真崎明 監督ブログ

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私が一番尊敬する映画監督は黒澤明である。

 

黒澤監督の映画を初めて見たのは15歳(中学3年)の時、『 隠し砦の三悪人』だった。

 

映画の師であり学校の英語教師でもあった益田先生( 山鹿映画を見る会の主催者でもあった)が、 自分と映画好きの仲間で鑑賞したいがために十万円以上も出し合っ て東宝からフィルムを借りて黒澤映画鑑賞会を公民館で行ったのだ

 

告知はしたものの、 その日は熊本は山鹿に雪が降りとても寒かった。

 

親友と遊び帰りに公民館の前を通ると益田先生が雪の中ぽつんと一 人立っていて手招きする。

 

『よかところに来たたい。今から黒澤映画鑑賞会をするけん、 見に来たらよか。雪降るけんお客さんが少なかと。 お前たちはタダにしてやるけん』

 

私と親友は大喜びした。

 

すでに夕方だったので先生は奢りで出前をとってくれた。 中華丼だったがとっても美味しくて、 あの時の中華丼をもう一度食べたいといまだに思いだす。

 

夕飯付き黒澤映画鑑賞会、しかもタダで・・最高じゃないかー!

 

『隠し砦の三悪人』が始まった。

 

ど迫力のオープニングミュージック、いきなり、 砂漠ようなところで二人のノッポとチビの落武者が歩く後ろ姿。

 

冒頭から圧倒された。

 

この印象的な冒頭シーンは、 音楽も含めてジョージルーカスに多大なる影響を与え後に『 スターウォーズ』 を産み出しロボットが砂漠を歩く名シーンを誕生させた。( スターウォーズのストーリーそのものが隠し砦の三悪人を原案にし ている)

 

物語が始まってゆくと殆どセリフが聞き取れない。

 

何しろ1979年のことである。

 

フイルムは傷だらけ、音響設備はかなり悪い。

 

先生方やお客さんはかつて、 隠し砦の三悪人を見たことがある人ばかりなので物語より先に爆笑 する始末で、こちらはなんで笑うのかがわからない。

 

ゆえに面白さなどは感じることは出来ず、 ただただ凄い映像作品を目撃した、にとどまった。

 

後に、 上京してから名画座で隠し砦の三悪人を改めて鑑賞したのだが爆笑 し過ぎてお腹が痛くなったほどで、 なぜあの時に大人たちが先に笑ったかがよく理解出来た。

 

隠し砦の三悪人は最高に興奮したし面白かったし爽やかな感動を得 ることも出来た。冒険活劇として映画史に残る名作である。

 

その後も時々『隠し砦の三悪人』を見るが、 今まで30回以上は見た。

 

何度見ても面白い。

 

それが真の名作というものだろう。

 

しかし、 振り返ってみると15歳の時に黒澤監督の隠し砦の三悪人を見たの は私の人生にとってはとても意義深い価値ある出来事だった。

 

用心棒や椿三十郎、天国と地獄、赤ひげ、影武者など皆、 10代で見たからだ。

 

20代でほぼ全作品を見た。

 

私が作る作品は、黒澤映画の影響を間違いなく受けている。

 

まさに、それが舞台『銀河鉄道に乗ったサギ』である。

 

二人の振り込め詐欺師が、 逆に騙され銀河鉄道に乗せられて命からがらの宇宙の旅を通して成 長してゆく物語である。

 

実は、私は黒澤監督に5回お会いしたことがある。

 

私が執筆したシナリオを2作品も読んでいただいた。

 

今、 考えれば世界の大監督に対して無謀というか大変恐れ多い大胆なこ とをしたと思う。

 

黒澤監督が生きていた時代、 ジョージルーカスやスピルバーグやコッポラくらい有名であっても 黒澤監督にはそう簡単に会えるわけではなかったので、 映画界では私が黒澤監督に5回も会って話をしただけでなくシナリ オまでも読んでもらったというのは“西から日が出る” くらい信じてもらえそうにない話だからだ。

 

さらに、私は黒澤監督の御葬式( 数万人も集まったお別れ会の方ではなく、身内だけの葬儀) にも参列して黒澤監督の棺を担いだ。

 

これらの詳細については別な機会で書きたいと思う。

 

その前日のお通夜の時に『男はつらいよ』 の山田洋次監督が外でインタビューを受けていた。

 

「山田監督が、 黒澤映画の中で代表作と思われる作品はなんだと思いますか」

 

私は、バカな質問だなぁと思った。

 

案の定、山田監督がムッとした表情になった。

 

断っておくが、 山田監督は温厚な方でインタビューでそんな表情を表すような監督 では決っしてない。私自身、大尊敬する名監督である。

 

山田監督は少し表情を和らげてレポーターに諭すように話し出した

 

黒澤さんの映画をどれが代表作かなどと言うのは大変失礼な言い方 なんです。黒澤さんの映画は全てが代表作なんですね』

 

あーさすが、山田監督だと私は拍手を送りたくなった。

 

黒澤映画はたった30本しかない。

 

しかし、その30本がいかにして作られたか・・ それだけで百科事典を作りたくなるほどの膨大な努力と苦労の結晶 の記録となるだろう。

 

スピルバーグは黒澤監督を現代のシェークスピアだと言ったが、 千年万年歴史に残る大監督である。

 

その作品の本当の評価はまだまだこれからだと私は思う。

 

私は生きている間に、 一本でもいいから黒澤映画を超える作品を作りたいと決意している

 

半世紀生きてきた私が、 その目標に向けて歩んでいる途上での半集大成的に作ったのが『 銀河鉄道に乗ったサギ』である。

 

この作品は、 黒澤監督の隠し砦の三悪人へのオマージュ的な作品でもあるのだ。

 

黒澤映画が大好きな人なら、すぐにそれがわかるだろう。

 

銀河鉄道に乗ったサギはもちろんオリジナル・・・しかし、 そこには黒澤イズムが静かに流れていることを感じとっていただけ ると思うのだ。

 

銀河鉄道に乗ったサギを誰に一番見て欲しかったかと言えば、 黒澤明監督である。

 

「あなたが、作った作品があるなら、それを持ってきなさい。 それを見ようじゃないの」

 

黒澤監督はそう言ってくださったのに、 私は映像作品を持って行かなかった。

 

次回もっと良い作品を作ったら持っていこう、 そうやって時は過ぎてゆき黒澤監督は他界してしまった。

 

実に情けない。

 

もし今、監督が生きていたら今回映像作品に仕上げた舞台『 銀河鉄道に乗ったサギ』 を間違いなく黒澤監督に届けて見てもらっただろう。

 

私は黒澤監督にぜひ見てもらいたい、そう思って作り上げたのが『 銀河鉄道に乗ったサギ』なのだから。

 

しかし、もし誰かに・・

 

あなたの作品で最高傑作はどれですか?と尋ねられたら、 私は即座に答えるだろう。

 

『次の作品です』

 

次回最新作は『Sirius game』

 

【『銀河鉄道に乗ったサギ』映像作品〜前編〜はコチラから】

https://m.youtube.com/watch?v= dlt-3gZ82-A

 

 

 

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恥ずかしい話だが、実は私は宮沢賢治の本を子供の頃、 殆ど読んだことが無かった。

 

学校の国語の教科書で「銀河鉄道の夜」を全文ではなく、 一部を勉強したのだが何がなんだかよくわからず面白さも感じるこ とも出来ずに終わった気がする。

 

読み始めたのは三十を過ぎてからなのだ。

 

そのきっかけは、 中国人のある女性翻訳家の講演会に行った時のことである。

 

彼女は宮沢賢治の大ファンになり賢治の作品を中国語に翻訳して次 々と中国で出版して成功を収めていた。

 

賢治さんは中国に行ったこともないはずなのに中国にまるで住んで いたかのような描写で素晴らしい物語にとても感動したのです』( 雁の童子ではないかと思う)

 

私は彼女の宮沢賢治作品がいかに素晴らしいかという話を聞いてい るうちに日本人としてちゃんと読んでいなかったことがとても恥ず かしくなり、 直ぐさま帰りがけに書店で文庫本を買って読み始めた。

 

最初に読んだのは『よだかの星』だった。

 

読み終わった時には、衝撃を受けてしばらくは立てなかった。

 

宮沢賢治の生涯を知るうちに、 よだかは宮沢賢治自身を投影しているのではないかと思うようにな った。

 

雨にもマケズ、風にもマケズ・・の詩も、どこか この『よだかの星』ダブっているような気がするのだ。

 

もう少し踏み込むと、 聖人義人の生涯にも通じるところがあると思う。

 

よだかは壮絶な空の旅を経て、やがて星になる。

 

しかし何故、星になったのかはよくわからない。

 

私はここに着目した。

 

何故星になったのか、これをテーマに物語にしてみようと思った。

 

こうして作られたのが、舞台『銀河鉄道に乗ったサギ』である。( スピンオフ作品として『小さな王子とよだかの星』 も過去に上演されている)

よだかの星は受け取り方によっては様々な解釈が出来る。

 

もしかしたら、一部の人には「生きる」 という選択とは真逆の道をよだかが選んだのではないか思い込んで いる人もいるかもしれない。

 

それは、 宮沢賢治がこの物語に込めた思いとは違うはずだと私は思う。

 

それゆえに、 私はよだかを混沌とした今の社会に登場させて悩める若者たちのた めにも、 よだかの美しい生き方をわかりやすく表現したいと思ったのである

 

私はいつか、『銀河鉄道に乗ったサギ』 を震災で苦労を重ねてきた東北を始めとして全国で公演したいとい う願望を持っているし、何より映画化を目標にしている。

 

この度、2014年12月にクリスマス特別公演した『 銀河鉄道に乗ったサギ』 の動画を前編だがノーカット版でyoutubeにアップした。

 

【動画はこちらから】

https://m.youtube.com/watch?v=dlt-3gZ82-A

 

 

少しでも多くの人々に知ってほしくてノーカット版を公開するとい う無謀な試みに挑戦した。

 

50分の作品だが、おヒマな時にお茶しながら、 あるいは深夜に一人で一杯やりながらでも構わないのでぜひご覧い ただけたらと思う。

 

結構、笑いながら主人公たちと一緒に銀河の旅を楽しめると思う。 (ただ、後編は次回公演を直接劇場にてご覧いただきたい)

 

さて、次回は映画監督の黒澤明について触れてみたいと思う。

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生まれて初めて、怪獣映画を見たのは幼稚園生の時で『ガメラ』( ガメラ対大悪獣ギロン)だった。

 

面白かった。ガメラは子供の味方である。 子供が危機一髪の時に必ず助けてくれる。

 

☆長文となります。ご了承ください☆

 

子供の視点で描かれた子供のための怪獣映画である、 と一年後に振り返った時にそう思った。

 

一年後とは、私はまだ小学一年生である。

 

何故そう思ったか⁉︎

 

『モスラ対ゴジラ』を見てしまったからだ。

 

ガメラの印象は薄れ、ゴジラ、 そしてモスラの魅力にとりつかれてしまった。

 

もちろん、 ガメラも大好きだったがゴジラ映画とは比較にならなかった。

 

当時は東宝チャンピオン祭りと言ってゴジラ以外にも沢山の子供向 きの映画が同時上映されたのだが、 ゴジラを2回見るためには朝から夕方まで劇場にいなければならな い。

 

私は後日再び『モスラ対ゴジラ』 を見に行き合計で4回も見てしまった。

 

学校での昼休みはゴジラごっこになり大勢の友人を巻き込んだ。

 

私の小学一年生の時の夢はゴジラになる、だった。

 

ゴジラになれるわけはない、 すでに小学一年生でゴジラ映画に出演したい、 いや着ぐるみに入ってゴジラを演じたいと思っていたらしい。

 

私が映像の道を歩むキッカケとなったのがゴジラとの出会いだった

 

運良くゴジラシリーズは夏休みや冬休みの度に新作やリバイバル上 映されたのでその殆どを少年時代に見ることが出来た。

 

見ることが出来ていなかったのは第1作の『ゴジラ』(制作 田中友幸  監督  本多猪四郎  特撮 円谷英二)である。

 

九州から上京した18歳の時に、ついに銀座の名作劇場で第1作『 ゴジラ』を見た。

 

1954年のしかも白黒作品なのに、 私は初めて小学一年生の時に見た時と同じくらい衝撃的な感動を得 た。

 

ゴジラシリーズの中でも最高傑作と位置付けた。

 

人間ドラマとして社会派、環境問題、反戦、サスペンス、 そして怪獣映画としても圧倒的な傑作である。

 

黒澤明監督が晩年、 100本の名作映画の中でゴジラも選んだが当然だと思う。( 本多猪四郎監督が、親友だからというわけではない)

 

第1作のゴジラの登場ほどサスペンスに満ちたど迫力ある映像を見 たことがない。

 

これは、田中、本多、 円谷の名コンビでその後も沢山怪獣映画は作られたが第1作に勝る ものはないと思う。

 

おそらくあのヒッチコックも両手を叩いて褒めたに違いない。

 

第1作ゴジラの優れたオマージュ作品と言えば、『 ジェラシックパーク』である。

 

スピルバーグが少年時代にいかにゴジラの影響を受けたかが作品に 現れている。

 

私は二十代に俳優と脚本執筆を兼ねていた時代がある。

 

その頃、 あることがきっかけで東宝映画のプロデューサー田所龍一先生と出 会った。

 

田所先生は土佐の出身で母方が坂本龍馬の親戚筋にあたる。

 

名前の龍一の龍は龍馬から取って付けられたそうだ。

 

私は坂本龍馬の舞台劇をやったことがあったのでそれが信頼につな がった。

 

田所先生はすでに80を過ぎていた。

 

若い頃に劇団を作り、その後東宝映画に入った。

 

共に劇団を創設、東宝にも一緒に入社した親友がいた。

 

後に名プロデューサーになる田中友幸氏(晩年は東宝会長)ある。

 

田所先生は東宝で活躍して独立、 関西や島根に沢山の映画館や飲食店を経営する一方、 自主制作で映画を作り続けた。

 

七十を過ぎて現役を引退していたのだが、 再び映画界へ引っ張り出された。

 

東宝の田中友幸会長によってである。

 

田中会長は邪馬台国をテーマに映画を作るため田所先生を東宝のス ペクタクル映画制作に返り咲かせたのだ。

 

私はその真っ只中で田所先生と出会い、 カバン持ちのような助手になった。

 

ある日、田所先生は「 田中友幸会長が君にお会いくださるようだから明日成城の東宝へ行 こうか」と言った。

 

前日の夜、殆ど眠れなかった。

 

田中友幸会長はゴジラの産みの親というだけでなく、 黒澤映画の数々の名作のプロデューサーである。

 

いや、 東宝映画大作の大ヒット作品の殆どが田中友幸プロデューサーによ るものなのである。

 

映画界では世界のクロサワ、そして世界のタナカ(ユウコウ) とも言われた。

 

私にとっては信じられないようなチャンスだった。

 

東宝に着くとスタジオでゴジラの撮影が行われていた。

 

子供の頃から憧れたゴジラ撮影を生で見ることが出来た。

 

映画だとゴジラの動きは雄大でゆっくりだが、 実際には格闘技のようにスピーディーだった。( 編集でスローになるのである)

 

実はこの頃、最新作『ゴジラ対キングギドラ』(大森一樹監督) の撮影が始まっていたた。

 

東宝会長室に行くと会長は笑顔で迎えてくれた。

 

私は緊張した面持ちで自己紹介した。

 

モスラ対ゴジラが映画人生の原点になったことやその後のゴジラ作 品や黒澤映画についてまで、 びっくりするくらいに言葉が出てきて沢山話してしまった。

 

すると、田中会長は名刺を差し出した。

 

田所先生は「おい、名刺なんかいいんだよ」と制したが、 田中会長は「ゴジラが人生の原点とまで言われたら嬉しいよ」 と名刺を私が受け取るまで差し出したままだった。

 

後で田所先生に聞いたら、 田中会長は実は名刺はそう簡単に渡すことがないのだそうである。

 

君みたいに若いのに名刺を渡したのを初めてみたよ、 よほど気に入ってくれたんやなぁと教えてくれた。

 

田中会長は私の顔をもう一度見ながら再び笑顔になって言った。

 

「そうそう、今日黒澤から暑中見舞いが来たんだよ。あいつ、 めったにハガキなんか来ないのに映画やるからよろしくってね、 丁重に挨拶が来たよ」

 

田中会長は黒澤監督からの暑中見舞いのハガキを見せてくれた。

 

黒澤監督独特の自筆のハガキだった。

 

それを見せてもらっただけで私は叫びたい気持ちだった。

 

『会長、邪馬台国やるのにワシも歳やからなぁ、 真崎君にいろいろと手伝ってもらおうと思うんや、ええか」

 

田所先生がそう言うと、田中会長は私の顔を見てからうなづいた。

 

「それでや、会長。真崎君は俳優が本業や。 邪馬台国には出番もセリフもしっかりあるええ役をあげたいんや」

 

田中会長はまた笑顔になって私の顔を見ながら何度もうなづいた。

 

私はやったーっと再び心で叫んだ。それから、 とんでもないことが、口から飛び出してきた。

 

「田中会長、誠にありがとうございます。しかし今、 撮影しているゴジラに願わくば出演したかったです」

 

「そうか、そりゃそうだろうな」

 

田中会長は電話を取るとキャスティング担当を呼び出した。

 

私はドキドキしていた。

 

「ここにいる真崎明君をゴジラに出演させたい。 何かセリフがあってちゃんとした役をあげてくれないか」

 

キャスティング担当者は一瞬困ったという表情になったが私をジロ リと見てから「承知しました」と言ってその場を去った。

 

「もう、 撮影は始まっとるんやからキャスティングは終わっとるやろう。 無理させたらあかんわ」

 

田所先生がすまなそうに言った。

 

「子供の頃からの夢だったんだからなぁ、 なんか役をやってもらう」

 

私は田中会長に繰り返し礼を言った。

 

私達は会長の車で送ってくれることになったが、私は断った。

 

ゴジラの撮影をもう一度見たかったからだ。

 

私は夕方まで、飽きずにゴジラの撮影を見続けた。

 

その時、 再びキャスティング担当者が現れて私のプロフィールについて尋ね てきた。

 

空手など武道を長年やっていたことがキャスティング担当者に印象 が良かったようだ。

 

翌日にはキャスティング担当者から電話が入り私は海上自衛隊の補 佐官の役が決まった。

 

海上幕僚長から命令を受けて無線で指示する役でセリフは4回ほど あった。

 

撮影は二日間あったが私は白い制服がとても気に入った。

 

ゴジラ対策中央コントロールセンターの大勢の中にいるので大きい スクリーンでないとわかりづらいが、 戦闘機に指示する声は私であることが確認出来る。

 

テロップも最後に名前が出た。(当時は神崎明という芸名)

 

すでに撮影が始まっていたのに役をもらい子供の時以来の夢を実現 出来たことは本当に素晴らしい経験だった。

 

だいぶ話が逸れてしまったが、 先ほどの邪馬台国の結末は書いておこう。

 

田中会長がその後、 しばらくして他界され邪馬台国の映画化は頓挫してしまった。

 

しかし、田中会長や田所先生には今も心から感謝している。

 

余談ついでにもう一つだけ話しておきたい。

 

このゴジラ対キングギドラに出演した後の話である。

 

私は第1作の『ゴジラ』 の本多猪四郎監督と出会いたっぷりとお話しする機会に恵まれたの だ。

 

この時も、 私のゴジラシリーズへの思いをさんざん監督に聞いてもらった。

 

本多監督のご自宅で3時間近くもお話することが出来た。

 

本多監督との出会いやその話についてはまたの機会に詳細を書くこ とにしたい。

 

本題に入る前にかなり余談が長くなってしまったが、 何故こんな話を書いたのか!

 

『ゴジラ』 作品への思い入れが私自身にいかにあるかということを読者にわか ってほしいからである。

 

私はゴジラマニアというほどではない。

 

フィギュアや写真、パンフや本なども集めたりはしない。いや、 手のひらに乗るような小さなゴジラとモスラは飾ってあるか・・。

 

ゴジラファンであることは間違いない。

 

最新作となる『シン・ゴジラ』にはとても期待した。

 

アメリカ映画の『ゴジラ』にがっかりしただけに期待した。

 

前評判や口コミなどは一切見ないように心がけてまっさらな気持ち で見た。

 

映画が始まってこれは面白いと思い始めた。

 

地震を始めとした様々な災害を受けてきた日本だからこそ、 ゴジラを最大級の天災をもたらす怪獣としていかに対処してゆくか を真正面から描こうと言うのか・・斬新である、と思った。

 

ワクワクしながら見ていた。

 

ところが次第に気になり始めたのは音楽である。

 

ゴジラには似つかわしくない曲である。

 

この曲聞きながら浮かんでくるイメージがあった。

 

エヴァンゲリオンである。

 

曲が流れる度にエヴァンゲリオンが思い出されて仕方ない。

 

さらにもう一つ気になり始めていた。

 

俳優たちの滑舌の悪さである。

 

舞台出身の俳優はまだ何とか聞き取れるが殆どが酷いものである。

 

アニメーションの声優ならなんなくこなせるかもしれないが、 シン・ゴジラの滑舌の悪さは半端ではない。

 

スピーディでセリフが実に多いのだが、 ちゃんと稽古したのだろうか・・ 見ながらそれが気になって気になって仕方がない。

 

たがが滑舌と馬鹿にしてはいけない、俳優の基本である。

 

雰囲気だけ伝えれば良いのか。

 

実は声優というのはやはり発声、滑舌はとても優れている。

 

ところがタレントやモデルや話題性で俳優にしてしまう日本の芸能 界の状況を考えると映画やドラマで滑舌が酷い作品は少なくない。

 

雰囲気で持ってる俳優もいるのでそれもありだろう。

 

しかし、シン・ゴジラは機関銃のようにセリフを喋りまくるし、 やり取りも多い、滑舌を大事にしなければならないはずだ。

 

監督は声優と同じようにいけると思ってはいけない。

 

俳優には台本の稽古の場を持ち、 しっかりやってもらわないといけないのだ。

 

そんなことを気にしながら、 肝心のゴジラは尻尾ばかりで中々姿を見せない。

 

ついに現れたのはゴジラではなく、 思わず笑ってしまいそうなヘンテコな怪獣が現れた。

 

その怪獣を見た時に再びエヴァンゲリオンを連想してしまった、

 

もちろんエヴァンゲリオンにこんな使徒は存在しないのだがそんな 印象を感じてしまうのだ。

 

特に目が死んで見えて、 エヴァの使徒たちのどれかの目に似た感じがしてくる。

 

そしてこれが、ゴジラに変貌してゆく。

 

面白い発想なのだが何故か、私には逆効果だった。

 

シン・ ゴジラからは口からだけでなく身体全体からも凄まじい破壊力のあ る光線が出るのだが、 もうこれ以上のゴジラは作れないだろうと言わんばかりで私には怪 獣の形をしたロボット兵器のように思えた。

 

ゴジラ再上陸で改めて伊福部昭が作った名曲ゴジラを始めとした数 々のバックミュージックがようやく流れ始めたのだが、 この曲の持っていき方が"こうしてこの曲を出してやれば、 ファンも納得し喜ぶだろう” と言わんばかりの使い方に何故か腹立たしさのほうが強くなった。

 

こうして『シン・ゴジラ』を見終わった時に私が一番感じたのは、 庵野監督はエヴァンゲリオンを実写化したいがためにゴジラを利用 したのではないか、と思ったのが正直な感想である。

 

そう感じたのだからどうしようもない。

 

実は私はエヴァンゲリオンはテレビシリーズを全て見ていて私は好 きなのである。

 

若者に人気があったのでビデオを借りて毎日連続して見た。( 劇場にも見に行った)

 

私はガンダムよりもエヴァンゲリオンのほうを好む。

 

だからこそ、『シン・ゴジラ』に期待した。

 

ところが私の感想と違ってネット上ではとても評価が高い。( ぴあの口コミを始め)

 

それを読んでみると若い世代、アニメファン、 エヴァンゲリオンファン、初めてゴジラを見る人たち、 ゴジラマニアあるいはゴジラの超熱烈なファンの評価が高いような 気がする。

 

私と似たようなタイプの人たちは意外にも沈黙している気がする。

 

それ故に、私は今回この感想を書くことにした。

 

私の『シン・ゴジラ』は点数では評価は60点だ。

 

昨年アメリカのゴジラは20点。

 

だから、それでも私自身のシン・ ゴジラに対する評価は高いほうだ。

 

では評価する点をあげてみたい。

 

史上最大の天災を巻き起こしてゆくゴジラに日本政府いかに対応す るのか、 これを真正面から真剣に描こうとしたことは斬新だったと思う。

 

また、 その上で今の日本の法的な問題点や特に自衛隊をいかに動かすかは 、今そこにある危機を、 このゴジラを通して描いたのはとても意義あることだと思うのであ る。

 

ゴジラは自衛隊が必ず登場するが、 おそらくゴジラシリーズ上最も自衛隊の活躍を描いている。

 

また、 第1作のオマージュ的なシーンを作ろうと努力したところも伺える

 

このような点ではゴジラ母国日本ならではの作品に仕上がっている と思う。

 

ただ、人間ドラマを排除したことで災害対策、 あるいは国家危機対策をゴジラを利用してシミュレーション映画を 作った感が否めない。

 

確か、『三丁目の夕日』 山崎貴監督がゴジラが大好きでゴジラを作りたいと言っていた気が するが、 人情怪獣映画は嫌だが彼なら人間ドラマしっかり描くゴジラを作る のでないだろうかと思う。山崎監督も、 ぜひ挑戦してほしいという気持ちがある。

 

あるいは、 庵野監督と山崎監督の良いところを合わせてゴジラが作られたらと ても素晴らしい作品が出来るのではと考えたりもする。

 

きっと、これからも『ゴジラ』映画は作られるに違いない。

 

私の感想は少しキツイ感想であるかもしれないが私のようなゴジラ ファンも両手を叩いて絶賛するゴジラを作ってほしいと心から思う

 

私もまた、 生きているうちにもうちょっとセリフがあってしっかりとアップが ある印象的な役どころを掴んで『ゴジラ』 に出演したいという夢をを持ちこれからも役者活動は続けてゆきた いと思う。

 

長文お読みいただきありがとうございました。

 

真崎 明。

 

【真崎明 出演舞台の映像】

達真空手の演武

https://www.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4&app=desktop

銀河鉄道に乗ったサギ(CM)

https://www.youtube.com/watch?v=_xAyldgtfSc&app=desktop

 

シン・ゴジラは東宝系劇場にて大ヒット上映中

 

 

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