生まれて初めて、怪獣映画を見たのは幼稚園生の時で『ガメラ』(
面白かった。ガメラは子供の味方である。
☆長文となります。ご了承ください☆
子供の視点で描かれた子供のための怪獣映画である、
一年後とは、私はまだ小学一年生である。
何故そう思ったか⁉︎
『モスラ対ゴジラ』を見てしまったからだ。
ガメラの印象は薄れ、ゴジラ、
もちろん、
当時は東宝チャンピオン祭りと言ってゴジラ以外にも沢山の子供向
私は後日再び『モスラ対ゴジラ』
学校での昼休みはゴジラごっこになり大勢の友人を巻き込んだ。
私の小学一年生の時の夢はゴジラになる、だった。
ゴジラになれるわけはない、
私が映像の道を歩むキッカケとなったのがゴジラとの出会いだった
運良くゴジラシリーズは夏休みや冬休みの度に新作やリバイバル上
見ることが出来ていなかったのは第1作の『ゴジラ』(制作 田中友幸 監督 本多猪四郎 特撮 円谷英二)である。
九州から上京した18歳の時に、ついに銀座の名作劇場で第1作『
1954年のしかも白黒作品なのに、
ゴジラシリーズの中でも最高傑作と位置付けた。
人間ドラマとして社会派、環境問題、反戦、サスペンス、
黒澤明監督が晩年、
第1作のゴジラの登場ほどサスペンスに満ちたど迫力ある映像を見
これは、田中、本多、
おそらくあのヒッチコックも両手を叩いて褒めたに違いない。
第1作ゴジラの優れたオマージュ作品と言えば、『
スピルバーグが少年時代にいかにゴジラの影響を受けたかが作品に
私は二十代に俳優と脚本執筆を兼ねていた時代がある。
その頃、
田所先生は土佐の出身で母方が坂本龍馬の親戚筋にあたる。
名前の龍一の龍は龍馬から取って付けられたそうだ。
私は坂本龍馬の舞台劇をやったことがあったのでそれが信頼につな
田所先生はすでに80を過ぎていた。
若い頃に劇団を作り、その後東宝映画に入った。
共に劇団を創設、東宝にも一緒に入社した親友がいた。
後に名プロデューサーになる田中友幸氏(晩年は東宝会長)ある。
田所先生は東宝で活躍して独立、
七十を過ぎて現役を引退していたのだが、
東宝の田中友幸会長によってである。
田中会長は邪馬台国をテーマに映画を作るため田所先生を東宝のス
私はその真っ只中で田所先生と出会い、
ある日、田所先生は「
前日の夜、殆ど眠れなかった。
田中友幸会長はゴジラの産みの親というだけでなく、
いや、
映画界では世界のクロサワ、そして世界のタナカ(ユウコウ)
私にとっては信じられないようなチャンスだった。
東宝に着くとスタジオでゴジラの撮影が行われていた。
子供の頃から憧れたゴジラ撮影を生で見ることが出来た。
映画だとゴジラの動きは雄大でゆっくりだが、
実はこの頃、最新作『ゴジラ対キングギドラ』(大森一樹監督)
東宝会長室に行くと会長は笑顔で迎えてくれた。
私は緊張した面持ちで自己紹介した。
モスラ対ゴジラが映画人生の原点になったことやその後のゴジラ作
すると、田中会長は名刺を差し出した。
田所先生は「おい、名刺なんかいいんだよ」と制したが、
後で田所先生に聞いたら、
君みたいに若いのに名刺を渡したのを初めてみたよ、
田中会長は私の顔をもう一度見ながら再び笑顔になって言った。
「そうそう、今日黒澤から暑中見舞いが来たんだよ。あいつ、
田中会長は黒澤監督からの暑中見舞いのハガキを見せてくれた。
黒澤監督独特の自筆のハガキだった。
それを見せてもらっただけで私は叫びたい気持ちだった。
『会長、邪馬台国やるのにワシも歳やからなぁ、
田所先生がそう言うと、田中会長は私の顔を見てからうなづいた。
「それでや、会長。真崎君は俳優が本業や。
田中会長はまた笑顔になって私の顔を見ながら何度もうなづいた。
私はやったーっと再び心で叫んだ。それから、
「田中会長、誠にありがとうございます。しかし今、
「そうか、そりゃそうだろうな」
田中会長は電話を取るとキャスティング担当を呼び出した。
私はドキドキしていた。
「ここにいる真崎明君をゴジラに出演させたい。
キャスティング担当者は一瞬困ったという表情になったが私をジロ
「もう、
田所先生がすまなそうに言った。
「子供の頃からの夢だったんだからなぁ、
私は田中会長に繰り返し礼を言った。
私達は会長の車で送ってくれることになったが、私は断った。
ゴジラの撮影をもう一度見たかったからだ。
私は夕方まで、飽きずにゴジラの撮影を見続けた。
その時、
空手など武道を長年やっていたことがキャスティング担当者に印象
翌日にはキャスティング担当者から電話が入り私は海上自衛隊の補
海上幕僚長から命令を受けて無線で指示する役でセリフは4回ほど
撮影は二日間あったが私は白い制服がとても気に入った。
ゴジラ対策中央コントロールセンターの大勢の中にいるので大きい
テロップも最後に名前が出た。(当時は神崎明という芸名)
すでに撮影が始まっていたのに役をもらい子供の時以来の夢を実現
だいぶ話が逸れてしまったが、
田中会長がその後、
しかし、田中会長や田所先生には今も心から感謝している。
余談ついでにもう一つだけ話しておきたい。
このゴジラ対キングギドラに出演した後の話である。
私は第1作の『ゴジラ』
この時も、
本多監督のご自宅で3時間近くもお話することが出来た。
本多監督との出会いやその話についてはまたの機会に詳細を書くこ
本題に入る前にかなり余談が長くなってしまったが、
『ゴジラ』
私はゴジラマニアというほどではない。
フィギュアや写真、パンフや本なども集めたりはしない。いや、
ゴジラファンであることは間違いない。
最新作となる『シン・ゴジラ』にはとても期待した。
アメリカ映画の『ゴジラ』にがっかりしただけに期待した。
前評判や口コミなどは一切見ないように心がけてまっさらな気持ち
映画が始まってこれは面白いと思い始めた。
地震を始めとした様々な災害を受けてきた日本だからこそ、
ワクワクしながら見ていた。
ところが次第に気になり始めたのは音楽である。
ゴジラには似つかわしくない曲である。
この曲聞きながら浮かんでくるイメージがあった。
エヴァンゲリオンである。
曲が流れる度にエヴァンゲリオンが思い出されて仕方ない。
さらにもう一つ気になり始めていた。
俳優たちの滑舌の悪さである。
舞台出身の俳優はまだ何とか聞き取れるが殆どが酷いものである。
アニメーションの声優ならなんなくこなせるかもしれないが、
スピーディでセリフが実に多いのだが、
たがが滑舌と馬鹿にしてはいけない、俳優の基本である。
雰囲気だけ伝えれば良いのか。
実は声優というのはやはり発声、滑舌はとても優れている。
ところがタレントやモデルや話題性で俳優にしてしまう日本の芸能
雰囲気で持ってる俳優もいるのでそれもありだろう。
しかし、シン・ゴジラは機関銃のようにセリフを喋りまくるし、
監督は声優と同じようにいけると思ってはいけない。
俳優には台本の稽古の場を持ち、
そんなことを気にしながら、
ついに現れたのはゴジラではなく、
その怪獣を見た時に再びエヴァンゲリオンを連想してしまった、
もちろんエヴァンゲリオンにこんな使徒は存在しないのだがそんな
特に目が死んで見えて、
そしてこれが、ゴジラに変貌してゆく。
面白い発想なのだが何故か、私には逆効果だった。
シン・
ゴジラ再上陸で改めて伊福部昭が作った名曲ゴジラを始めとした数
こうして『シン・ゴジラ』を見終わった時に私が一番感じたのは、
そう感じたのだからどうしようもない。
実は私はエヴァンゲリオンはテレビシリーズを全て見ていて私は好
若者に人気があったのでビデオを借りて毎日連続して見た。(
私はガンダムよりもエヴァンゲリオンのほうを好む。
だからこそ、『シン・ゴジラ』に期待した。
ところが私の感想と違ってネット上ではとても評価が高い。(
それを読んでみると若い世代、アニメファン、
私と似たようなタイプの人たちは意外にも沈黙している気がする。
それ故に、私は今回この感想を書くことにした。
私の『シン・ゴジラ』は点数では評価は60点だ。
昨年アメリカのゴジラは20点。
だから、それでも私自身のシン・
では評価する点をあげてみたい。
史上最大の天災を巻き起こしてゆくゴジラに日本政府いかに対応す
また、
ゴジラは自衛隊が必ず登場するが、
また、
このような点ではゴジラ母国日本ならではの作品に仕上がっている
ただ、人間ドラマを排除したことで災害対策、
確か、『三丁目の夕日』
あるいは、
きっと、これからも『ゴジラ』映画は作られるに違いない。
私の感想は少しキツイ感想であるかもしれないが私のようなゴジラ
私もまた、
長文お読みいただきありがとうございました。
真崎 明。
【真崎明 出演舞台の映像】
達真空手の演武
https://www.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4&app=desktop
銀河鉄道に乗ったサギ(CM)
https://www.youtube.com/watch?v=_xAyldgtfSc&app=desktop
シン・ゴジラは東宝系劇場にて大ヒット上映中