こんにちは、沙久良です
先日、島根県ブロガーの黒ぷーさん からお誘いを受け、初めてグルッポに参加しました その名も『島根県の部屋』 です
『島根県に興味のある方のグルッポです。島根県に住んでる方、住んでた方、興味のある方はどんどん参加してください。』
とのこと 是非、島根県に興味をお持ちの方、ご参加くださいませ
さて、ブログの内容はガラッと変りまして、昨日の神代の男前・周栄の心絵
、これにはちょっとした秘密があります
写メだと着物の合わせが写ってないので見えないのですが、実は左前(右が上になった状態。着物は手を入れる方向でどちらが前かが決まります)にしてあるんです
と、いいますのも、現代日本においては着物は右前(左を上にして着る)にして着るのが当たり前で、右前は死者の合わせとされております
しかし、これは古代には決まりがなく、どちらが前でも良かったようです
この着物の合わせを決めたのは元正天皇 『続日本紀』元正天皇2月3日の条に『初メテ天下ノ百姓ヲシテ襟ヲ右ニ令ム』と記載されてます。要するに、
『みんな着物の合わせは右前統一よ!』
っていう女帝さんからのご指定だったんですね
大陸の文化を取り入れていたこの時代、陰陽説に則り右前であった大陸の着物の着方で統一したようです 仏教伝来の影響も大きかったのかしら?
奈良時代は推古天皇辺りから数々の服装に対する制度が出されてるようですから、きっとお洒落に敏感な女帝さんだったのでしょう 女とはそういう見た目にこだわる生き物なのです
とはいうものの、この右前の着方だと邪魔になる事があります。それは弓を武器にする場合、矢を取る時に手が衿に引っ掛かってしまうのです なので、遊牧民族などは左前で着物を着ていたようです
まあ、さすがに絵のように、剣取る時に手を引っ掛けるおっちょこちょいさんはそうそういなかったと思いますけどねぇ
前世は武人ではなく巫女な私も、気を抜くと着物を左前に着てしまいます
着付け教室にも通って、仕事では一時期制服代わりに着てたのにねぇ… 魂の癖というのはそう簡単に治らないのかもしれませんね
「私、子供の頃、左右の手足を反対にして出すというのが出来なくて、いつも同じ手足を出して歩いて親に笑われたんですよ。でも今考えると、左右逆に出すと剣を取った場合、自分の足を切りかねませんもんね。」
と、秋津さん
あはは、貴女もあったのね、前世癖が 仲間じゃのぉ
『否、それだけではない。左前に着る利点というのがあるのだ。』
と、横から茶々入れてくるO氏 さて、その利点とはなんでしょう?
『ふっ…。決まっておるではないか。世の人間というのは、大多数右利きだ。その右利きの男が夜の褥、そっと右手で女の肩を抱き寄せ、耳元で囁き、気を許した胸元に左手をそっと忍び込ませる為に決まっておるであろう』
否、それは絶対に違うと思います
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