こんにちは、沙久良です
GWも今日で終わりですね。今年のGWのお客様はお久しぶりな顔ぶれで、皆様の元気なお姿を久々に拝見できてとても嬉しかったです
初対面のお客様も、話してみると実は高校の同級生だったりと驚きの連続 クラスが違ったのでお互いに顔を憶えてなかったけど、同じ校舎でしたから、何度もすれ違っていたんでしょうねぇ
皆様のこれからがさらにご多幸に満ちています様に、島根より祈っております
③です
54号線を走り、三刀屋まで戻った沙久良と秋津さん
「この先に大己貴命が兄の八十神たちを国から追放する為に対策を立てた神社があるので、そこへと参拝しましょう。」
三刀屋川を渡り、三屋神社へと到着した
車を鳥居前に停めて階段を上がると、手水舎の横の池に古代蓮の花が咲いていた
「わぁ~、ここは荒神谷遺跡より気温が低いから、今が見頃なんだね。」
7月にはちぃさんとのイズクエで見た古代蓮 鮮やかなピンク色に目を奪われる
「落ちないように気を付けてくださいね~。」
と、写真を撮るのに身を乗り出している沙久良に声をかける秋津さん 沙久良、どんだけ周栄から見たら子供なんでしょうか
携帯にてリアルタイムでイズクエをアップしている間に、先に秋津さんが境内へと向かう その後をのんびりとついていく沙久良
「スズメバチが巣を作ってて危険なので、気を付けてくださいね。」
と、先に参拝した秋津さん注意される 確かに巣を避けるように賽銭箱が左側に寄っていた。
蜂を気にしながら参拝し、そろ~っと忍び足で本殿へと向かう沙久良
久々に来た三屋神社 前に参拝したのは5年くらい前だっただろうか。まだ普通に販売員をしていた頃だった。
(まさか自分が、こうして出雲の神社を案内して生計を立てるなんて思わなかったもんなぁ…。)
当時の沙久良の想い描いていたスピリチュアル系の仕事といえば、カードセッションやレイキなどの教室を開き、教えるくらいだった。
(教えるっていっても、そもそも自分が自力で仕事のやり方を身に着けたから、教えようがないのも事実なんよねぇ。知りたければ知りたい場所へ行き、感じる。感じた事を言葉にして、腑に落とす。その繰り返しだったよなぁ…。)
なので、この仕事をしたいと相談された場合、自力で切り開く方法を伝える セッションという形で教え込む方が、いざ実践する場合は役立つ事が多いからだ
無論、基本は大事 その基本は今は都心部へと行かなくても地方でも教えてくれるから、どこででも学べる 今はスピリチュアルという言葉も定着し、エステ並みに教える場も、学校・個人を含め多くなった。だけど、それからが本当は難しいのだ
応用編 習った基本をいかに自分の物にするか。そこが皆出来ていないと感じる
(それだといつまで経ても、『●●さんがそう仰ってたんです。』『私の師匠の受け売りです。』から抜け出せないのよね~。)
スピリチュアルの根源が一緒なのだから、どんな形で学ぼうが、たどり着く先、導きたい方向性はそう変わりがない その基本にいかに自分の色を上手く絡ませ付けれるかが重要なのである
(自分らしさは大事と言いつつ、いつまでたっても誰かの真似のままじゃお客はつかんよ。)
同じことをやっても無意味。だからといって、まったく新しいものをするのもリスクが大きい。既存の物を少しだけ形を変える方が理想だろう
(根源が一緒なんだから、まったく新しい形ってのはないだろうなぁ…。)
薄れてしまった過去の叡智を探りだし、現代に合った形にする
新しく創り発展させるのではない。長い歴史で埋もれてしまった事を再び蘇らせる
何かが足りないという時は、何かが多すぎるという事だ
ごてごてと飾り付けず、うじうじと思い悩んで壁を造らず、シンプルにする
本来の自分に戻るという事も、持って生まれた魂まで戻る為に、生きてる間に身に着けた防御策という思い込みを取り払う事なのだから
(あ、そっか。アセッションってシンプルになるという事か。新しい次元に入るとか、光の存在になるとかいうから怪しいし、訳が分からんけど、要するに不必要な思い込みを脱ぎ捨てて、本来の姿に戻りましょうって事よねぇ。)
人の本来の姿に良いも悪いも、善も悪もない。そのどちらもがバランスよくあり、調和を保っているのだから
(なるほど、人類はここ二千年ばかし、光信仰に心を囚われ過ぎたんだね。だから急に闇もありだよ~って言われても、上手くバランスがとれなくてぎくしゃくした殺伐人間関係、自分勝手な振る舞いになっちゃったんだね。そうやって悪い事、時期を経て、初めてバランスが取れるんだよなぁ。)
今此処ばかりに目を向けると、大切な事を見失う。
悪いと言われる事、それを体験する事で罪悪感や満足しない事を憶え、初めて良心は芽生えるのだ
『失敗は発明の母である』
と言うが、これは心にも言える事で、失敗して叱られるからやっちゃ駄目な事、危険な事を知るのだ
(何事も無駄な事はないんだなぁ…。)
アセッションもスピリチュアル用語も大嫌いだけど、そこを経て気付くことがあるのだから、そういう事を声高らかにいう人々をもっと暖かい目で見守ろうと思った。
(上から目線なのは、やはりいまだにそういう事が嫌いだからなのでお許しを。まだまだ人間が出来てないのです)
『そういった事も含め、己の足で情報を得、信念を築けばいい。』
O氏は静かにそう語る きっと困難を経なければ出来ない覚悟があるからだろう。優しい、正しいだけでは人も国も導けない。
時に苦言を自分の保身を考えず呈してくれる人のありがたさ それに耳を傾けられる自分でありたい。
(学びも気づきも日常に溢れてて、けして特別な事じゃないもんなぁ…。)
特別だと思いたい、その心が何かを歪ませる。苦言を呈される事が自分を否定され、責められてると思う様に。
(本当の愛が足らないのね、みんな…。)
望む形じゃないと愛じゃないから受け取れない。望む形じゃなかったら嫌われるから与えられない。
古代の人々の想いに触れると、現代人はこうも臆病なのかと思い知らされる。
(二千年かけて薄まった愛と情報は、どうやったら濃く出来るんだろう?)
主の足跡を辿りながら集める愛と情報の欠片 あの時は解らなかった心を今、知る為に旅をする。それが今回のイズクエの真髄なのかもしれない。
④へ続く
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