筒160psという大きなモノだった。この後、飛行船用エンジンは最終型であるVL2型では水冷V型12気筒3万3250ccへと発展する。このエンジンはツェッペリン飛行船の他、アメリカ海軍の有名な飛行船であったアクロンとメーコンのエンジンにも採用されたというまさに決定版的存在だった。
さらにマイバッハにはいわゆる陸舶用のディーゼルエンジンがあった。最初のモデルは1919年のG1型。これは1万5000ccの直列6気筒であり、船舶や鉄道用として設計されたものだったが試作のみに終わっている。マイバッハのディーゼルエンジンの中で最初の量産機だったのは1927年のG4b型である。これはG1型の量産仕様でもあり小型のディーゼル機関車や船舶用として相応の評価を得た。
G4b型に続くディーゼルエンジンシリーズはV型12気筒のGOシリーズとなった。新たにギアトレインカムドライブのSOHCを採用したGOシリーズは、初期型のGO5型4万2400ccの排気量から410psを発揮するという1930年代としては画期的な高出力機となった。最終発展型のG7は第二次世界大戦の激化で試作のみに終わったものの、ヘミスフェリカル燃焼室とターボ過給機を組み合わせた750ps仕様というまさにマイバッハならではの強力機だった。
さてマイバッハにとってもう一つの重要な分野だったのが軍用車両用エンジンである。マイバッハがこの分野に参入したのは飛行専用エンジンから撤退した後、再軍備宣言を経た1934年からのことである。最初のモデルであるNL52TUは120psを発生していた5200ccの直列6気筒SOHC。初期の戦車用試作エンジンとして使用された。
続く1935年のNL35スペチアルは3500ccの90ps仕様、このエンジンはビュッシングが設計した5トンハーフトラックの試作機用エンジンとして採用されたものの、後にパワー不足を指摘されたことから排気量を3800cに拡大し100psにパワーアップしたNL38TUKが量産型に採用されている。
この直列6気筒シリーズは1935年のHL57TR、1936年のNL38TU、HL62TUK、1937年のHL54TUKRM、1940年のHL66Pと進化を重ね、デマグの1トンハーフトラック、ハノマグの3トンハーフトラック、ビュッシングの5トンハーフトラック、クラウスマッファイの8トンハーフトラック、その他Sd.kfz250/251シリーズのハーフトラックに採用された。また当初はクルップ製エンジンを搭載していたI号戦車の改修用およびII号戦車用エンジンとして採用されたのもこのシリーズである。
ちなみにこの時代、メルセデス・ベンツも12トンハーフトラックを製作しているのだが、何とこのモデル、メルセデス自社製ではなくマイバッハの自動車用V型12気筒8000ccであるDSO8を搭載している。自他共に認めるメルセデスであっても、この時点で別会社だったマイバッハの優秀性を認めざるを得なかったということである。
マイバッハの軍用車用エンジンは、これら直列6気筒シリーズに続いてV型12気筒シリーズもまたほぼ同時期に試作に入った。まず1935年に製作されたのは1万ccのHL100TRである。このモデルはあくまで試作機であり、最初の量産機は1937年に完成した1万2000ccのHL120TRMだった。概ね300ps前後の最高出力を発生していたこのモデルは他でもないIII号戦車とIV号戦車の主力エンジンだった。さらに1938年にはHL85TUKRMと1万800ccのHL108TRが追加された。前者は既述したメルセデス・ベンツの12トンハーフトラックの改修用、そして後者はファモ製の18トンハーフトラック用であり、その一部はIII号戦車とIV号戦車にも搭載された。
さらに1941年からは排気量を2万1350ccに大幅拡大したHL210Pが製作に入った。このシリーズは排気量をさらに拡大した2万3000ccのHL230Pに発展し、前者はV号パンターとVI号ティーガーの初期型、そして後者は同じくパンターの後期型とティーガーの後期型(ティーガーIIも含む)に搭載されている。
さて飛行船用エンジンにルーツを持つこれらは、いずれもアルミ合金製シリンダーブロック&シリンダーヘッドというオールアルミとなっている。戦車用エンジンにオールアルミというのも随分と贅沢な様に思えるかもしれないが、実は戦車用エンジンの多くが航空機エンジンをルーツに持っていたこともあり、どちらかというとメジャーな方だったことは特筆べきであろう。
さらにこれら一連のマイバッハエンジンには実にユニークな構造的な特徴があった。それはクランクシャフトのメインベアリングジャーナルである。一般にクランクシャフトのメインベアリング径はクランクシャフト自体とほぼ同じである。しかしマイバッハの場合は違っていた。その径はカウンターウエイト径とほぼ同じ、すなわちクランクシャフトには必須だったカウンターウエイト自体がジャーナル部分と一体化していたのである。
ちなみにこうした特徴は飛行専用エンジンではさらに際立っており、メインベアリングジャーナルだけに止まらず、コンロッドのビッグエンドベアリングもメインベアリング並に大口径となっていた。
マイバッハがこうしたデザインを採用した理由、それはジャーナル径を増すことでベアリングに対する面圧を下げ耐久性を向上させることにあった。もちろんこうした措置は即ちベアリング周囲のフリクションロスが増加することを意味しており、全てが完璧というわけではなかったものの最大回転数がそれほど高くはなくしかも大型エンジンゆえに最初から相応のフリクションを避けることが不可能だったことから導き出された設計だった。
とはいえ、現代のエンジンでこうしたデザインが採用される例となるとほぼ皆無だということを考えると、ある時期こそ一世を風靡したもののその後は技術革新に伴い廃れることとなった技術の代表なのかもしれない。ここで言う技術革新とはベアリング素材、潤滑油技術、そして油圧技術などである。