日米の戦後が終わった後は・・ | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

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やっと明るい未来を語る政治家が総理大臣になりました。しかし、闘いはまだまだこれから。子や孫が希望を持てる国になることを願うおやじです。

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今朝の毎日新聞(大阪版)は安倍総理の真珠湾慰霊が「和解の力 不戦の誓い」との見出しで報じている。もっとも、同じ一面のトップ記事は「電通社長 引責辞任へ」で、この歴史的な出来事が脇に追いやられているあたりがこの新聞らしい。

 

しかも、その記事を押しのけるようにレイアウトされているのが「終わりではない」の見出しの政治部長氏の署名記事だ。読まなくてもお分かりだと思うが、中韓との和解がまだだから「終わりではない」と言いたいのだ。


オバマ氏と慰霊 真珠湾、和解の地に 終わりではない=政治部長・末次省三
毎日新聞2016年12月29日

(一部抜粋)

 安倍晋三首相の真珠湾訪問は「日米の歴史的な和解の終着点」と位置づけられている。

 昨年4月の首相による米上下両院合同会議での演説、今年5月のオバマ米大統領の広島訪問からの一連の流れととらえる視点で、首相も真珠湾での演説で「和解の力」を強調しながら「未来志向」を打ち出した。日米関係、日米同盟という観点からは、その通りだ。

だが、これで「戦後」が終わるわけではない。

(中略)

 中韓両国との真の意味での和解は、いまだに実現していない。沖縄を取り巻くさまざまな課題など、日本国内にも戦後処理問題は横たわる。こうしたアジアになお残る「戦後」に向き合ってこそ、初めて「未来志向」が完結するのではなかろうか。

 これからは、決して被害者にも加害者にもならない。それを日本人全体で胸に刻む年になれば、と願う。
(太字強調はブログ主)
http://mainichi.jp/articles/20161229/ddm/001/010/147000c


日米の戦後が一応終わったことは認めざるを得ないようだ。中韓両国との真の和解など無理だと思うが、それを指摘することで特亜を除くアジア各国と和解していることは認めてしまっている。中韓の代弁はこれだけでは足りないようで、社説でもまた同じような主張をしている。


社説
首相の真珠湾訪問 和解を地域安定の礎に
毎日新聞2016年12月29日

(一部抜粋)

乏しいアジアへの視線

 首相は「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」と不戦の誓いをした。では、なぜ日本人だけで約300万人の死者を出すような無謀な戦争を防げなかったのか。過去の戦争に対する認識が語られなかったのは残念だ。

 

 もう一つは、アジアへの視線が見られなかったことだ。昨年の米議会演説や戦後70年談話に盛り込まれたアジア諸国に対する戦争の加害者としての視点はなかった

 おそらく首相は、戦後70年から真珠湾訪問までで「戦後」に一区切りをつけ、「未来志向」で外交を展開したいと考えているのだろう。

 しかし、満州事変以降の中国侵略の拡大が、やがて日米開戦につながった経緯や、それらに先立つ韓国の併合について、首相がどういう認識を持っているかは、国のあり方の基本にかかわる問題だ。

 首相は、未来を語るうえで、歴史を謙虚に顧み、反省を踏まえる姿勢を示すべきだったのではないか。
(太字強調はブログ主)
http://mainichi.jp/articles/20161229/ddm/005/070/073000c


昨年の米議会演説や戦後70年談話ですでに触れたことを、今回は言わなかったと批判している。永遠に反省しろと中韓の代弁をしているのである。しかも、目の前にいるのは真珠湾攻撃で戦友や家族を亡くした人たちなのだ。

 

そもそも、我が国は中韓とは戦争していないのだから、両国との戦後などない。
しかし、安倍総理は昨年の70年談話で下記のように述べ、戦後の総括をしたのである。
今後はもう80年談話も100年談話もないのだ。


平成27年8月14日
内閣総理大臣談話

http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

(抜粋)

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

(以下略)


ただ、日本側のせいではないが戦勝国のふりをする特亜3国との関係が正常ではないことは間違いない。また、領土問題を抱えるロシアとの戦後が終わったとは言えないだろう。
戦後レジームからの脱却はまだ道半ばなのだ。

 

そして、それを妨げているのは相手国だけではなく、毎日新聞も含むマスコミなど戦後レジームを飯のタネにしている国内勢力だ。
そして、そういう連中が相変わらず個人の心の問題である靖國参拝を問題視し続けている。


稲田防衛相
靖国神社を参拝 「防衛大臣稲田朋美と記帳」
毎日新聞2016年12月29日

 稲田朋美防衛相は29日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。参拝後、記者団に「防衛大臣稲田朋美と記帳した。防衛大臣である稲田朋美が一国民として参拝したということだ」と述べた。稲田氏によると、参拝は今年8月の防衛相就任後、初めて。(共同)

http://mainichi.jp/articles/20161229/k00/00e/010/169000c


安倍総理が行くとしたら、慰霊の旅から帰ったいまがタイミング的にはいいように思うが、さてどうなるか。本来は何の問題もないはずだが、国民や世界がどう見るかを見極めることは大切だ。まだまだ、我が国は戦後レジームから抜け出せていないのである。

 

もし1月に任期を終えたオバマ氏が私的に我が国を訪れ、安倍総理と共に靖國神社を参拝したら国民は歓迎し、中韓の批判は無意味になると思うのだが。

 

(以上)

 

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