全国ワースト県民 秋田人 -4ページ目

今の高校野球のホームラン数や長打の原因は手袋にあり!?


ついにオリンピックも開幕しましたね。

高校野球と同時期に開催するので今年の夏は

スポーツ三昧の夏になり熱くなりそうです。


オリンピックのあらゆる競技にしても、時代に合わせ

ルールが変わることが決して少なくないようです。

選手も指導者もそれに合わせて変えていかなくてはいけない

のですが、特に高校野球に関しても10数年前に比べると

だいぶ変わりました。


今はごく普通にバッティンググローブ(白か黒)という滑り止めの

手袋をして打席に立ち打っていますが、

いつから変わったのか10数年前では禁止でした。

しかし投手だけは許されていて、唯一投げる方の手だけには

手袋が許されていましたが、試合前にたしか審判に

手袋をするという報告をしないといけないというルールが

定かではありませんがあったような記憶があり

しかも色は白のみという規則がありました。


使えない野手は当然、汗で滑るので

ロジンバックという滑り止めの粉が

あるのですが、これをよく使っていました。

よく投手がマウンドに置いている白い粉の入った布袋

のあれです。


そして昔はバットを素手で握って打ってた時代と比べ

手袋を付けて打つ今の時代とは大会のホームランの数が

圧倒的に違い、手袋を付けて打つ時代になってからは

ホームラン数が圧倒的に増えています。

なぜでしょうか?


つい数年前には「打高投低」という問題がありました。

バットの質が上がりホームランや長打が増えすぎ

投手の負担が大きくなるので、バットの重さを上げて

打者の負担を上げさせることに規制が変わりました。

各メーカーでも硬式の金属バットの重さを上げて

販売し今に至っていますが、問題は手袋にあると

思っています。


人工的に手に合わせ薄くて丈夫な生地に

素手に密着してなお滑り止めが効くとなると

相当な握力が増すからです。


この握力が増した状態で打つと

やはり打球は強く遠くに飛びます。


ゴルフをやったことのある方はわかると思いますが、

ゴルフとは手袋を付けてやるのが当たり前であり

ドライバーを素手で握って打つのと手袋を付けて

打つのでは全く違うということがわかると思いますが

これと同じ原理で野球のバッティングでも同じでは

ないかと思っています。


ボールを打つときのインパクトの瞬間に素手ですと

グリップにわずかな滑りというのでしょうか、握りの

バランスがずれてしまい力を逃がしてしまいます。

これが人口の手袋を付けていれば、この状態を

全く防げてしまい汗の問題もなく打つことができる

と思うのです。


今年に入り桑田選手が先に引退し

先日、今シーズン限りで清原選手が引退するという会見も

行いました。

あのPL学園のK・Kコンビの時代はバットの質も

今より断然に悪く、今の選手が使ったら

まさにボールが飛ばないバットであることでしょう。

ボールが飛ばないバットに素手の時代でしたから

そこであれだけのホームランを打つ清原選手は本物の

強打者であり、越えられる球児は今後は出てこないと

思っています。




















なぜ、本荘高校は負けたのか?その敗因とは。

本荘は負けましたが敗因の一つとして

試合の内容で気になる部分としては

池田投手が179球投げたことではないでしょうか。




1人で1試合投げ終わった場合、

高校野球の1試合9回の球数平均は

だいたい120~130球前後ぐらいでしょうか。

良くて110~120球だと思います。

理想は少なければ少ないほど良いものであります。





球数は試合の内容に比例するので

179球投げた場合ですと試合時間が

相手の攻撃にいかに長い時間、費やしたという

ことですので負けパターンの特徴でもあり、

スコアを見るだけでも悪い内容とわかるものです。


逆に勝つときは球数も多くはないということがよくあるので

いかに相手の攻撃の時間を短くし球数を少なく投げるかを

考えないといけません。




しかし延長戦ではなく9回で終わり

この179球というのは異常な球数であります。



原因の一つとして四死球が10個という数。

そのうちの一つが敬遠ですが、

四死球が多ければ自然に球数も多くなり

自分の体の負担も大きくなり試合内容も悪くなるのは

当然のことでもあります。



中でも2アウトを取りながら簡単に四球を出して

しまう場面が多く自らピンチを作り出す試合でした。

いかに無駄な投球が多いかを考えなくさないと

やはり勝てません。



元々この池田投手は四球が多く1試合平均が

5個のようです。

この1試合5個の四球はあまりにも多すぎます。



試合の流れがこの四球により大幅に変わってしまい

自らピンチを作ることになり、自分達の攻撃にも影響が

出て悪い流れを作ってしまうものなのです。




四球が多いのはコントロールが悪いということであり

簡単に四球を多く出してしまう投手は、

やはり全国・甲子園では通用しません。




逆に鳴門工業の攻撃を見ると1回と2回の序盤に満塁の

チャンスが続けてありながらそこで点を取れなかったことが

鳴門工業のミスであり終盤に苦しむ羽目になり

3回か4回のソロホームランの1点が

唯一、幸を相したのではないでしょうか。



しかし鳴門工業は最後まで淡泊な攻撃はぜずに

選球眼を含めいかに相手投手に球数を多く投げさせるかを

考えた攻撃だったと思います。

その分、本荘は多く投げさせられたとはいえ、四球の多さは

投手の致命傷であることは間違いなかったと思います。





他には本荘の攻撃の時の終盤に送りバントを失敗して

ファールになり2ストライクに追い込まれ、

後がなく打てのサインを出し結果は三振という、

細かい大事なプレーができていませんでした。



一方、鳴門工業は9回裏にノーアウトランナー1塁から

確実に送りバントを決めてサヨナラ勝ちに繋げていました。

このたった一つのバントで勝利を決めたといっても

過言ではありません。

最後の詰めの強さというものを感じました。




鳴門工業の犠牲バントが4個、本荘が1個というのも

やはり繋ぐ野球ができるかできないのかの差であり

ここぞ勝負の細かいプレーというのが本荘だけではなく

秋田県勢の高校野球に足りないものだと今年も

思い知るような試合でした。




そして悔やまれるのが9回裏の1アウト、2塁の時に

序盤にホームランを打っている打者を本荘の監督が

敬遠させたことではないでしょうか。



たしかに敬遠することは間違っていませんが、

池田投手の投球のコントロールや四球の多さを

考えれば、次の打者ですんなりと勝負というわけには

いかないと思われ、やはり次の打者でも四球を出してしまい

自ら満塁にしてしまい負けに繋がる流れを作ってしまった

ことは目に見えていたような気がします。



私自身も観ていてここを敬遠したら危ないなと思っていましたが、

たしかに序盤にホームランを打っているとはいえ

打たれる確信などなくプロの選手ではないので

実際に大きな場面に勝負してみないとわからないものかと

思います。


やってみなきゃわからないというのも高校野球の真髄でもあり

池田投手自身も試合後のインタビューでは勝負したかったというような

言葉がちらついていました。



リードしているのが本荘なのですから、なぜあそこで??

と思われた方も少なくはないはずです。

あの場面にあの打者を打ち取っていたら2アウト2塁でも

一気に流れは本荘が持っていき雰囲気が一変するのが

野球であり勝てる100%確信などありませんが、

例え敬遠で逃げても必ず勝負しなければいけない

場面が必ず出てくるので、その場しのぎにしかなりません。



高校野球ファンにしろ応援するにしろ

監督の1勝欲しさにせこく逃げるようなものは絶対にいりません。



リードしているのにも関わらず

なぜか最後の終盤に限り、ここ1番に弱気になり

逃げに回ってしまい、負けじ魂というようなものが

感じられませんでした。


秋田県の高校野球の弱さを露呈する原因が見えてしまい

なぜ勝てないのかという疑問の答えもわかったような

気がします。


これは本荘だけではなく秋田県全体の高校野球の

課題でもあります。


決して技術ではありません。

監督も指導者も含めそれは何かを自分達で

解いていかないとまた同じ道を辿り

12~13年と恥をさらす記録を作ることになります。


下級生にはこの屈辱にも負けずに

ぜひ来年に託したいと思います。



















秋田県勢・11年連続甲子園、初戦敗退ワースト記録に並ぶ

夏の甲子園が開幕しましたね。

テレビで観ていても熱さがさらに増します。




今年は90回記念大会で出場校も増え、

オリンピックの日程に重ならないようにと大会日程を

前に詰めることで、抽選会は行わず完全に

シャッフルした組み合わせになりました。



そのおかげで初戦から近県同士の対戦が多く

高校野球ファンとしてもちょっと残念といいますか

本来なら初戦はあえて地域を離した組み合わせを

行っていますが、オリンピックの影響は避けられません。

近県であれば間違いなく練習試合もしてますから

球児本人達も複雑な気持ちではないでしょうか。



そして去年の夏の大会が終わり監督に復帰した

77歳の木内監督率いる常総学院と関東一は

なぜか攻撃も守備も木内監督の采配が全て裏目に出た

ような気がしました。

木内マジックとはいかずに攻撃ではエンドランのサインが

全てというほどアウトに繋がり、投手の起用もなぜ!?

というような場面も多かったです。

やはりベテランでも甲子園で初戦を勝つことは難しいのだと

感じました。





そして秋田県代表の本荘高校ですが、

地元からも熱い応援がある中、惜しくも初戦敗退でした。

本荘の監督も何とか初戦を突破したいということを

インタビューでも答えており本荘高校自体も

甲子園ではまだ1度も勝ったことがありません。


地元では秋田県勢の夏の甲子園大会で

10年連続初戦敗退を打ち消して欲しいという

願いがあったのですが、

11年連続、甲子園初戦敗退という全国ワースト記録に

並びました。



この11年連続ワースト記録というのは青森県が

1978年~1989年までに作った記録であり

まだこの11年間の時代は光星学院や青森山田など

強豪の学校が本格的に野球部に力を入れていない間でした。

20年前ですから今とは比べ物にならない社会ですので

高校野球の環境も指導も全て違う時代でした。

その時代も違えば社会も違う中の記録と

今の時代の記録では同じという意味には

できないものでもあります。