愛国商売 | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

安倍晋三応援ブログです。
やっと明るい未来を語る政治家が総理大臣になりました。しかし、闘いはまだまだこれから。子や孫が希望を持てる国になることを願うおやじです。

朝日新聞をはじめとする反日マスコミと真正面から対峙している産経新聞の中心にいるのが阿比留さんだ。そのフェイスブックを愛読させていただいているが、記事に書ききれなかった話や個人的な感想まで無料で読めるのだからネットはありがたい。

氏は、コメント欄の反応をかなり気にするようで、根拠もなにもない誹謗中傷のようなコメントも結構きちんと読まれているようだ。以下は氏のフェイスブックの昨日の投稿だが、おそらく、日韓合意にからんで感情的な罵声が浴びせられたのだろう。


阿比留 瑠比

 私はもとより馬鹿です。少なくとも賢くはありません。どうしようもなく愚かで、失敗ばかり繰り返し、恥の多き人生を送ってきました。しかし、そんなどうしようもない私から見てさえ、どうしてそうなるの?というぐらい短絡的で非合理的で、ふつうの社会人としての相場観がないような言説が多いような気がします。

 誰しも絶対的に無謬の存在ではないはずです。そんな当たり前の出発点から見て、自分の見方だけが絶対に正しく、それよりもはるかに広く高い視点から物事を見ている同志を裏切り者扱いする。ああ、かつてもそんな愚かな光景を見たなあと思います。

 あの、味方であるはずの人たちに後ろから矢を射られ、単騎駆けして討ち死にした姿に、日本はこれで10年のときを失ったと苦い喪失感を味わった日を。揚げ句が民主党政権の悪夢の日々でした。

 勝手に持ち上げ、偶像化し、勝手に失望し、倒れかかってきた偶像の下敷きになって大騒ぎするような人を私は好みません。本当は何一つ倒れたりしていないのに。
https://www.facebook.com/rui.abiru/posts/1105080482869935?pnref=story


これを読んで真っ先に思い浮かべたのが、最近『チャンネル錯乱』などと揶揄されているチャンネル桜の水島社長のことだ。第一次安倍政権の時もそうだったが、今回も勝手に過大な期待をかけ、性急な結果を求めた挙句に激しく批判し始めている。

まさに阿比留さんの言う通りなのだが、彼が変貌したのは別に愚かだからではないだろう。「批判はもういい!ではどうする!」と言う一方で批判を始めたことには、チャンネル桜がメディアとして生き残るための彼なりの考えがあるのだと思う。

まあ、動機はご本人にしか分からないのだが、他にも「泥をかき分けて前に進む」と言いながら、それを実践する安倍総理批判に転じた御仁もいる。主張そのものがますます民主党や共産党と区別がつかなくなってきた三橋貴明氏である。

彼はかつて次のように述べていた。


 泥の沼をかき分けるのが面倒になった人たちは、例えば安倍政権の経済政策に構造改革的、新自由主義的な政策の匂いを感じた途端に、

「安倍は売国奴だ! もう日本はダメだ!」

 と、全てを投げ出します。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11548160830.html


このように読者に我慢と根気を訴えていた本人が、いつのころからか「泥の沼をかき分ける」のをやめて安倍総理を批判しだし、「亡国論」路線に転じた。その結果、多くの読者が去り、これでは評論家としてやっていけなくなるのかと思ったが、案外そうでもなかった。

去る読者は多かったが、今度は「泥の沼をかき分けるのが面倒」で「安倍は売国奴だ! もう日本はダメだ!」と、全てを投げ出す人たちが読者として集まってきたのである。それが意図的だったか結果的にそうなったのかは分からないが、現に彼は業界で生き残っている。

政策の具体的な中身をあれこれ論じても、「泥の沼をかき分けるのが面倒な人たち」が喜ぶはずがない。印象論でも何でもいいから安倍総理を強く批判したほうが読者のニーズに合うのである。時々、それらしい理屈を述べて、理論的に補強された気分にしてくれればいいのだ。

かつては強く支持した経緯もあり、一時の支離滅裂ぶりを見て、一度休んでゆっくり頭を整理すればいいのにと思ったことがある。怒涛のようにアウトプットを続けてきたのだから、ここらでチャージも必要ではないかと考えたのだ。
しかし、彼は路線を切り替えて、結果的に生き残っている。自身が強く批判していた「絶対的価値観の持ち主」になってみたら、新しい世界が広がったのだろうか。心の葛藤が生じそうなものだが、商売と割り切ってしまえば気にならないのかもしれない。

そして、チャンネル桜の変身も同じような理由からではないかと思うのだ。錯乱したのではなく、生き残るために「泥の沼をかき分けるのが面倒」な自称保守のニーズに合わせたのではないか。目の前にはそれでとりあえず生き残った評論家もいるのである。

阿比留さんがいうように「勝手に持ち上げ、偶像化し、勝手に失望し、倒れかかってきた偶像の下敷きになって大騒ぎするような人」は大勢いる。だから、「愛国と嫌韓」を押さえておけば、評論活動にとっては競合相手の少ない、まさにブルーオーシャンなのである。

彼らの扇動的な言説は愛国商売のためであり、安倍総理を売国奴呼ばわりするのも、お約束の読者サービスなのだろう。
そう考えれば腹が立てることもなく、むしろギャグとして楽しめる。

(以上)