あれから、15年。(51) | 泣き虫デザイナーのニューヨーク奮闘記、 のその後、それからの ご あきうえ

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ファッションデザイナー「GO AKIUE(ごあきうえ)」のブログです。
I am a fashion designer.
Creating clothes is my passion. I've designed clothes and accessories for actors, singers, and other media personalities.




「あれから、15年。(51)」


ここからしばらくは、また慎重に…

(この51だけだと、誤解を招く表現があるかも知れませんが、
それはこれからの数話とセットで、その誤解はとけるかと思います!)


この時期は3万$達成へ向けての動きと同時に、阪急百貨店へ出店する商品のデザインを考えていた。


前にこのブログに出て来た痩せたおじさん。
実はこの方が、阪急百貨店との間に入るアドバイザーで、
ブヨちゃんは芸能事務所 兼 版権会社の社長さんだった。


オレの立場はあくまでも、ASAYANでグランプリを獲得したフリーのデザイナー。
所属先はない。
ASAYANが窓口で、しいて言えば、番組制作の吉本興業さんとTV東京さんの仮預かり。


しかし、ブヨちゃんが現れた…


多分、オレが阪急百貨店からの依頼を知らされる前、
その窓口になる痩せたおじさんが、阪急百貨店から依頼が来たのちに、
ブヨちゃんをプロジェクトに引き入れたんだと思う。


例えばアーティストだとレコード会社と契約するのに、所属芸能事務所が必要だったりする場合があるわけ。


阪急百貨店さんから依頼があり、オレはNYにいるので、痩せたおじさんがアドバイザーやアシストをしてくれる手はずみたい。


でも…
オレはブヨちゃんを頑なに拒んだの。
ある、スタッフさんは親身になってブヨちゃんの手を取らない方が良い、ちゃんと考えなさい。
って、アドバイス下さったり、


やはりここはこの一大チャンスを成功させる為に、手を結ばないと困るって、言う方も居た。
その方はなんだか縋る感じだったよ…


オレは夢のオーディションバラエティーASAYANのオーディションを受けたから、もちろんTVに出るのはもちろん覚悟の上。
そして、そう言うチャンスが来たら、それを受け入れる心の準備も少しはあったと思う。


けど、けどね、匂い。
匂いが受け付けなかったの。
なんだか、どうしてもブヨちゃんは…
(体臭じゃないよ☆)



だから、この時は放って置いた。



オレは3万$ノルマ達成対策をするのと同時に、
阪急百貨店で販売する作品のデザインを上げる事に集中した。


………………

とある日、痩せたおじさんが再びNYに来て
オレのアパートメントで打ち合わせしたいと言う。


オレはあらかじめ、いろんなデザイン画を描いていたので、
望むところ!って感じで大歓迎。

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オレはニコニコしながらデザイン画を見せた。
イメージの生地スワッチと一緒に。


痩せたおじさんは少し不機嫌になり


「なんで、こんな事するの?」


「え?」


………………

15年経った今思うの。

NYのSHOP名を「AKIUE-GO」で無理矢理にでも通してくれた事。
これは番組がくれたオレを守る御守りだったんじゃないかって。


そう言うつもりでなかったとしても、「AKIUE-GO」であった事が
その後の日本での活動において、
どれだけオレを守ってくれたか…


そして痩せたおじさんが数年後言った。

「あれは、あの時から今までは、
GOくんだから乗り越えられたんだよ。
他の誰がグランプリに選ばれても、多分きっと乗り越えられなかっただろうね…」

オレは、少し複雑な気持ちになった。



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